第17話
理九は複雑な気持ちを抱えていた。
頑丈な外壁に覆われ、インフラも整備されている上に、自給自足すらも可能な拠点に身を置くことができたことは素直に嬉しい。
つい前まで所在していた荒れたキャンプとは違い、ここは外見からして美しく、身内に優しい主がいるという情報は、自身の妹である小色の生存率をも上げることであり喜ばしいことである。
しかしながらその小色が現在、完全に意気消沈しており、下手に言葉をかければ泣き出しそうで、どうすればいいのか困惑している最中だ。その理由は明白。ここまで傷一つ負うことなく来ることができた原因と、急に離れ離れになってしまったからだ。
――四河日門。
初めて会った時は、人かどうかも疑わしい胡散臭い青年だったが、実際彼は明朗快活とした好感の持てる人物だった。
命の恩人でもあるし、理九としても友人として傍にいてくれればとても心強い男だ。しかしながら、当初の目的だった屋敷へ到着し、こうして中に入れたのは自分と小色だけ。
小色は昔から異世界ファンタジーに憧れを抱いていたこともあり、異世界帰還者らしき日門、さらにその人柄も相まってすぐに懐いてしまった。そう、ただ懐いただけのはず。それ以上の感情は無い。絶対に無い。そう信じたい。
そんな日門と結果的に別れてしまうことになり、現在落ち込んでしまっているのだ。実際に理九も残念だとは思っている。できれば恩返しがしたいと思っていたから。
メイドに案内され、城みたいな屋敷の中に通され、そのまま二階に繋がる階段を上っている間も、小色はずっと黙ったままで、煌びやかな屋敷にすら反応を示さない。
「……あ、あー……小色?」
勇気を出して声をかけてみた。さすがにこのままではマズイと思ったからだ。
しかし彼女から返事はない。微かに肩がピクリとなったので聞こえてはいるようだが。
きっと小色の意思を無視して、ほぼ無理矢理な形でここに連れ込んだ形になったから怒っているのかもしれない。
「えっと…………ほら、そのうちまた会えるからさ!」
「……そのうちっていつ?」
若干低めの声音。そんな声を出せるんだねと内心震えながらも必死に笑顔を作る。
「いつ? それ、それはえと……そのうちだよ、うんうん!」
口に出して失敗したと思った通り、小色から深い溜息が零れ出た。そして彼女が呆れたようにジト目をぶつけてくる。
「お兄ちゃんって……モテないでしょ?」
「うぐっ!?」
まさに必殺の一撃を受けたかのようにその場から崩れ落ちてしまう。メイドもまるで変人でも見るような冷たい視線を向けてくる。
二人の美少女に見下されていると、何かこう変な気分に……。
(い、いやいや! しっかりしろ僕! 変な性癖を開花させてる場合じゃないぞ!)
そう自分に言い聞かせて、しっかりと立ち上がる。ただそれでも的を射た小色の言葉のダメージが強く、まだ若干身体が震えてしまっていた。
「……はぁ。もういいから、お兄ちゃん」
「こ、小色……?」
「お兄ちゃんの気持ちは分かってるし、それに……仕方ないことだって理解もしてるよ」
元々日門からは、安全な場所へ理九たちを送り届けるまでは一緒だと言われていた。だから彼は別に約束を破ったわけでも、理九が理不尽を働いたわけでもない。こうなるのは自然の流れだっただけ。
そのことを小色も分かってはいるものの、やはり感情が先に湧いてしまったのだろう。
「でも慰めるならちゃんと慰めてほしかったなぁ。相手が女の子なら猶更ね。そういう気遣いができないと、一生モテないよ?」
またもグサッと胸に突き刺さる。今度倒れたら起き上がれないかもしれないと踏ん張る。
「ふふ、ごめんごめん、冗談だってば」
「うぅ……小色ぉ」
「もう、情けない声出さないでよ。ほら、メイドさん待たせてるよ」
「……もう大丈夫なのか?」
「……うん。それにお兄ちゃんの言ったように、またいつか会えるって信じてるから」
そう笑いながら言う小色。どこか固さも残っているが、それでも兄である理九を気遣っての表情だと分かった。
そんな妹の強さに、自分もいつまでも引きずってはいられないと気を入れ直す。
