第38話 「ミナは俺のものだ!」新九郎は挑発した

「三日ぶりですな、ヴィルヘルミナ様!」


 ゲルトの側に控えた摩法師らしき者が杖を掲げる。


 ミナと同様に、ゲルトの声も平原に響き渡った。


「我々も本当はこんなことをしたくはなかった! しかし……しかしです! 忠誠を誓うべき我が主にして、親愛なる我が甥、アルデンブルク辺境伯アルバンがご乱心めされたならば話は別!」


「乱心だと? 世迷言よまいごとを言うな! 父は乱心などしていない!」


「いいえ! 辺境伯は重い病の末にご乱心召されたのです! それが証拠に、異世界からやって来たとうそぶく怪しげな者共を抱え込んだではありませんか!」


 ゲルトが俺を指差す!


「辺境伯がお倒れになったのも、そ奴らの差し金に違いない! ヴィルヘルミナ様、目を覚ましなさい! 目を覚まして我らの元に来るのです! そうすれば、我々が辺境伯もあたなも救って差し上げましょう!」


 なるほど……要は、この論法で兵を集めたか。


 辺境伯に対して兵を挙げるが、あくまで辺境伯を諫め、いつの間にか入り込んだ怪しい連中を追い出すためだと。


 ミナも辺境伯も騙されていると。


 ふん。まあ、それでも良いさ。


 ゲルト共のこれまでの所業から考えて、どれほどの者達がそんな言い分を信じているのか怪しいものだがな。


 この勝手な言い分に対して、ミナは敢然と反論した。


「年長者であり、我が大叔父おおおじであるゲルト殿には失礼だが、乱心、乱心と、馬鹿の一つ覚えは止めていただきたい!」


「なんですと?」


「実の娘が乱心していないと否定しているのだ! ここ数年は顔も合わせていない貴公が如何いかなる根拠を持って父が乱心したとおっしゃるのか!?」


「私は――――」


「貴公こそ、年を取って耄碌もうろくしたのではあるまいな!? あるいは強欲のあまり目玉が腐り果てたか!?」


「――――なっ!?」


斯様かような軍を起こさねば我が父に諫言かんげんも出来ぬか!? 貴公それでも男子か!? なんと度胸のない! 去勢されたのではあるまいな!? この玉無しめ!」


 ゲルトに動揺の色が見えた。


 当然だ。


 生真面目なミナならば、こんな言葉は決して使うまい。


 ゲルトの挑発に釣られて生真面目に反論してしまい、そうこうする内に言いくるめられるとでも思っていたのだろう。


 だがな、ミナの味方に付いたのは百戦錬磨の日ノ本の侍だぞ?


 鉄砲を放ち、弓で矢を射かけ、槍で打ち合うだけが戦ではない。


 悪口雑言あっこうぞうごんを駆使して敵を言い負かす言葉戦いも我らのお家芸よ。


 連中が兵を集めようともたもたしておる間に、佐藤の爺や左馬助、山県、浅利、小幡に雑賀が寄ってたかってミナに教育を施したのだ。


 簡単には言い負かせぬものと知れ。


 もっとも、真面目なミナはしっかりと悪口雑言を並べ立ててはいるものの、『去勢』の辺りで顔を赤くしているが。


 ゲルトは反論を試みようとするものの、その度に悪口雑言で迎い撃たれて勢いを取り戻せていない。


 ミナの口から、再三に渡って『去勢』、『玉無し』、『臆病者』、『痴れ者』、『卑怯者』、『どケチ』に『吝嗇りんしょく』、『陰険』、『陰湿』とゲルトの悪口が飛び出す。


「ゲルト! 貴様の所業が民から何と言われているか知っているのか!? 曰く『小姑こじゅうとの嫁いびり』だ! 大の男が情けない!」


「――――!」


 ミナの悪口雑言は決して前後の脈絡があるものばかりではない。


 しかし、ゲルトに対する世間の悪い評判を的確に言葉にしているために、何となく正論を述べ立てているように聞こえる。


 一言でも申せば十倍の悪口雑言が返って来る状況に、ゲルトはついに言葉を失った。


 奴はミナを侮り油断していた。


 だからこそ、予想もしない反撃に直面して頭の中を整理できないでいる。


 愚かな奴め。


 俺にやり込められたのを忘れたか?


