合戦27日前

第74話 「生まれ変わった気分です」クリストフの瞳から光は消えた

「おお……。壮観だな……」


 眼下の光景を見渡したミナは、感心した様子で呟く。


 俺達が立つのは低く小さな丘の上。


 北を振り返れば三野城が聳え、南を向けば幅の広い河原が東西に続いている。


 そしてその河原には、東に五百の軍勢が、西にも五百の軍勢が三町ばかり離れて陣取り、内習うちならいの準備を整えつつあった。


 とりあえず、分かりやすく東軍、西軍と呼ぶことにしておくか。


 ところで――――、


「――――ミナ、目が輝いておるな?」


「えっ!? そ、そうか?」


「おう。どこからどう見ても輝いておる。だがな、両軍ともに着到したばかり。内習が始まるまでしばし時を要しよう。少し休んでいてはどうだ?」


「配慮はありがたいが遠慮しておく。片時も目を離したくない」


 左様に申すと、懐から手の平大の書付かきつけを取り出し何やら書き留め始めた。


 ペンと申す異界の筆記具がやたらと早く動いている。


「ふう……ヴィルヘルミナは元気よねぇ……。朝早くにネッカーを出て着いたばかりだって言うのにぃ……」


 と、クリスは眠そうに大きな欠伸をし、


「やっぱり好きな事をしているからじゃないですか? でも、軍事演習ってそんなに面白いものなのかな?」


 と、ハンナは首を傾げ、


「騎士ならば興味は尽きません。きっとヴィルヘルミナ様も同じお気持ちなのでしょう」


 と、ヨハンはミナの心情を慮った。


 その言葉通り、ヨハンと共に同行して来た騎士達もミナと同様に興味津々の顔で東西両軍の様子を眺めている。


 だが、クリスとハンナは渋い顔で首を振った。


「騎士様が軍事演習に期待するって気持ちは分かるけどぉ……。アタシ達はもういいかもねぇ……」


「ネッカーの戦いでもう十分って気がします。お腹一杯です」


 二人の言葉を肯ずるように、冒険者の女子おなご達も「うんうん」と頻りに頷いている。


「何を仰います。お二人は素晴らしい経験をなさったんですよ? サイトー様の軍勢と共に戦うなど、我々騎士にとっては羨ましい限り。あのように精強で勇猛な方々と肩を並べる経験は何者にも代え難いものですから」


 二人の言葉を如何様に受け取ったのか、ヨハンは左様な事を口にした。


 クリスとハンナの顔はますます渋さを増す。


「素晴らしいぃ? 羨ましい限りぃ?」


「精強? 勇猛? 何者にも代え難い?」


「え? な、何ですか?」


「分かってないわよねぇ……」


「知らないって幸せですよね……」


「ほら、ヨハンもお仲間さん達も町の中で戦っていたから……」


「ああ……だからアレを知らないんですね……。アレ、を……」


「そうそう。だから都合の良い所しか印象に残ってないのよぉ」


「羨ましいな……。しばらくは幸せな気分でいられますよね……」


「い、一体何なんですか?」


 戸惑うヨハンだったが、クリスとハンナは何かを悟り切った様子で「ねぇ?」、「ですよね?」と頷き合うばかりだ。


「――――申し上げます」


 近習きんじゅうの春日源五郎が具足姿で参上した。


「如何した?」


「はっ。お方様並びに辺境伯夫人のお越しにござります」


「左様か。来たか……」


 辺境伯の奥方と聞いてヨハン達、騎士が集まる。


 書付をしていたミナも慌ててこちらへやって来た。


 向こうを見遣ると、佐藤の爺に先導され、周囲を赤備えの侍衆に守られて、母上と奥方が並んでやって来るところだった。


 母上が「新九郎~!」と手を振る。


 母上がおるならば、もちろん四人の弟妹達もいるはずだが…………。


 はて? おかしいぞ?


 あの四人は何処に行った?


