第73話 「犬畜生と誹られようと本意を遂ぐが武士」新九郎は語り、左馬助は頷いた

「失礼いたします。クリストフ、参りました」


 折り目正しい挨拶と共にクリストフが部屋に入る。


 室内には俺と左馬助の二人がいるのみ。


 ミナも八千代も、そしてヨハンもいない。


 訝しく思ったのか、クリストフは僅かに眉根を寄せたが、俺が椅子を進めると素直に従った。


「済まなかったな。こんな夜更けに呼び出して」


「いえ……まだ起きておりましたから。僕一人だけ……一体何の御用でしょうか?」


「ミナやヨハンがおらぬ事が気になるか?」


「はい。サイトー殿とモチヅキ殿のお二人しかおられないなんて……これではまるで密談です」


「率直な物言いよな。ならば俺も率直に問うとしよう」


「問う? お話し出来ることは全てお話しましたが……」


「ふむ……。さすがは帝都に遊学しただけはある。賢しき話し方をするものよ。左馬助も左様に思わんか?」


「然り、でござりますな」


「あの……それはどういう意味なのでしょうか……?」


「お主、たった今『話が出来る事は話した』と申したな?」


「はい」


「では、『話したくない事』や『話すべき事』は話したか?」


「…………!」


「図星か。動揺が顔に出ておるぞ?」


「……っ!」


斯様かような所は年相応よな。まだまだ経験が足りぬと見える」


「クリストフ殿はまだ十二。元服にはちと早うござりますからな」


「……あと一月もすれば十三です。元服してもおかしい歳ではありません」


「おお、左様でしたか。確か異界では生まれた日に歳をとるのでしたな。失敬失敬……」


 悪かったとは到底思えぬ口調で謝る左馬助。


 クリストフは悔し気な様子で眉間に皺を寄せた。


「僕の歳はどうでもよいことではありませんか? 本題に入って下さい」


「そうであったな。では、改めて尋ねよう」


「はい」


「お主、何故なにゆえ母親の話をしなかった?」


「え? それはどういう意味で……」


「昼間、お主は己の身の上を語ったな? 父親や親族への嫌悪も露わに、連中が如何に信を置けぬ者共か語っておった。だがしかし、その中に母親の話はなかった」


「ブルームハルトの実権を握るのは父、周りを固めるのは親族達です。母には何の権限もない……。語る必要はないはずです。それに僕がネッカーへ来たのはヨハンが心配だったからです」


「お主の言葉に嘘はないのであろうな。だが、全てでもない。お主の母が父の不義に苦しんだ末に命を失ったと聞けば、無視も出来なくなる」


「……っ! どうしてその事を!? 親族達も知らない話なのに……!」


「敵となり得る者については調べを進めておるのでな。もちろん、お主の父親についてもな」


「一体どうやって……」


「人の口に戸は立てられん。親族は知らずとも、お主の母の死について知る者がお主と父のたった二人とは限るまい。お主の実家で働く奉公人は当然大なり小なり知っていような。だがお主自身が申したように、下の者を蔑ろにする父親の為に秘密を守り通そうとする者がどれほどいるかな? 転ぶ者はどこにでもおる」


「そんな……あなた方は異世界から来たんでしょう? やって来てからせいぜい一月か二月程度のはずなのに……」


「おい。あまり俺を見くびるなよ?」


「うっ……」


 殺意を込めて睨み付けると、クリストフは息を詰まらせ、身動き一つ取れなくなった。


「俺はな、幼き頃より戦陣に身を委ね、幾度も死線を越えて来た。本物の殺意を叩きつけられた気分は如何かな?」


「…………!」


「若、もうその辺りでお止めください。クリストフ殿は元服前。初陣ういじんも済ませておりません。殺気を通り越して殺意とは……さすがに大人気のうござりますぞ?」


「ふむ? そうか? 賢しき者は言葉で説いても己が得心いかずば腹に落ちまい? ならば、己が身を以って経験させた方が良い」


「手前も左様に思いますが、加減をしていただきたいのです。クリストフ殿? 大事はござりませんか?」


「…………はい」


 左馬助に背をさすられ、クリストフはようやっと声を出せた。


「我らは何もクリストフ殿を斬って捨てようとは思っておりませぬ。ただ、素直に洗いざらい話していただきたい……それだけなのです」


 左馬助は穏やかな声で、あたかもクリストフの身を案じているかのようにささやく。


 毎度ながらよくやるのう。


 斯様かように語り掛けられれば、俺でもほだされてしまうかもしれんわ。


 案の定、クリストフは静かに語り始めた。


「……父は女癖の悪い人間です。領民だろうと、使用人だろうと、家臣の妻子だろうと気に入った女には手を出します。ついでに金遣いも荒い。気に入った女に使う為なら際限がないんです」