 ミナでなくとも、俺に言い負かされる可能性に思い至らなかったのか?


 いや、四千の兵を用意出来きたと言う自信が奴を油断させたか。


 自分で墓穴を掘るとは、とんだお笑い種よ。


「――――柔弱な者を女の腐ったようだと評するが、例え女が腐っても、貴様のように腐臭を放つことはあるまい!」


 ミナが言い切ると、平原は静まり返った。


 可憐で凛々しき女子おなごが、腹の出た不健康そうなオヤジを言い負かす。


 斯様かように小気味よい出来事もあるまい。


 ミナの口から出たのは九割方がただの悪口だが、大将のゲルトが言い負かされた事実に、敵軍の兵の間には静かに動揺が広がっているように見えた。


 日ノ本では言葉戦いに応じることを禁ずる大名もいる。


 戦の前に全軍の士気が地に落ちかねない危うさをはらんでいるからだ。


 今の敵軍のようにな。


 さて、緒戦はミナの一方的勝利と言ったところだが……。


「父上! しっかりしてください!」


「カ、カスパル!?」


 ここまで黙っていたカスパルが、耐え切れぬ様子で口を開く。


 当然、この声も魔法の力で平原に響き渡った。


「アルバンだけではない! ヴィルヘルミナもきっと乱心しているのです!」


「な、何?」


「ヴィルヘルミナは生真面目で堅物な娘です! あんな言葉を使える訳がない! きっと、あのサイトーとかいう奴に操られているのです!」


「操られ……そうか! そうだな! きっとそうに違いない!」


「ヴィルヘルミナ! こっちへおいで! この僕が君の目を覚まさせてあげよう! 僕と結婚するれば全てが丸く収まるんだ!」


 この期に及んでカスパルが結婚を口にした。


 ミナに対する執着は薄れていないらしい。


 美しい容姿の娘だからな。


 カスパルでなくとも、手に入れたいと思う男は多かろう。


 当然、こんな呼びかけにミナが応じる事は無い!


「寝言は寝てから言えっ! 貴様の三擦みこすり半で満足出来る女はいない!」


「みっ――――!」


 ミナはもう羞恥しゅうちのあまり頬が真っ赤だ。


 言われたカスパルも憤怒の形相で顔を真っ赤にしている。


 さて、では仕上げといこう。


 ミナの横に馬を並べ、顔を覆っていた面を外した。


「残念だったなカスパル! ミナはお主では満足できん身体になってしまったらしい!」


「貴様はサイトー!?」


 ミナが耳まで赤くしてプルプルと震えておるが、可哀想だが構ってはいられない。


 もう少し耐え忍んでもらうとしよう。


「お主は来るのが遅過ぎた! ミナは俺のものだ!」


「な、何だと!?」


「お主らがグズグズと兵を集めている間に俺がいただいた!」


「ふ、ふ、ふざけるな!」


「この生真面目な堅物が、寝台の上では実に素直に良い声で鳴くぞ! お主が一生かけても拝めぬ姿、聞けぬ声だ! ざまあ見ろ!」


「サイトー……殺してやるっ! ヴィルヘルミナは僕のものだ!」


「ま、待てカスパル! 待つんだ!」


 ゲルトが止めようとするが、もう遅い。


「俺はここだ! 俺を討ち取って手柄にしたい者は追って来い! ミナを捕えて褒美にありつきたい者も追って来い!」


 俺の言葉に敵陣が文字通り揺れた。


 隊列が綻び、前に出ようとする者が出始める。


 俺達の距離は二町。


 追って追えないことはない距離だ。


 よし、もう一押しだ!


「どうした!? たった二十騎に四千人が臆したか!? 主が主ならば臣も臣! この腰抜け共も! 揃いも揃って玉無しか!?」


 ゲルトとカスパルが散々に罵倒ばとうされた後、唐突に自分達もコケにされたのだ。


 怒りを覚えぬ者はいまい?


 さあ、追って来い、追って来い、追って来い!


 何人かが、明らかに隊列より前に出た。


 そうだ。それでいい。


 ミナを促し、馬首をネッカーの町へと向けた。

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