「はなせ~っ! やちよ~!」


「さまのすけはあっち行け!」


「兄上はどこじゃ!?」


「ミナさまもどこじゃ!?」


「はいはい。今日は遊びではござりませんよ。あちらで大人しくしていましょうね?」


戦陣せんじんにおいては濫りに高声こうせいを発してはなりませぬ。軍法に反する者は打ち首ですぞ」


 八千代と左馬助に取り押さえられ、母上と奥方の為に設けた桟敷さじきへと連れて行かれた。


 ミナが安堵の表情を浮かべる。


「ふむ。猛獣共は退治されたか」


「まあ! 己の弟と妹に何て言い草ですか!?」


 ようやく近くまでやって来た母上が、頬を膨らませて怒る。


「ほんの冗談だ。それはさておき、父上と辺境伯はまだ無理であったか?」


「遠出はまだ早いと曲直瀬まなせ先生に止められたのです。直前まで参るおつもりだったのですけれど……」


「あの……お父様のご体調は良くないのですか?」


「安心なさいヴィルヘルミナ。一月前とは見違えるほどですよ。何年もの間、病床にあったとは思えないくらいです」


「よ、良かった……」


「これもサイトー殿のお陰です。本当に何とお礼を申し上げればよいのか……」


「礼には及びません。ところで奥方、こちらの者達に声を掛けてやって下され」


 ヨハン達が奥方の前に膝を突いた。


「ネッカーへ出仕して下さった方々ですね? サイトー殿から話は伺っております」


 奥方はヨハンを始め、その場にいた者達の名を次々と呼んでいく。


 事前に各人の名と外見の特徴を伝えはしたが……。


 初めて顔を合わせる者ばかりにも関わらず、まるで年来の旧臣を引見しているかのようだ。


 ヨハン達はあまりの感激に言葉を失い、嗚咽おえつを漏らす者もいる。


 ミナは膝を突いてヨハンの肩をさすり、クリスとハンナは貰い泣きだ。


 ミナと言い、辺境伯と言い、この奥方と言い…………。


 辺境伯家は大きく力を失い、外面の上では崩れかけておったが、その中にはぎょくが残っておった。


 朽ちず、腐らず、命脈を保っておったわ。


 寄騎貴族や家臣共とは雲泥の違いよな。


「そう言えば……クリストフは如何した? 共に参れと申し付けたはずだが?」


「ああ、それなら――――」


「――――ここにおります」


 母上と奥方を護衛していた赤備えの一人が進み出た。


 その場でかぶとと脱ぎ、面頬めんぼおを外す。


「……背の低い者が一人おるとは思ったが、お主であったか」


「はっ。クリストフ、参りました」


「ほう……。覇気のある声を出すようになったな。顔付も引き締まったな」


「お方様と九州の方々に鍛えていただきました。もうひらかれるとは正にこの事。生まれ変わった気分です」


「左様か。それは重畳ちょうじょう


「それもこれも義兄上あにうえの御指図の賜物たまものにございます」


「うん? 義兄上だと?」


「お方様よりお許しをいただきました」


「おい母上」


「そんな顔をするものじゃありません! 減るものじゃなし! あなたをこんなに慕ってくれているのですよ? この際ですから義兄弟の契りでも結びなさい!」


「また勝手な事を……」


「それにね? 有望株は青田買いしておかないと」


「何だと?」


「お松達もあと数年すれば……ね? おほほほほほ…………」


 母上め、クリストフを妹達の誰かの婿にするつもりだな?


 相手が気付かぬ内に外堀を埋めてしまう気か?


 これは母上のお考えなのか。


 それとも父上か丹波あたりが入れ知恵でもしたか。


 もしくはその両方か…………。


 まあ良い。悪い話ではないからな――――。


「――――で? クリストフも内習に加わるのであろう? 東西いずれに付く?」


「西――九州衆に加わります」


「うむ。それが良かろう。励めよ」


「はっ! 敵方大将の首級しるしをあげる覚悟で臨む所存にござります」


「はっはっは! 言いおるわ! だがこれは内習うちならい。程々にな?」


「義兄上とは思えぬお言葉です。武士に試合なく、ただ死合しあいあるのみにございます。剣を手にするならばなおの事。る覚悟で臨まねばこちらがられましょう」


 クリストフの瞳が猛禽もうきんの如く鋭くなった。


 ヨハン達がざわつく。


 ふむふむ……。良い具合に仕上がっていそうだな……。


「良かろう。見事な覚悟である。もはや申すべき言葉はない。存分にって来い。ここでとくと見ておるぞ」


「はっ!」


 答えたクリストフは丘を下り、九州衆の陣へと向かって行く。


「ク、クリストフ殿はあんな雰囲気の人物だったか? まるで別人に会ったような……」


 気圧されたように呟くミナに、ヨハンやハンナも続く。


「研ぎ澄まされた刃物のようでした……。あんなお姿はこれまで一度も……」


「って言うか息が詰まりましたよ! すっごく異世界のサムライっぽくなってますって! クリスさんもそう思いません!? ……あれ? クリスさん?」


 反応のないクリスに全員が振り返る。


 当のクリスは、両手で頭を抱えてワナワナと震えていた。


「な……何てことなのぉ…………」


「クリスさん? どうしたんです?」


「ハンナ……。あなたは気付かなかったのぉ? 皆も気付かなかったのぉ?」


「え? 雰囲気が変わったことですよね? それはもちろん気付いてますけど――」


「違うわぁ。クリスちゃんの瞳よ……」


「瞳?」


「クリスちゃんの瞳から……ハイライトが消えていたわ!」


 皆が顔を見合わせる。


 俺は当然として、異界の者達も『はいらいと』の意味が分からないらしい。


「おばあちゃんから聞かされた魔道具師代々の言い伝え……本当に実在するなんて……」


「おいクリス。何を申して――――」


「だから瞳からハイライトが消えていたのよぉ! どうして気付かないのぉ!? クリスちゃんは……クリスちゃんは…………」


 クリスは恐ろし気に震えながら自分の両肩を強く抱いた。


「クリスちゃんは……闇落ちしちゃったのよぉ!?」


 うむ、さっぱり分からん。

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