そうして改めて覚悟を入れて、屋敷の主との対面に臨む。
二階にある一番奥の扉のその向こう。メイドが言うには執務室になっていて、そこで屋敷の主が待っているらしい。
噂ばかりが先行し、まだどんな人格の持ち主か明確にはなっていない。もし小色を害するような人物なら、またここから逃げ出す必要があるため、理九は気を抜かずに相対しなければならない。
執務室の扉がメイドによって開かれ、その突き当たりにあるテーブルに視線が向かう。そこには両肘をつき、こちらを興味深そうにジッと見つめる一人の女性がいた。
(この人が……)
予め女性であることは分かっていたが、初見で驚いたといえば、想像以上に若いということと、その圧倒的とも言える美貌に対してだった。
背後なる巨大な窓から降り注ぐ陽光を浴びて煌々と輝く金髪に、女優やモデルのような小さな頭、またその鋭い双眸から放たれる視線に得も言われぬ迫力を感じる。まるで美術館にでも飾られる絵画でも観ているかのような魅力があった。
その美女の存在感に気圧されていると、先に口火を切ったのは美女の方だった。
「ようこそ。まずは名乗らせてもらうわね。私はこの洋館の主――
「……! あ、えっと……僕は――」
「――違うわ」
「え?」
「私が知りたいのは、そっちの……愛らしい娘の名前よ」
思わずキョトンとしてしまう理九だったが、そこでハッと気づく。そういえば先ほどから彼女の視線は小色にしか向いていない。さらに言えば、〝あなたのことを教えてほしい〟と言ったが、理九も含めてだと〝あなたたち〟が正しいはず。
つまり彼女の興味は、小色にしか無いということだ。
「えと……わたし……ですか?」
「あら、見た目もそうだけれど、声も愛らしいわね。そうよ、あなたのことを教えてほしいの」
「えぅ……。その……わたしは春日咲小色っていいます」
別に人見知りというわけではないが、小色も何となく時乃から発せられる威圧感を感じ萎縮しているように思える。
「ふふ、小色……名前も可愛いのね。うん、気に入ったわ。小色、私のことは時乃お姉さまと呼びなさい」
「ふぇ!? お、お姉さま……ですか?」
「ええ、そうよ。存分に愛でてあげるわ」
理九は、獣が獲物を見つけたような、獰猛な輝きを時乃の瞳に見た。
(な、なるほど……これが噂の面食いってやつか。それにしても僕には見向きもしないし、まるで眼中に入ってないなこれは。……ちょっと傷つくんだけど)
そこにいるのにいないもののように扱われるのは正直心が痛む。
「さっそく小色には仕事を任せたいのだけれど、どうかしら?」
「し、仕事ですか? そんな急に……」
「ここに滞在している者には全員仕事を割り振っているわ。働かない者はここには必要ないもの」
「そ、それならわたしだけじゃなくてお兄ちゃんも……」
小色がそう言おうとした直後、扉がノックされ、時乃が入室の許可を出すと、そこから俳優でもやっていそうなワイルドイケメンが登場した。
「お嬢、何か用か?」
野太い声でイケメンが時乃に尋ねる。
「ええ、そっちの男を任せるわ。好きにしてちょうだいな」
「は? このひょろっちいのを……?」
そう言いながらイケメンが、値踏みするように理九を見回す。
「……使い物になるか分かんねえが、まあいいか。おいお前、俺についてきな」
「え? ちょ、ちょっと待ってください! いきなり過ぎてまだ頭の整理がついてなくて……」
「いいからついてこい。あまり駄々こねてお嬢を怒らせると追い出されちまうぜ? そうなると困るのはお前じゃねえのか?」
そう言われると辛い。ここから追い出されたら、傍に日門もいないので正直明日の命すら怪しい。
理九は小色に視線をやると、彼女も困惑気味ではあるが、またもこちらを気遣うように何度も頷きを見せた。
ここに来てしまった以上は、自分たちのできることをしようという意を込めた目配せだった。
(ああもう! 最近急なイベントが多過ぎて困るし!)
そうして理九は小色と別れ、イケメンにどこかへと連れて行かれることになったのである。
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