第94話 「敵の言い分は十分聞いた」真打が登場した

「――――山県勢、足軽衆を進めてござります!」


 竹梯子の上から忍衆の声が飛ぶ。


 カヤノは詰まらなそうに大欠伸をするのみだが、あれが暇そうにしておるならば、慌てるべき事など何もなさそうだ。


 間もなく――――、


 ダァ―――――――ンッ!

 ダァ―――――――ンッ!

 ダダァ―――――――ンッ!


 西の方から鉄砲を次々と放つ音が響く。


 体勢を立て直そうとした敵勢は馬上衆がことごとく崩し、敵将は首を討たれた。


 山県は今ぞ全軍挙げた攻め時と見定めたのであろう。


 鉄砲の音が響く度、転がるように逃げる敵兵は数を増す。


 あらぬ方向に逃げ出そうとする者は、馬上衆が駆け回って見逃さぬ。


 もはや留まる敵勢なし。


「爺」


「はっ」


「馬廻衆を動かす。鉄砲を撃ち掛けながら南へ進むぞ。敵勢をビーナウとネッカー川で挟み撃ちする」


「応っ!」


 佐藤の爺が直ちに奉行衆へ指示を始めた。


「左馬助」


「はい」


「忍衆の首尾は?」


「抜かりないかと」


 左馬助がニヤリと笑った。


 敵陣に入り込んだ忍衆は健在らしい。


 任せたい役目はまだまだ残っておるからな。


 健在でいてくれなくては困る。


 とは申せ、いつもながら如何なる手段を使って確かめておるのかのう?


 こればかりは忍衆の秘伝だと申して教えようとせん。


 それはさて置き、次は――――、


「――――ヨハン」


「はいっ」


「異界の衆は馬廻鉄砲衆の後につけ。敵と槍を合わせる事になれば、真っ先に敵と切り結んでもらうぞ」


「この時を待ちわびておりました。必ずや御期待に沿った働きをしてみせます!」


「うむ。励めよ」


「はいっ!」


「ミナとクリストフは――――」


「分かっている」


「剣を振るうばかりが戦ではない、ですね?」


「左様。出番までしばし待て」


 二人が「任せろ!」と頷く。


「若っ! そなえが整いましてござりますっ!」


「よしっ! 狼煙のろしを上げよ!」


 ヒュ――――――――ポォン!


 天高く上がった狼煙が白煙と共に弾けるや北西から―――


 えいえいっ!

 おおおおおおっ!


 えいえいっ!

 おおおおおおおおおっ!


 えいえいっ!

 おおおおおおおおおおおおっ!


 ――――ときの声が三度みたび上がった。


 敵本陣を落とした九州衆だ。


 再び攻めに乗り出す体勢は整い、意気は天を突かんばかりに高い。


 一戦終えて間もない軍勢とは思えぬほどだ。


 あちらも備えは万端か。


「貝を吹け!」


 ブオオオオオ――――――――!


 ドンドンドンッ!


 ドンドンドンッ!


 法螺貝ほらがいの音が戦の開始を告げる。


 陣太鼓が小気味良く打ち鳴らされ、これに合わせて楯を持った徒衆かちしゅうが前へ進み始めた。


 逃げ散る敵勢とは三町近く離れておるが、馬廻鉄砲衆が鉄砲を撃ち掛け始めた。


 弾も込めておらぬし、斉射でもない。


 敵があらぬ方向へ逃げぬよう、音にて脅し付けられればそれで良いのだ。


 故に釣瓶つるべ撃ちにて放ち、鉄砲の音を途切れさせない。


 西の山県勢、北西の九州衆からも、鉄砲の音が盛んに響く。


 陣から追い出された敵勢は、ビーナウへ攻め寄せる敵勢へ向かって後ろも振り返らずに駆けて行く。


 そうだ。それで良い。


そのまま合流しろ。


 士気は地に墜ち、腰が砕け、率いる者を失った奴原やつばらが、千も二千も駆け込んで来れば如何になるか。


 たとえ備え固き軍勢であろうと兵に乱れが生じ、戦うどころでなくなるは必定。


 いや、藤佐とうざの奴めが随分張り切って、散々に敵勢を叩いてくれたようだから、ビーナウの敵勢も屋台骨がきしんでおるかもしれんかのう?


