第92話 「あれこそ乗崩」異界の衆は馬上衆の業に舌を巻いた

「馬上衆っ! 幾筋にも分かれてござりますっ!」


 竹梯子の上から報せが飛ぶ。


 静々と動いていた馬上衆がいくつかの組に分かれた。


 数騎しかない組もあれば、十騎程度の組もある。


 大きな組は二、三十騎もあろう。


 ブォォォォォォォォォォォォォォォ―――――――――――――――ッ!


 法螺貝ほらがいの音が鳴った。


 ミナ曰く、異界の者にとって貝の音は、不気味で心が搔き乱されると音なのだと言う。


 くぐもった低い音に心の臓を鷲掴みにされそうなのだと。


 思いは敵も同じなのであろう。


 貝の音が鳴り響いた瞬間、誰もが同じ方向へと顔を向ける。


 目に入るのは、貝の音以上に恐怖を掻き立てる光景であろう。


 赤備えの騎馬が喊声かんせいと共に迫り来る姿だ。


 集まり掛けていた百人ばかりの敵兵が早くも崩れる。


 逃げる兵が出た為だ。


 直後、馬上衆三十騎がこの敵勢に襲い掛かった。


 とは申しても、敵中に突っ込むような真似はせぬ。


 敵勢をかすめるように駆け抜けるのだ。


 ミナ達が不思議そうに呟いた。


「どうして敵を目掛けて突撃しないんだろう? 敵を討ち取る好機と思えたが……」


「ですね。それに武器も持つ者も少ない……。剣を抜いた者も少数しかいません」


義兄上あにうえ、これは一体……」


「騎馬のまま攻め入れば、敵には死人や手負いが数多く出よう。だが、こちらも只では済むまい。馬から落される者が出ようし、馬も傷を負う」


「無傷で済む戦はないと言った者の言葉とは思えんぞ?」


「戦は無傷では済まぬが、無用な手負いは避けねばならん。今は逃げ散る敵を一つ所へ追い込む時。無理に戦う必要もあるまい」


「武器を持たない事もそれが理由でしょうか?」


「無理に戦う必要が無い事も理由だが、そもそも馬上で槍や太刀を振るう事は難儀なのだ。下手に扱えば敵を斬る前に馬を斬る事にもなりかねん。南北朝の争乱華やかなりし頃は馬上の打ち物が盛んだったと聞くが、その難しさ故に短い間で廃れてしまった」


「ナンボクチョーと言うのはよくわかりませんが、異世界の戦い方は驚く事ばかりですね。こちらでは騎兵と言えば槍や剣を構えて一斉に集団突撃と決まっているんですが……」


「日ノ本では意味がない」


「え?」


「左様な事をすれば弓鉄砲の的にしかならぬ。よしんば弓鉄砲を避ける事が出来ても、後には長柄ながえ衆の槍衾やりぶすまが待ち構えておる。長柄の頑丈さは馬鹿に出来ぬぞ? 一筋に突っ込んで来る騎馬を相手にしても、良くしなって折れる事がない。自ら串刺しとなりに来るようなものよ」


「そ、そんなに頑丈なのですか?」


「うむ。それより異界には魔法があるのだ。馬鹿正直に突っ込んで来る騎馬など魔法で吹き飛ばせば良いではないか。何故なにゆえせんのだ?」


「それは……」


「何だ?」


「いえ、その……。騎兵の一斉突撃を前にして、冷静に迎え撃てる兵は多くありません……。その場に留まるだけでも相当に勇気がいる事です」


「魔法は発動さえすれば強力だが、発動まで時間が掛かる。術者によって発動時間もバラバラだ。騎馬の速さに合わせて使うのは難しい。カサンドラやクリスなら対処出来るだろうが、そこまで腕の立つ術者は数少ないからな」


「ほう? 魔法も案外使い勝手が悪いな。ひとりでに動く大筒おおづつとは我ながら上手く言ったものよ。威力もる事ながら、欠点まで似通っておるとはな。やはり魔法は野戦のいくさには不向きかなのか? とすると城を攻めるか、守るかで使う――――」


「若、若。戦の最中に考え込まないで下され」


 左馬助が苦笑いしながら戦場いくさばを指差した。


「御覧下さい、各々方。馬上衆の武器は打ち物のみに非ず。人馬そのものが武器にござります」


 百ばかりの敵勢に襲い掛かった馬上衆は、馬首を巡らし次は五十ばかりの敵勢に襲い掛かろうとしていた。


 此度は俺達の方からも一騎一騎の動きが良く見える。


 敵勢をかすめるよう駆け抜ける動きは先程と同じだが、その最中に何をしているか、ハッキリ見える。


 駆け抜け様に敵兵を倒し、後ろに続く馬上が馬蹄で踏み殺していく。


 抗おうと集まる敵勢を見付けては、すかさず馬首を向け、掻き乱して陣を崩す。


 得物を持たずとも馬の動き一つで敵を翻弄ほんろうし、蹂躙じゅうりんし、立ち直る隙を与えない。


「凄まじい馬術の腕です……!」


「人も馬も武器を持つ敵兵を恐れていない……!」


「あれこそ乗崩のりくずしにござります。馬上巧者が揃う甲信関東の衆なればこそ、でござりますな」


 左馬助が胸を張った。


 望月の家は信濃の名族。


 いにしえには朝廷が設けた官牧かんぼくを任されていたとも聞く。


 今でこそ忍衆の頭領をやっておるが、馬に対する思い入れは人一倍強い。


 馬上衆の働きぶりに感じ入るものがあるのであろうな。


 左馬助の誇らし気な姿に触発されたのか、黒金くろがねが「俺も戦わせろ!」を言わんばかりに「ぶるるッ!!!」といなないた。


「こらこら落ち着け。もそっと我慢せぬか」


「ぶるうっ!」


「我慢せいと申すに。わがままを申す者は戦に出してやらんぞ?」


「ぶる? ぶるるるる……」


「よしよし。分かれば良いのだ」


「ぶふっ……」


 黒金の首を撫でているとミナが呟いた。


「異常なまでの戦意……。やはり魔物か――――」


――――とな。


 この間にも馬上衆の戦は続く。


 ダァ――――ンッ!


 戦場から鉄砲の音が一つ、二つと響いた。


 鉄砲衆の甲高い鉄砲の音とは違う。


 重く、低い鉄砲の音――――。


 馬を巡らすだけではない、馬上衆の別の戦いが始まろうとしていた。

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