第112話 「今の発言不敬! 不敬なのじゃ!」皇女がいきり立った

「こりゃあ! この仕打ちはなんじゃあ!?」


 辺境伯邸の一室で、シャルロッテ・ナントカ皇女――と自称する童女わらわめが怒りを露わにする。


 見下ろす俺に噛み付かんばかりの勢いだ。


 だが、噛み付くことなど出来ぬ。


 荒縄で雁字がんじがらめにした上で、椅子に縛り付けておるのだからな。


 これならば縄抜けどころか身動き一つ取れまい。


 それでも自称皇女は「早う縄を解くのじゃ!」と喚き散らし、縄から抜けようともがいている。


 だが、手拭いを手にしたミナによってささやかな動きも止められてしまった。


「ああ、動かないでくれ。クロガネの涎が拭けないじゃないか」


「ヴィルヘルミナ! アルテンブルク辺境伯アルバンの娘よっ! 主まで何故このような仕打ちに加担する!? 妾は帝国皇女シャルロッテ・コルネーリアなるぞっ!?」


「何でも言われても……。いいか? 子供だから知らないのかもしれないが、皇族の名を騙ると不敬罪に当たるんだ。誰であろうと見過ごすことは出来ない。君は富貴ふうきな家の出身なんだろう? このままだと、家に迷惑を掛けてしまうぞ?」


「じゃから本物じゃと言うのに!」


「シャルロッテ・コルネーリア皇女殿下はまだ十二歳のはずだが……」


「妾も見てみい! 十二歳くらいに見えるじゃろうが!?」


「そうか? 君は背が低いし、身体つきも細い……。十歳以下と言われても不思議はないと思うが……」


「くぉらぁ! 無礼じゃぞ!? 妾をお子様体型と言いたいかっ!?」


「そこまでは言わないが……」


「これは伸び代じゃ! この先数年に乞うご期待、なのじゃ!」


「分かった分かった。仮に君が十二歳だったとしても、十二歳の女の子ならどこにでもいるだろう?」


「ええい! 分からず屋めっ! 主も貴顕きけんの令嬢ならば、妾の姿を目にした事はあろうがっ!?」


「帝都へ行ったこともあるし、皇城へ登城したことだってあるさ。でも、私が行った時は、シャルロッテ・コルネーリア皇女殿下はご不在だった。ご尊顔を拝する機会はなかったんだ」


「くっ……! 式典を怠けたのがこんなところで裏目に……!」


 帝都と言えば、クリストフやカロリーネも遊学から帰って来たばかり。


 もしや皇女を見知ってはいまいかと、寝ているところを叩き起こして尋ねてみたが、両名ともまみえたことはないという。


 そもそもシャルロッテ皇女は鬢除びんそぎ――異界に鬢除があるのかどうか知らんが、女子にも元服の儀はあろう――も終えておらぬ童。


 衆目の前に姿を見せる機会は限られておる。


 帝室に近い貴顕きけんくらいにしか、顔は知られておらぬであろう。


「いや待て! 姿は見ておらずとも噂くらい耳にした事はあろう!? 皇女は好奇心旺盛で行動力抜群! いかなる場所にも神出鬼没! 後宮女官や近衛騎士も舌を巻き――――」


「おかしい……話が違うな。とんでもないじゃじゃ馬で暴れん坊。後宮女官は上から下まで手を焼く始末。コボルトのようにすばしっこく、逃げ足も速く、手練れの近衛騎士も捕まえることが出来ない。口の悪い近衛騎士が付けた異名は『コボルト皇女』だ」


