第71話 「首から血を噴くか、脳天を叩き割られるか」新九郎は脅した

「シンクローは分かっていたのか? 誰かが事の真偽を確かめに来ると……」


 ウッツを見送った後、ミナは不思議そうに尋ねた。


「シンクローもモチヅキ殿もこうなる事を見通しているようだったぞ?」


「多少はな。だが確信があった訳ではないぞ? 異界の民の考えを何もかも見通す事なぞ望めんからのう。ただ……」


「ただ?」


「ゲルトめの悪政のお陰で、民は良い目を見ておらん。憤懣ふんまんは溜まりに溜まっておろう。だが、そんな折にゲルトが討たれた。ゲルトを討ったのは余所者の陣代らしい。すると今度はその陣代めが、直接書状を寄越した上に関銭せきせんを免除すると言い出した。さて? 民は如何に思おうか?」


「う~ん…………期待、だろうか?」


「いや、疑念だな。此度は何の嘘か、何の罠かと疑うであろう」


「おいっ! ダメじゃないか!?」


「仕方が無かろう。悪い時代が長く続けば、お上の申す事など聞く耳持たん! と思う者が多くなる。致し方なき事だ」


「うっ……。それはまあ……確かに……」


「だがしかし、疑うからこそ己の耳目で真偽を確かめようとする者もいる。諦めが半分――――いや、諦めが八割、九割かもしれんが、真実であれば苦しい生活が多少なりとも楽になるのだ。あとは何処の誰が、いつ最初に動くか……だな」


「若の仰せの通りです。最初の一人が現れるまで今少し時を要するかと考えておりましたが、辺境伯領の民は存外肝が据わっておるのやもしれませんな」


「左様左様。こんな何処の誰とも知れない男が陣代をやっておるのにのう」


「然り、でござりますな。取って喰われるとは思わなかったのでござりましょうか?」


「こら左馬助! 俺は人喰い鬼でも山姥やまんばでもないぞ!」


「これは失敬」


 左馬助おどけた感じで頭を下げる。


「シンクローの言いたいことは分かった。でも少し気長過ぎはしないか? それに不正に手を染めた役人を訴え出る仕組みを作るなら、最初の書状に書いておけば信用も増したのでは?」


「二の矢、三の矢の為に取っておいたのだ。真偽を確かめに来る者が誰もいなかった時に備えてな。立て続けに書状が届けば、気持ちを動かされる者も出るかもしれん」


「何っ!? あ、あの書き写し地獄をまたさせる気だったのか!?」


「左様」


「あ、危ういところで地獄を免れたのか……」


「免れておらんぞ?」


「…………え? い、今何と言った?」


「だから免れておらん。他の町や村にも知らせてやらねば贔屓ひいきになるではないか。それはイカン。贔屓は民の信を失う因となる。早速今日から取り掛かってもらうぞ!」


「な、何てことだ…………」


「当家には俺以外に異界の文字を読み書きできる者がおらん。お主らが頼りなのだ。期待……しておるぞ?」


「う……ううう……」


「肩を落とすでない! 当家の右筆衆ゆうひつしゅうならば朝飯前で仕上げてしまうぞ!」


 異界では領主が領民へ直に書状を出す習慣がない。


 定書さだめがきを申し渡すにせよ、年貢高ねんぐだかを申し渡すにせよ、書状は使われていない。


 では伝える方法は何かと言えば、領主の使者が口頭で伝えるか、城や町の門に掲げた高札こうさつを民自身が確かめに来るかのいずれかだと言う。


 紙が貴重だと言う事情もあるのかもしれんが、これでは役人共の不正は防げまい。


 民が領主のお達しを知る為の手段が限られていれば、誤魔化しの利く余地がいくらでも生まれてしまう。


 ゲルトの様な連中がのさばる事も頷ける。


 日ノ本もかつては斯くの如き有様だったと聞くが、これを防ぐには、領主と領民が直接繋がる道を作るしかない。


「――――若? よろしゅうござりますか?」


「八千代か。如何した?」


「例の黒頭巾でござります」


 ウッツとの対面の間、八千代と忍び衆には黒頭巾の見張りを命じておいたのだ。


 何か動きがあったらしい。


「帰途に着こうとした村長さんから、お屋敷の様子を根掘り葉掘り聞き出そうとしておりました」


 八千代の注進を耳にして、肩を落としてブツブツ言っていたミナも顔を上げる。


「何者なんだろう? もしや寄騎貴族や家臣達の間諜?」


「屋敷に出入りする者に何かされても面倒だ。捕えてしまうか」


「はい。若は左様に仰せになると思いましたので――――」


 パチンッ!


「うわあっ!」


 ドサリッ!


「――――捕えておきました」


 八千代が指を鳴らすと、忍び衆と思しき黒装束たちがくだんの黒頭巾を室内へと放り込んだ。


 そして「ご無礼致しました」と申すかの如く頭を下げ、残像すら残さず消えてしまう。


「あ、あれは何者だ!? き、消えたぞっ!?」


「今度ゆっくり教えてやる。まずはこの黒頭巾が先決よ」


「え? あ、ああ……そ、そうだな…………でもやっぱり気になるぞ!」


「分かった分かった。後だ後」


 ミナを適当にあしらい、黒頭巾に近付いた。


 俺の足音に黒頭巾は「ビクリっ!」と肩を震わせたが、荒縄でグルグル巻きに縛り上げられて身動き一つ取れない。


 必死に首を動かすし四囲の様子を確かめようとするも、目に入ったのは絶望的な光景のみ。


 前方には抜き身の打刀を構えた左馬助。


 後方には苦無を逆手に握る八千代。


 逃げ場など何処にもない。


「さて黒頭巾。お主、己の立場は分かっておるな?」


「…………」


「俺の許しなく身じろぎの一つでもしてみろ。首から血を噴き出すか、それとも脳天を叩き割られるか、あるいはその両方か……。血生臭い事になりそうだ」


 俺の言葉に合わせ、左馬助は黒頭巾の喉元に、八千代は黒頭巾の頭を押さえるように、得物を突き付けた。


「ううぅ…………」


 黒頭巾から呻き声が漏れた。


「ふむ? 先程の叫び声と言い……声変わり前かのう?」


「…………!」


「どれ? 顔を見せてもらおうか?」


 目深に被っていた黒頭巾を大きく引き上げる。


 「ほう……」と左馬助が感心の声を漏らす。


 「まあ……」と八千代は口元に手を当てた。


 露わになったのは、金糸きんしの如き美しい髪色をした、女子おなごと見紛わんばかりの美童びどうであった。


 息を飲む。


 一瞬間、手が止まりそうにもなった。


 どうにかこうにか気を取り直し、ミナへ目を向けてみるが「し、知らない!」とブンブンと首を振った。


 どうやらミナも見入ってしまったらしい。


「――――オホン。俺は斎藤新九郎。こちらは辺境伯の御令嬢だ。で? お主は?」


「…………」


「答えた方が身の為だぞ? 素直に申せば悪いようにはせん」


「……………………クリストフ」


「ん?」


「クリストフ・フォン・ブルームハルト……です…………」


 黒頭巾が口にした名には聞き覚えがあった。


 寄騎貴族の筆頭ディートリヒ・フォン・ブルームハルト。


 その嫡男の名であった。

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