第47.5話 ヴィルヘルミナの独白 その陸

「ふへぇぇぇぇぇ………………」


「はあぁぁぁぁぁ………………」


 クリスとハンナが深く息をついた。


 魂まで抜け出てしまいそうなほどに深い。


 そして私も――――、


「――――つ、疲れた…………」


と、全身を重苦しい疲労感に包まれている。


 どうしてそんなに疲れているんだ? だと?


 尋ねる必要などあるか?


 長々と続いた『クビジッケン』のせいに決まっている!


 自分達に敵対した相手の首とは言え、延々と百人分も見せられたんだぞ!?


 大半の首は『ホトケクビ』という穏やかな表情の首だったが、それでも首には変わりない!


 それを……それをだ!


 どうしてシンクローもその家臣達も平然と見続けていられるんだ!?


 それもモチヅキ殿やトーザ殿まで……。


 彼らが善良な人物であることは、短い付き合いでもよく分かる。


 彼らなら、多少は私達と共感してくれるのではないか?


 そう思っていた。


 だが、甘かった。


 『クビジッケン』の間中、モチヅキ殿とトーザ殿は「首の切り口が見事」だとか、「首化粧が上手い」などと、首の品評で話が弾んでいた……。


 くそっ! 狂戦士バーサーカーめっ!


 異世界の者達は揃いも揃って狂戦士バーサーカーだ!


 私が憧れ、夢にまで見たホーガン様の故郷は、狂戦士バーサーカー溢れる魔境だったのだ……。


 ホーガン様の故郷――その景色、文化、風習…………余すところなく記録しようと懐に忍ばせていた手帳は、今や血みどろの目撃談に彩られている。


 思っていたのとこれっぽっちも一致しない!


 全然違う!


 まるっきり違う!


 ホーガン様も、サムライ達と同じだったのだろうか?


 少しはマシであって欲しいと思うが、次の瞬間には首を掲げて高笑いする恐ろし気なホーガン様のお姿を想像してしまう。


 『マシであって』と考える時点で、大なり小なりサムライ達と一緒なのだと認めていることに他ならない。


 幼少時から抱き続けてきた憧れの情は音を立てて崩壊し、やり場のない悲しみが心の中に広がっていく。


 まるで見知らぬ場所に置き去りにされ、行く当てを失ったかのようだ。


 行き場を失った私の気持ち…………一体どうすれば――――。


「――――お悩みのご様子でございますね?」


「きゃああああああああ!」


 背後から肩を叩かれ、思わず悲鳴を上げてしまう。


「あら、失礼。驚かせるつもりはなかったのです。でも、お可愛らしい悲鳴ですこと……」


 振り返ると、「クスクス」と薄い笑いを浮かべる黒髪の女性の姿があった。


「ヤ、ヤチヨ殿!?」


「ミナ様とクリス様とは、大坂屋敷でお会いして以来でございますね。あれからまだ十日も経ってはおりませんが、なぜだかとても久しぶりにお会いした気がします。お変わりないようで何よりでございます」


 ヤチヨ殿は丁寧な所作で腰を折って挨拶をする。


「あ、ああ……色々とあったからな……」


 早鐘のように脈打つ心臓を押さえながら、絞り出すように答えた。


 クリスの方は、未だに『クビジッケン』の衝撃が抜けない様子。

 

 無感動に頷いたのみだった。


「そちらの女性はハンナ様ですね?」


「えっ? あたしの事を知っているんですか?」


「はい。もちろんでございます。若のお側に侍る方々は、漏れなく存じ上げておりますよ?」


 ヤチヨ殿がニコリと笑った。


 魅力的な笑みだ。


 男なら胸をときめかせているかもしれない。


 だが、どうしてだろう?


 ヤチヨ殿が笑みを浮かべた時――いや、『若のお側に侍る方々』のあたりで、背筋を強烈な悪寒が駆け抜けた。


 説明の出来ない恐怖心が、どんどん心に広がっていく。


 クリスやハンナも私と同じだったのだろう。


 感情を失っていたはずのクリスは「はっ」と顔を上げ、ハンナは口元を強張らせて一歩後ずさりした。


 まずい……。非常にまずい! 


 よく分からないが、このまま放っておけば心を壊されてしまいそうな気がしてならない!


 何とかしなくてはっ!


