第26話 いっぽう、そのころ

 一方、買い出しから戻ってきたカイジは、保本大吾にコテンパンにされた徳永を見て大いに驚く。徳永を介抱するや大急ぎで根城に戻り、メンバーに事態を報告。


 襲撃犯の保本大吾がその勢いでアジトまで迫って来るかもしれないと恐れた連中は、一睡もせずに厳戒態勢を取る。


 だが大吾が打った手は生配信による宣戦布告であった。


 このせいで、それぞれが持つスマホにはうんざりするほどの通知が飛び交うはめになった。


「いったい何やってんだお前」


 という家族や友人からのメール、メッセージ、着信が乱れ飛ぶ始末。

 

 さらにゴランズのファンが心配のあまり彼らのSNSに大量の書きこみをしたり、逆にアンチの集団も出てきて同じように書き込んで、その通知も凄まじい。


 しまいにはゴランズとは何の関わりもない配信者が「ゴランズの親友です、今回の件、申し訳ありませんでした」などと騒ぎに便乗する動画を出す始末。


 そもそも人が住める場所じゃないダンジョンに長く滞在していることで疲労が貯まっていたのに、今日に限って一睡もしていないから割とふらふらな状態。

 そこに来て通知の雨あられで、自分たちがかなり不利な立場にいると思い知ったことによる精神的な圧迫もひどい。

 

 大吾やあずさが考えている以上に、彼らの配信でゴランズは追い詰められていた。


 疲れ切って誰もが黙りこみ、


「ダンジョンって、なんでスマホの電波が届くんだろうな」


 などと関係ないことを口走る始末。


 そんな中、最も荒れていたのはカイジであった。


「あのクソ女!」


 裏切った丹羽あずさのことを思い出すたびに腹が立ち、こらえきれずとうとうスマホを投げて画面にヒビを作ってしまった。

 

「恩を仇で返しやがって!」


 そもそもの原因はこいつなのだが、そのことをまるでわかっていない。

 あずさに言い寄ったときもカエデが現れなかったらモノにできたと信じ込んでいるし、彼の中ではカエデ抜きで行う「あずさとカイジ」が絶対に上手く行くと確信していたのである。


 そんな中、 


「ちょっとくらい休んでもいいよな?」


 ゴランズの一人が弱々しく呟いた。


「朝八時に来るって言ってんだから、それまで寝たっていいだろ……」


 もう耐えられないとばかりに大あくびをする。

 

 彼らはリーダーの指示の元、いつ来るかわからない大吾に備えるため、ずっと起きていなければならなかった。


「それで襲われたらどうすんだ」


 むすっとした表情のまま、徳永が呟く。


「あのくそ野郎は卑怯者だ。絶対だまし討ちしてくる」


 大吾にコテンパンにやられたことで恥をかいた徳永だけは、この面子の中で集中力を研ぎ澄ましている。


「今度は絶対にぶっ殺す……」


「あの女もだ。二人まとめて始末する」


 カイジも徳永と同じく怒っている。

 

 自分を裏切ったあずさだけでなく、あずさを奪った大吾にも憤りがある。

 あのあずさが、あんなおっさんになびいたことにプライドを大きく傷つけられたようだ。


 そのとき、ある人物が現れた。


 雪村カエデ。


 ゴランズの前では「あずさとカイジ」の裏方でしかなかった彼女。

 カイジの本当の彼女であることを隠すために身なりを汚し、髪もボサボサにして落ちぶれた感じを出していたが、ある日を境にその風貌を大きく変えた。


 髪を自らの手で切り落としてベリーショートにするだけでなく、通常のサイズより一回り大きいゆるゆるな服から、スリムジーンズに履き替え、細身の体にフィットするような服を羽織るようになる。