「ねえ、ちょっと」


 宙に浮いて半分寝ておったはずのカヤノが、不機嫌そうな顔をして俺の元まで下りて来た。


「如何した?」


「どうしたもこうしたもないわ。ほら、あれ……えっと……ナントカ子爵って奴?」


「ブルームハルト子爵か?」


「そうそれ」


 敵総大将の名が告げられて、ミナ達は「何事か?」とカヤノへ顔を向けた。


「子爵が如何した?」


「馬で駆け回って大声で何か怒鳴ってる。怒っているのかしら? 味方を剣で刺したみたいだし」


 穏やかではない話に、ミナとヨハンは顔色を変える。


 何か申そうとしたが片手を上げて制し、カヤノに尋ねた。


「子爵は如何なる事を申しておった?」


「私の子達から離れているからあんまり聞き取れなかったんだけど」


「構わぬ。話してくれ」


「『敵前逃亡は重罪だ!』って言葉が何度も聞こえたわ。あとはよく分かんないけど、逃げるな、戦えって感じ」


「どうやら軍勢が崩れるのを防ごうとしておるらしいな。逃げる兵を斬ったか」


 左様に申すと、ミナやクリストフは顔をしかめた。


 一方、左馬助は冷笑れいしょうする。


「今この時にあっては愚策でござりますな。兵が己に刃を向けるとは思わぬのでしょうか?」


「思っておらぬであろうよ。その事に思い至る者ならば、そもそも斯様に無様な戦はしておらぬ」


「軍勢の結束を守る事の出来なかった者が兵に結束を説くとは滑稽こっけいでござりますな」


「細かい事はどうでもいいのよ」


 カヤノは童女わらわめが拗ねるように頬を膨らませた。


「あいつって私の子達を伐らせた張本人でしょ? ようやくあいつも終わりだって思ったのにまだ抗おうとするなんて! ああもうっ! 腹が立つわ! 早くやっつけて!」


「任せよ。さして待たせぬ」


カヤノが「お願いよ? 長く待たせたら……」と歯ぎしりするのを横目に、ミナとクリストフを呼び寄せた。


「敵勢との間はまだ開いておるが、カヤノの申す通りならば頃合だ。手筈てはず通りにな?」


「任せてくれ」


「必ずやり遂げて見せます!」


 二人を伴って前へ出る。


 敵勢とは、まだ二町ばかり離れておった。


 ミナが馬上で剣を抜き、前に切っ先を向けて構えた。


「風よ吹け吹け、音を乗せ、遠く遥かに吹き行けよ……」


 風の魔術を起こす呪文を唱える。


 ネッカーの戦でも、ゲルトとカスパルと対峙した折に使った、彼方かなたまで声を届ける魔術だ。


『我が名はヴィルヘルミナ・フォン・アルテンブルグ! アルテンブルク辺境伯アルバンの娘である!』


 戦場にミナの声が響く。


 竹梯子の上から「敵勢こちらへ顔を向けております!」と忍衆が叫んだ。


『貴公らは何故我が領へ攻め込んだ!? これは無法な侵略行為である! 我が父アルバンに代わってこの私が侵略者を打ち払ってくれよう!』


『――――騙されてはならんっ!』


 今度は敵勢から風の魔法を使った声が届いた。


 この声はブルームハルト子爵の声で間違いなかろう。


『辺境伯が御病気の隙を突き、辺境伯家はサイトーとか言う怪しげな男に乗っ盗られた! 辺境伯は病の為に正気を失っておしまいになり、御令嬢も乱心した! 辺境伯家は今やサイトーの意のままに操られている! 我らは辺境伯家の寄騎として、家臣として、心有る者を糾合し、辺境伯家から奸賊かんぞくを追い出す為に立ったのだ!』


 好き勝手な事を申すものよな。


 ミナが「お父様も私も狂ってしまったらしい」と苦笑いした。


 クリストフは「あれは本気で信じているようですね……」と呆れ声で呟く。


「我が父ながら『騙されてはならん!』とはよく言ったものです。自分が騙され、踊らされていた事には気付かないのでしょうか?」


「夢にも思っておるまいよ」


「父が本当に心有る者ならば、やるべき事は挙兵する事ではなく、いち早く辺境伯の御前へ参上する事だったでしょうに……」


 俺達が話している間にも、ブルームハルト子爵は己の言い分をがなり立てておる。


「さて、敵総大将の言い分は十分に聞いた」


「それでは……」


「うむ。次はこちらの番だ。我が方の総大将に御出おいで願おう」


 左馬助が陣の後方へ向かって指示を出すと、四人掛かりで担いだ駕籠かごがゆっくりと前へと出て来た。


 静かに下ろされた駕籠から、一人の人物が姿を現した。


 足取りはまだ覚束おぼつかない。


 ミナとクリストフが慌てて支えようとするが、その人物は剣を杖代わりにスッと立った。


『――――従って我らがアルテンブルグの秩序を回復し――――』


『……久しいな。ブルームハルト子爵』


『――――何? そ、その声はまさか……!?』


『我が名はアルテンブルク辺境伯アルバン。残念ながら、私は正気だ』


 辺境伯は前方をキッと睨みつけ、静かに怒りを燃やしておられた。

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