「うむ」


「そんな性格の父ですから、悪い女も寄って来る。親族衆まで父に取り入るために父が好みそうな女を宛がい始めた。母は父の浮気癖には我慢していましたが、このままでは家を傾けかねないと何度も父を諫めました。しかし父は母の諫言かんげんを受け入れず、暴力を振るうようになり……。そしてあの日、当たり所が悪かったのか母は亡くなってしまいました。一年ほど前の出来事です……」


「左様でしたか。御母上は気の毒でござりましたな。クリストフ殿もさぞや苦しい思いをなさったことでしょう」


「いえ……。僕は逃げたんです。母が亡くなってすぐ、帝都へ遊学する事にしたんです。あんな実家にはいたくないと……」


「しかし地震の話をお聞きになってお戻りなられました。左様に気に病まれる事は――――」


「で? 要は俺を使って母親の仇討ちでもしたかったか? その為にネッカーへ来たか?」


「……!」


 左馬助が「若っ!」と声を上げるが、クリストフが手を挙げて制した。


「ヨハンが心配だった事は本当です。でも……」


「仇討ちの気持ちもあったのだな? 母の事を申せば俺が警戒するとでも思ったか?」


「はい……。欺くような真似をしてしまい、本当に申し訳――――」


「さっさと申さんか!」


「――――え?」


「元服前にも関わらず、母の無念を晴らす為に仇を討つ覚悟……見事である!」


「え? え? み、見事? お、お褒め下さるのですか……?」


「当たり前だ」


「し、しかし! 僕の仇は父です……。親を討とうとする子なんて……」


「道理に背き、天道てんどうもとる行いに手を染めたのは父親ではないか。子が親の非道を正す……これもまた孝行の道であるな」


「ええええええっ!?」


「何を驚く? 得心がいかぬ話でもあったか? のう左馬助?」


「左様な話は毛ほどもござりませんな。クリストフ殿は何に驚いておられるのか……」


「じゃ、じゃあこれならどうです!? 僕はあなた方を利用しようとしたんですよ!?」


「だが、お主自身も父と戦うつもりだったのであろう? 俺に仕える事は父と敵対する事だと、お主は分かっていたではないか?」


「そ、それはもちろん! 他人を戦わせて、自分は高みの見物を決め込むような恥知らずではありません!」


「ならば良い」


「い、良いんですか!?」


「そもそも武士たる者、本意を遂ぐ為ならば、如何なるそしりを受けようとも手段を選んではならぬ。たとえ犬畜生と蔑まれてもな。そうだな左馬助?」


「全く以って仰せの通りにござります」


「え? え? ええっ!?」


「故に、お主は謝る必要などない。本意を隠し立てせず、堂々と胸を張って仇討ちせよ」


「か、隠し立てせず……ですか?」


「そうだ。己の内に恨みを抱え込んでもろくな事にはならんからな」


「然り。明るく朗らかに仇討ちと参りましょう」


「か、仇討ちが明るく? 朗らか? ……か、仇討ちって……何だっけ?」


「む? そんな気にはならんか?」


「えっと……心の整理が付かないと申しますか……」


「ならば仕方がない。お主、三野へ来い」


「ミノ? サイトー殿の領地……ですか?」


「左様。このままネッカーにおればブルームハルトに気付かれる。仇討ちと言う大事を成すにはお主の意図を悟られぬが肝要。一旦身を隠せ。ついでに三野で心の整理とやらをつけよ」


「名案でござりますな。では、クリストフ殿のお世話は佐藤様か利暁りぎょう様に――――」


「いや、母上にしよう。ついでに九州衆にも面倒を見てもらうとするか」


「なるほど! お方様と九州衆ならばクリストフ殿を手厚くもてなしてくれましょう! 間違いなく心の整理とやらもつきましょうな!」


 膝を叩く左馬助。


 ちなみに、母上と九州衆が如何にしてもてなすか仔細を申す事は無い。


 母上に任せれば漏れなく我が弟妹共がくっ付いてくる事も秘密だ。


 ミナを散々にもてあそんだあの弟妹共がな……。


「と言う訳だ。きっと物の見方が変わるであろう。是非とも行け」


「は、はあ……分かりました……」


 こうして、クリストフは三野へ赴くこととなった。


 物の見方が変わる――もとい、人が変わったクリストフと再会するのは十日ばかり後のことである。

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