合戦4日前

第32話 「恩義を忘れるは侍の恥」新九郎は辺境伯に進物を届けた

「サイトー殿? そのお姿は?」


 寝台の上に身体を起こした辺境伯が不思議そうに尋ねた。


 ミナや奥方にも同じことを聞かれたが、俺が今着ているのはいつもの小袖こそでではない。


 斎藤家の家紋である撫子なでしこを染め抜いた直垂ひたたれに身を包み、頭には折烏帽子おりえぼしを被って懸緒かけおで留め、腰には太刀をき、脇差わきざしを差している。


「侍の正装にござります。本日はお礼に伺いましたので」


 左馬助に目配せすると、部屋の外から次から次へと長櫃ながびつが運び込まれた。


 あっという間に辺境伯の寝室は長櫃で一杯となる。


 辺境伯は目を丸くし、同席した奥方とベンノ殿は呆然としている。


 ミナが額に手を当てながら俺を見た。


「シンクロー……。加減してくれと言っただろう? 何なんだこの量は?」


「辺境伯は、我らがこの地に住まうことをお許し下されたのだ。ならば相応の返礼をせねばならん」


「ちょ、ちょっとお待ちください!」


 辺境伯が寝台から身を乗り出すように声を上げた。


「サイトー殿らがこの地に住まうことを許したのは事実。ですが、それも魔物退治という条件付き。いわば契約ではありませんか。ここまでの返礼を求めるつもりは……」


「条件があろうとなかろうと、辺境伯がお許し下さらねば我らは完全に寄る辺を失いました。この恩義には報いねばなりませぬ。忘れたとあっては侍にとって末代までの恥にござる。どうか心置きなくお受け取り下さい」


 長櫃の横に控えた家臣達が一斉に蓋を開ける。


 さらに、長櫃には収まり切らなかった品も運び込まれる。


 左馬助が目録を読み上げ始めた。


 まずは太刀を一腰。


 打刀うちがたなと脇差の大小二本。


 朱塗りのやり弓胎弓ひごゆみと弓具一揃い。


 赤糸でおどした甲冑一領――――。


「これは……ホーガン様がお持ちだったとされる武具の数々では?」


「判官の時代のものと姿形は異なりましょうが、当代の侍が使うものでござります」


「この剣……カタナと言いましたか? 本当にいただいてもよろしいのですか? 帝国では国宝級の代物なのですよ?」


「結構です。美濃国は鍛冶が盛んでござってな、刀鍛冶も多い。差し上げても、また作ればよいだけにござります」


「カタナをまた作る……」


 辺境伯は絶句してしまった。


 再現不可能だったはずの品が己の手に入り、無ければまた作ればよいと言われては当然か。


 代わって声を上げたのは奥方だ。


「サ、サイトー殿? こちらの陶器もいただいてよろしいのですか?」


「はい。美濃国では焼き物も盛んに作られております。先日の地震で数多く割れてしまったと伺いましたので持参いたしました。色や形がお気に召せばよろしいのですが」


「お気に召すなんてとんでもない! ちょうど困っていたところだったんです! 陶器は良い粘土と豊富な燃料が無ければ作れない高価な品ですから……」


「ようございました。今回は既に作り終えたものを持参いたしましたが、お好みの色や形があればお申し付けください。職人たちに作らせましょう」


「え? つ、作っていただけるのですか!?」


「お任せを」


 奥方が手に持った皿を抱き締め、あたかも初恋が成就した乙女のような顔をしている。


 忍び衆からの報告では、異界では木で作った器が主で、焼き物は貴重品とは聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。


 さらにベンノ殿も続いた。


「し、失礼ですが、こちらの陶器を包んでいるのは紙ではありませんか?」


「左様にござる。それが何か?」


 わざと知らぬふりをして問い返すと、ベンノ殿は信じられと首を振った。


「この手触り……この丈夫さ……草や羊の皮ではありませんが……」


「おや? こちらでは左様なもので紙を作るので?」


「異世界は違うのですか!?」


「我らはこうぞ三椏みつまた雁皮がんぴなどと申す木を使って紙を作っておりまする」


「木!? 紙が木で!?」


「ちなみ俺が被る烏帽子えぼしも紙を元に作ったものでござるな」


「紙で帽子を!? と、ところでサイトー様の懐に見えるのも……」


懐紙かいしと申します。書き付けに使うこともあれば、小さな物を包むこともあれば、鼻をかむこともある。何にでも使えます」


「か、紙で鼻を……」


「こちらでは使いませぬか?」


「使いません! そもそも紙はそれなりに値が張るのです。おかげで納税の記録を取るにも難儀しておりまして……」


「ならばこの長櫃ながびつ一杯に紙を入れてお届けしましょう。案ずる事はありませぬ。我が領内では紙も作っております故」


 ベンノ殿だけでなく、辺境伯と奥方まで目を剥く。


 京や大坂に出荷するはずだった紙や焼き物が行き場を失っておるからな。


 領民達の生活の為にも売り先を確保せねばならなん。


 焼き物も紙も、辺境伯家で大いに使っていただき評判を広めて欲しいところだ。


「おい、シンクロー……」


「どうしたミナ?」


「このような品をもらっておいて厚かましいのだが、その……例のものは?」


「任せておけ」


 左馬助に目配せをすると、ミナの言う『例のもの』――――畳が数枚、室内に持ち込まれた。


 奥方やベンノが肌触りに目を見張ると、耐え切れなくなった辺境伯も寝台からおり、足先で感触を確かめた後にゆっくりと畳の上に腰を下ろした。


 ミナが微笑を浮かべて俺を見る。


「シンクロー――――」


「礼を言うのはまだ早い。これと別に十枚ほど用意した。お主の部屋で好きに使え」


「――――! あ、ありがとう……」


 相好そうごうを崩しつつ、声を詰まらせて礼を言うミナ。


 最後の方は消え入りそうな声だったが、よろこんでもらえてなによりだ。


 この後も酒、米、野菜、果物と、三野郡の産物は続き、魔物討伐で獲得した魔石も披露する。


 最後に、漆塗りの小箱が一つ残った。


 蓋を開けると、中には五十ばかりの薬包やくほうが整然と詰め込まれている。


「『すらいむ』の核を粉末にしたものでござります。どうぞお納めください」


「なんと! 貴重品ではありませんか! しかもこの数……」


「東の荒れ地で『スライム』を五百匹ばかり討ち取ったのでござります」


「ご、五百!? 退治するのが困難極まるスライムを!?」


「父上、シンクローの言ったことは本当です。この目で確認しました。信じられないことですが……」


「ミナとクリスから体に良いものと伺いましたので持参したしました。是非お使いください」


「……かたじけなく思います。ありがたくいただきましょう……」


 クリス曰く、この小箱一つで最低でも金貨五十枚は下らぬ貴重品らしい。


 あの気色悪い生き物が左様に高価だなどと、俺達日ノ本の人間には信じられぬが、効能の高さが値に現れているそうだ。


 その証拠に、辺境伯は大事そうに小箱を手で包み、奥方やベンノ殿も口元に手を当てている。


 辺境伯の病に多少なりとも効けばよいのだがな。


 こうして進物のお披露目は幕を閉じた。


 その日の夜、俺は一人で辺境伯に呼び出された。

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