「と、ところでヤチヨ殿はどうしてここに!?」


 叫ぶように問い掛けると、ヤチヨ殿は首を傾げるようにして私に顔を向けた。


 その瞬間、その場を支配していた恐怖の念は霧散する。


「そうでした。お話ししておりませんでしたね」


 語るヤチヨ殿は、いつの間にかごく普通の美しい娘に変貌していた。


 美しい女性に『ごく普通の』と前置きするのはおかしいかもしれないが、『ごく普通』と口にせざるを得なかった。


 それほどに、直前の状況が異常だったのだ。


 私の内心の葛藤を余所よそにして、ヤチヨ殿は説明を始めた。


「わたくしがこちらに参りましたのは、大殿がお命じになられたからでございます。戦の後始末を手伝うよう、仰せ付けられました」


「戦の後始末だって? 女性に出来る仕事は少ないと思うが……」


 何気なく、町の方向へ顔を向けた。


 ネッカーの町では、シンクローの家臣達や金で雇われた農民達の手によって、凄まじい速さで戦場整理が進んでいた。


 戦死者の遺体は町の中から消え去り、戦に備えて町の各所に設けられた障害物――木柵や逆茂木さかもぎは次々と撤去されている。


 通りに散乱していた材木、瓦、石……敵軍への攻撃に使われた凶器達も姿を消し、今はこびりついた流血を洗い落とす作業が行われている。


 町の外では、東の荒れ地で魔物を葬ったように多数の墓穴が掘られ、戦死者の遺体が次々と埋葬されていた。


 ちなみに、埋葬する前には戦死者が身に付けていた武器や防具、所持金など、金目の物は外されて、整然と仕分けが行われていた。


 作業に当たっている者達の手際の良さは目を見張るほど。


 熟練の技と言うべき手付きだ。


 異世界の民にとっては、戦死者の遺品剥ぎ取りが、戦で被った迷惑のせめてもの慰めだとは聞かされたが、ちょっと慣れ過ぎていないか?


 身元が判明した者の遺品は遺族の元へ返すとは聞かされているが……本当に本当だろうな?


 疑問は尽きることがない。


 若い女性がこんな戦場整理を手伝うのだろうかと思っていると、ヤチヨ殿は「此度こたびは違います」と首を振った。


「此度は? 手伝うこともある……のか?」


「はい。ですが、此度は殿方にお任せします。女子おなごには、女子ならではの仕事もございますので……」


「女性ならでは? 戦の後始末にそんなものがあっただろうか?」


首化粧くびげしょうにございます」


 ヤチヨ殿の一言に、空気が凍り付いた。


 クリスとハンナが「ひっ」と息を飲む。


「…………すまない。今何と申された?」


「首化粧、です。討ち取った首に化粧を施すは、武家の女房や娘の役目にございます」


「へ、平気なのか!?」


「はい?」


「恐くはないのか!? ひ、人の首だぞ!?」


「武家の習いにございます。慣れれば単なる流れ作業です」


「流れ作業…………」


「首一つ当たりでご褒美もいただけますので、割の良い内職と変わりません」


「首にお化粧でぇ…………」


「な、内職…………」


 クリスとハンナは、首実検の時以上に顔を青くした。


 私も思わず腰が引けてしまう。


 ヤチヨ殿はさらに言葉を続けた。


「そうそう。大殿とは別に、お方様からも言い付けがございます」


「ミ、ミドリ殿から?」


「はい。若のお側には、ミナ様をはじめ若い女性にょしょうが数多くいらっしゃるのに、お世話をする女子おなごがおりません。実に由々しき事と申せましょう?」


「そ、それはまさか……」


「今後はわたくしが皆様のお世話を致します」


 やっぱりか!


 クリスがすかさず口を挟む。


「い、いやいやいやいや! アタシ達は全然不便を感じてないしぃ! ヤチヨさんはお屋敷にいた方が絶対良いよう! ほら! シンクローのパパも病み上がりだしぃ、弟ちゃんや妹ちゃんもいるじゃない!」


「侍女は他におりますので」


 ――――だが、一言で一蹴される。


 次いでハンナが反論を試みるが――――、


「――――で、でも危険ですよ! これからまた戦いがあるかもしれませんし! あたし達は戦いに慣れているからいいけど――――」


「――――ま、待てハンナ! ヤチヨ殿は――――!」


「ご安心を。戦う術は心得ております。ミナ様とクリス様は、よくご存知では?」


「…………へ? そ、そうなんですか!?」


 クリスと二人で頷く。


 テッポーを撃ちまくり、シンクローを一撃で倒したミドリ殿を難無く抑え込んでしまったあの手際、只者ではないことは明らかだ。


「大坂屋敷は豊臣への人質を住まわせる場。いざと言う時は、大殿やお方様、お子様方をお守りし、豊臣の侍共をことごとりにする覚悟にございました。今更になって、戦を恐れる心など持ち合わせてはおりません。何なら、降りかかる火の粉はわたくしが払って差し上げましょう」


 ヤチヨ殿は不敵に笑う。


「どうぞよろしくお願いしますね? 皆様方?」


 それは悪魔か死神か。


 私達は恐怖に絡め捕られた。

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