第88話 「無傷で終わる戦なし」九州衆の戦が始まった

「山県勢っ! 布陣を終えたよしにござりますっ!」


 五、六間ばかりあるたけ梯子ばしごの上から左馬助配下の忍衆しのびしゅうが叫ぶ。


 赤備えの具足ぐそくを身に付けたままで、竹梯子の先まで登った上に、足とももだけで身体を支えて背伸びをしてな。


 戦場いくさばでは見慣れた光景だが、何度目にしても見事なたいさばきと申せような。


 左様に感じたのは俺だけではないらしい。


 異界の衆は竹梯子を見上げて感心しきりだ。


「シノビシューとは熟練の曲芸師なのか? 鎧を着てあんな真似を……」


 ミナは「すごい……」と呟き、


「異世界の鎧兜よろいかぶと板金鎧プレートアーマーと比べれば動きやすくはありますが、あんな高い場所で自由に身動き出来るほど軽くもありません……」


 己も赤備えの具足を着るクリストフは「あんな真似が出来るなんて信じられません……」と首を振り、


「……もう驚く事などないと思っていましたが、一時間に六度か七度は何かに驚いている気がします……」


 ヨハンは目を丸くしていた。


 左馬助が「手の者をお褒めいただき光栄にござります」と得意気な顔をしておる。


 ちなみにカヤノは、


「……じゃあ私はもう寝ていていいわよね? 早くあいつら追っ払ってね?」


と、自分の役目はもう終わりで構わぬであろうと大欠伸をしておる。


「怠けるには早過ぎよう。戦が終わるまでは敵の動きをしっかと追ってくれ」


「…………精霊遣いが荒いわ」


 ブツブツと文句を言いつつも、竹梯子と同じ高さまで浮いて行った。


 カヤノの大樹を通して戦場いくさばの光景は見えているはずなのだが、対抗心でも芽生えたのかのう?


 忍衆がカヤノの姿を目にして肩を揺らす。


 驚いたらしいが、落ちるような無様を晒すことはなない。


 何を話しておるのか、二言、三言、言葉を交わした後、戦場いくさばの動きを追い始めた。


 次の報せは直ぐにもたらされた。


「九州衆も布陣を終えたよし! 敵本陣の戌亥いぬい三町ばかり!」


「連中がなんか慌てているわよ。矢を射始めたみたい。全然届いていないけど」


「敵は陣内に留まっておるか!? 陣の外へ出る気配は!?」


「ござりませんっ! 先刻までは陣内で列を整えんとしておりましたが、山県勢が布陣を終えた直後より、陣内各所に兵を配して守りを固めておりまする!」


「よしよし。退口のきぐちを絶つ役目、山県と小幡に任せて正解だったようだ」


「てっきり馬だけで向かうものと思っていたんだが……」


「ミナ? 如何した?」


「いや、歩兵を随伴するより馬だけを走らせた方がより早く退路を絶てるだろう? 歩兵も一緒に連れて行くと聞いた時は動きが遅れないかと心配だったんだ」


「あの者らは馬上ばじょう徒歩かちが共に戦う法をよろしく心得ておるからのう。共に進む法にしてもな」


「そうだな。常識を破られた気持ちだ……」


「如何なる名馬と言えども具足を着た武者を背負って長く走り続ける事は出来ぬ。無理をさせれば潰れよう。戦の本番を前に潰れては本末転倒。詰まる所、人が軽く駆ける程度で歩を進めるのが丁度良いのだ。そして徒歩かちの者共が共に居れば、採れるてだてが増える」


「テッポー、弓、長槍、楯持ち……いるといないとでは大きな違いだな?」


「左様――――」


 ドンドンドンドンッ! ドンドンドンドンッ!


 敵本陣の方角から、小気味良く太鼓を打ち鳴らす音が聞こえる。


 押太鼓おしだいこの音だ。


 九州衆がついに始めた。


 あぶみを足場に立ち上がってみる。


 竹梯子の上ほどではないが、九州衆が動く様が望見ぼうけん出来た。


 俺に倣ってミナ達も立ち上がる。


「――――九州衆! 掻楯かいだてを並べて進み始めました!」


「敵が陣の北西に兵隊を集めているわ。どんどん数が増えてる」


 忍衆は九州衆の、カヤノが敵の動きを伝える。


 何事か相談しておったのはこれかのう?


 どちらの動きを伝えるか役目を分けたのだ。


 しかしあ奴め、あの気難しいカヤノを如何にして言いくるめたのかのう?


 ドンッ!


 ドドンッ!


 九州衆の手前に土煙や炎が上がり始めた。


 風が大きく渦巻き、雷の如き光も走っておる。


「魔法を撃ち始めたみたい。全然当たってないけど」


「九州衆と敵本陣の間は二町ばかり!」


 ミナが訝し気な顔をする。


「二チョー? たしか一チョーが百メートルくらいだったな? 今は二百メートル近く間が開いているのか? 魔法を撃つには早過ぎるぞ」


「魔法が届く頃合は、精々せいぜい一町――百メートルほどだったか?」


「相当に優れた術者なら千メートルを超える事もある。だが、そんな魔法師はほとんどいない。辺境伯領ではカサンドラくらいだな」


「クリスの母親か……。クリスは千に届かぬか?」


「恐らく五百メートルが精一杯だ。それも使う魔法を選んだ上で、だな。炎や雷は勢いも威力も失うだろうし、風は自然の風に吹き散らされる。届くとすれば水か氷だが、きっと殺傷力は残っていない」


「敵は相当に泡を食っておるな?」


「だと思う。魔法の射程距離さえ冷静に見極められない程に……。だがどうするんだ? このまま進めば自分達から魔法の射程内に入ってしまうぞ?」


「ヴィルヘルミナ様、御心配には及びません」


 案ずるミナに、クリストフが奇妙なほど自信有り気に声を掛けた。


「九州の方々ならこう仰るでしょう。『一町駆け抜ければそれで終わり』と」


「なっ……!? そ、そうかもしれないがその間の被害が……」


「無傷で終わる戦などありませんから」


 クリストフは事も無げに申した。


 ミナもヨハンも呆れ顔だ。


 そして――――、


 ダァ――――――――ッン!

 ダダァ――――――――ッン!!!


 クリストフの言葉に応じる様に、鉄砲の音が聞こえ始めた。

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