「ああ~! 誰が『コボルト皇女』じゃ! あんな雑魚魔物と一緒にしよって! 今の発言不敬! 不敬じゃ! 主も不敬罪じゃ!」


「私が登城した時にご不在だったのも、式典が面倒だと逐電ちくでんされた、とも聞いたな?」


「不敬は不敬なのじゃ!」


「君しか聞いていないから問題ないさ」


 ミナがクスクスと笑う。


 本に口が達者になったものだ。


 言葉戦の鍛錬が、こんなところで活きておる。


 子供相手に負ける道理はなかろうが、自称皇女に諦める様子はない。


「そうじゃった! 帝室の紋章が入った短剣を見せたではないか! あれはどうなった!? 確認したんじゃろう!?」


 問われたミナは、大机の上に並べた自称皇女の持ち物の中から、柄から切っ先まで一尺にも満たない短い剣を取り上げた。


柄頭つかがしらつば、そしてさやに施された帝室の紋章……確かに本物に見える……」


「じゃろう!?」


「……だが、本物らしく作られた偽物の可能性もある」


「ぬうっ! 疑り深い奴!」


「そんなことを言われても……。然るべき文書で身の証を立てられない者を本物と認める訳には……」


「ええい! この石頭めっ!」


「何と言われてもダメなものはダメだ。貴人の名を騙る犯罪者は多いんだからな」


「おのれ……! 悪党が野放しとは、光輝ある帝国の名に泥を塗るも同然! 帝都に戻ったら、職務怠慢のかどで内務卿と司法卿を吊るし上げてくれるのじゃ!」


「とにかく、十二歳の皇女殿下が帝都から遠く離れたアルテンブルグに、たった一人でいらっしゃる道理がないじゃないか」


「街の宿に供がおると言うたじゃろう!? そちらはどうなったのじゃ!? あ奴が身分を証する手形を持っておるんじゃ!」


「一応、人は向かわせたが……」


「早うせいっ!」


「おい、自称皇女」


「誰が自称皇女じゃ!?」


「其方だ、其方。そろそろ何者か明らかにしてはどうだ? 皇族の名を騙れば不敬のとがを受けるとミナから聞かされたであろう?」


何遍なんべん本物と言えば分かるのじゃ!? 珍妙な格好をしくさりおって――――ぬばっ!? にゃ、にゃにをふふ!?」


 とりあえず、『珍妙』と申す言葉に腹が立ったので頬を摘まんで軽く引っ張っておいた。


「おおっ……。何と柔らかい頬だ。見てみよ。こ奴の頬、不可思議な程に伸びるぞ?」


「ひゃめよ~!」


「シンクロー……。子供をからかって遊ぶのは止せ……」


 呆れ顔で呟くミナ。


 そんな顔をせずに触ってみれば良いのに……。


 突き立てのもちの如く柔らかな触感なのだぞ?


「……仕方ない。ほれ」


「ふぁいた! ぶ、無礼者!」


「人の格好を『珍妙』とほざいておきながら何が無礼か? 其方、首を落とされんだけマシだと思えよ?」


 わざとらしく、「チャキン!」と大きな音を立てて刀の鯉口こいくちを切ってやると、さすがの自称皇女も「ぬおっ!」と叫び、身体を後ろに逸らそうとした。


 まあ、荒縄で雁字搦めのせいで身動き一つ取れんのだがな。


「ひいいいいっ! 何と野蛮な奴なのじゃ! 子供の可愛い失言一つにいきり立ちよって――――――――おや? その剣――――」


「気を付けてくれよ?」


 自称皇女が何か呟きかけたところで、ミナが取りなすように間に入る。


「信じられないかもしれないが、シンクローは異世界から来た人間なんだ」


「…………異世界、じゃと?」


「そうだ。異世界人に私達の常識は通用しない。最も注意すべきは、彼らが自身や仲間の名誉を何よりも重んじることだ。それも異様な程にな。名誉を汚されたと感じたが最後、カタナと呼ばれる曲刀を抜き、首を斬り落とさんと襲い掛かって来る。狂戦士バーサーカーを遥かに超える戦闘民族だ。とても危険なんだぞ?」


「名誉を異様な程に重んじる……じゃと?」


「君は運が良かった。私がいれば取りなすことが……出来なくもない気がする」


「待てい! その言い方は不安を煽るのじゃ!? 本当に頼っていいんじゃろうな!?」


「まあ任せてくれ。なるようになるだろう」


「……おい、ミナよ。黙って聞いておれば俺を何だと思っておるのだ?」


「嘘は言ってない」


「嘘は申しておらずとも、その例えはどうにかせい。異界の者にとって『ばあさあかあ』は魔物同然なのであろうが――――」


「――――これ、主よ?」


 ミナに言い返そうとすると、自称皇女が俺を呼んだ。


「シンクロー……でよかったかの? 主の名は?」


「……斎藤新九郎。氏が斎藤、名が新九郎だ」


「ほう? 氏と名が我らとは逆か? 面白いのう……」


「名が知りたかっただけか?」


「いいや……。面白いことが分かった、と思うてな」


 自称皇女は「くっくっく……」と、何かを堪える様に笑った。


「氏と名は逆……名誉に異常な拘り……そして、帝国の誇る碩学せきがくが手を尽くしても出所を突き止められなんだ曲刀………………まるで、ホーガン様の如しじゃのう? ん?」


「何?」


「ホーガン様の剣の話……どうして君みたいな子供が!?」


九郎判官ほうがんの太刀は滅多に表に出ぬ国宝であったな? 何故知っておる?」


「決まっておる。この目で見たことがあるからじゃ――――」


「――――姫様っ!? 姫様は何処いずこっ!? ドロテア・フォン・ヘスラッハ、御前に参りました!」


 屋敷の玄関の方から、若い娘の叫ぶ声が聞こえてきた。


「ヴィルヘルミナ、シンクロー。そろそろ縄を解いてはどうじゃ?」


 自称皇女が不敵な笑みを浮かべた。

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