 実はこの服、ホーリーズのサブリーダーであった来島茜から奪い取ったモノだ。

 ゴランズがホーリーズを襲撃したとき、来島から強引にはぎとり、ゴランズが見ている目の前で着替えたのである。


 これをきっかけに彼女の立場は変わった。

 ただのスタッフから、ゴランズとカイジを裏で支配するボスになったのだ。

 その後ろにはゴランズのリーダー深尾がいる。

 まるで守護霊のように雪村のそばを離れない。


 雪村と深尾が姿を表すと、その場にいた残りのメンバー全員が、脅えたように視線をあちこちに移す。


 雪村は男たちを品定めするかのようにゆっくり歩くが、徳永の前に立つと、うつろな表情のまま、呟きはじめる。


「戦いの前に士気を高ぶらせるのはいいが、負けた悔しさで感情を抑えきれず言う必要の無いことをべらべら口に出し、相手に先手を打たせたのはお前の責任だろうが」


「……」


 何も答えない徳永。

 口答えしても意味が無いことを体で経験している。


「だから俺が殺す。それでいいんだろ」


 すると雪村は言った。


「どこまで愚かだ」


 徳永の手首から肘にかけての部分が、触れられてもいないのにカッターで切られたかの如く、ぱっくり開いていく。

 大量の血が床からしたたり落ちたが、こぼれた血液は床に吸い込まれて瞬時に消える。まるでこのアジトそのものが血を飲んでいるかのよう。


「いってえ!」


 痛みとショックで青ざめ、震えながら腕をタオルで巻き付ける徳永。

 彼を助ける奴は誰もいない。助けたら同じことをされるとわかっているからだ。


「お前達は保本に勝てん」


 雪村は静かに言う。

 それが気に入らないのはカイジだ。


「Fランクなんだろ。攻撃さえ当たれば一発でやれるはずだ」


 その根拠無き自信を雪村は嘲笑う。


「そんなもの、今の役人が若村真に唆されて決めたあやふやな基準だ。お前達の手首に刻まれた能力はあくまで個人の肉体を表した上っ面にすぎん。鬼道の善し悪しは単純に測れるモノではない。試しに当たってみろ、貴様なんぞ一瞬で消される」


「カエデ、おまえ……」


 さすがのカイジもカエデの変貌ぶりには戸惑いを隠せない。

 かつてのカエデはカイジの奴隷だった。

 甘い言葉を吐けば、家から大量のお金を持ってくる便利な女。

 ただそれだけ。

 あずさと比べたら、性格も体も、何一つ魅力が無い。

 

 この女を抱いてる時間がカイジには無駄でしかなかった。

 少しだけ弾力のある丸太みたいな女に腰を振るのがこの上なく苦痛だった。


 ただ、頭のいい女ではあった。

 あずさとカイジもカエデがいなかったら、そもそも始まらなかった。

 それは認める。


 しかしもう必要ない。

 

 そう思っていたのだが、今の姿はいったいどうしたのだろう。


「お前らはあの配信を見ていないのか」


 雪村はさげすむように周囲を見つめていく。


「百合若壱予を担いで戦っていたあの男の配信だ。見ていないとは言わせん。しかし誰もが間違っている。見ているようで見ていない、本質という奴をな」


 雪村は嘆く。

 ここにいる面子だけではない。

 あの配信を見た大勢の視聴者までをも憐れんでいるらしい。


「攻撃を繰り出しているのは確かにあの娘だが、避けているのは誰だ? あの武者の攻撃をひとつも喰らわずに避けているのはいったい誰の力によるモノだ?」


 静まるゴランズの男たち。


「考えろ無能ども。未熟な壱予の力が暴走し、あれほどの爆破が起きたにもかかわらず、なぜお前らは無傷でいられた? あの時、壱予の暴走に気づいた男が一人いたはずだ。そいつは誰だ? ええ?」


 黙り込む男たちに雪村は宣告する。


「お前達が、お前達の無能さが、お前達の悪手が、あの男を覚醒させたのだ。ゆえにお前らは勝てぬ。せいぜい無駄に仕掛けて時間を稼げばいい。後は私がやる」


 吐き捨ててその場を出ようとした雪村であったが、突然、額をおさえて苦しそうに壁にもたれた。


「……そこまであの男が大事か。哀れで愛おしい娘。わかったよ」


 雪村カエデは方向を変え、カイジの元に戻った。


「丹羽あずさを殺したいと強く願うか」


 その問いに一瞬面食らったカイジであるが、


「ああ、願うよ」


 力強くカエデを見あげるカイジ。


「保本大吾を殺したいと強く願うか」


「聞く必要あるのか」


「なら望むままに」


 雪村カエデは、飛んできた虫を払うように、乱暴に手を振った。


 するとカイジや徳永を含むゴランズのメンバーが、意識を失って次々と倒れていく。

 ただ一人、深尾を除いて。


「何をしたんだ?」


 動かなくなる部下をじっと見つめる深尾。


「お前らの時代で言うところの洗脳という奴だ。本来であれば百合若壱予が保本大吾にせねばならなかったこと。これで多少の戦力にはなるだろう。といっても素体に限界があるゆえ五分五分にもならぬが」


「腕輪さえあれば、すべて上手くいくとあんたは言ったはずだ」


「その通りだが時間が無い。愚かな壱予はまだ迷宮の外、入ってすら来れぬ。その間に保本に根城を襲撃されれば何の意味も無くなる。ゆえに腕輪無しで始める。空白期間が長いゆえ、自信があると言えば嘘になるがな」


 そうは言うのに、雪村カエデは大いに楽しそうなのである。


「旦那が私に語ったことが何一つ証明されていないのが嬉しいよ。相も変わらず人は醜い。変わっていないのだ。実に愉快じゃないか」


 狂気丸出しで笑うその女はもはや雪村カエデではなかった。

 あくまで体は雪村である。

 しかし中身は完全に別物。


 カエデの中に新和の女王、百合若風見がいると知って、信じるものはどれくらいいるだろう。

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