第十二話 テンシルチシル


「N先生はうちの叔母だよ」


 女性教師に関する噂の真偽を確かめるための調査へと移行しようというタイミングで、夕奈は唐突に言い放った。


 それから指に挟んでいた秘匿HOを自ら開示する――COカミングアウトだ。


【秘匿HO:君は苦労人気質が骨まで染みついている。その原因は主に同校の教員を務める叔母のせいだ。彼女は生徒に年齢を詐称しており、君にも実年齢を口にしないようくれぐれも気をつけるようにと釘を刺している。君は修学旅行中でも叔母の実年齢がバレないよう気を回さなくてはならない。※叔母の実年齢は■■歳】


「塗り潰してる」


 ひめりが見たままを口にする。この秘匿HOで最も知られてはならない情報――知られてしまえば敗北が決定する年齢の数字だけが黒の油性ペンによって塗り潰されていた。


 夕奈はセッションが始まる前の段階で、既に数字を塗り潰していたのか。


「KP、これはルール違反なのでは?」


 亜月は問う。行方先生は首を傾げる。


「いや? そんな条項を入れた覚えはないが」

「でも、こんな意図的な改変なんてしたらゲームにならないでしょう」

「書き換えたわけじゃないからな。透かして裏から見れば読み取れるんじゃないか?」


 早速試す亜月。しかしどれだけ目を凝らしていても、その数字が読み上げられることはなかった。


「う、裏面からも黒塗りにしてますね、さては……」

「まあね。そりゃ徹底はするよ」

「大事な情報を隠すなんてズルですよ! やっぱり!」

「落ち着いて、九条さん」


 横から手を差し出したのは雄星。


「何もN先生の実年齢を知ることができるのがこのHOに限られているわけじゃない。おそらくは他にもその関連情報が載っているHOがあって、自然とメンバーの中に関係者がいると分かるようにできていたはずだ。ですよね?」


 雄星が行方先生に伺いを立てる。先生は縦に首を振った。


「まだ開示されていないから詳細は伏せるが、お察しの通りだ。つっても、実年齢について記述があるのはその秘匿HOだけだが」

「だったらやっぱりズル――」

「たった二桁の数字、暗記できない道理はないだろ? 伊丹が覚えてるんなら俺からどうこう言うつもりはない」


 亜月が言葉に詰まる。納得できなくても、呑み込むしかない状況だ。


 それよりも議題に上がるべきは、なぜこのタイミングで夕奈がCOしたか、ということ。


「うちは、この秘匿HOを貰うときに行方先生にいくつか質問をした。親戚なんだから知ってないとおかしいことを引き出すためにね。そんとき聞いたの、『舞台になる観光地の近くに、叔母の従兄いとこが住んでる』って話」

「……それが、例の一緒に居たっていう男性のことだとでも言うのかな」

「ご明察」

「ッ、でたらめです!」


 亜月が声を張り上げる。


「HOに書いてもいないのに信じられません! 口頭で聞いたなんてどうやって証明するんですか!」

「俺が証明しようか?」


 行方先生はにやにや笑いを浮かべる。弄ぶような態度に、亜月からはみるみる気勢が削がれていく。


「いえ……構いません。今ので証明されたも同然ですから」

「物分かりが良くて助かるよ。な、伊丹」

「先生、あんま亜月をいじめないでくださいよ」


 自分に有利な証言とはいえ、行方先生を見る夕奈の目は批判的だった。


「うちらは目的を同じにする仲間なんですから。亜月は疑念を口にしただけで、責めるつもりなんてない」

「ゆ、夕奈さん……ごめんなさい」

「うん、いいよ別に。疑うのは合ってるから」


 簡単に絆されてしまう亜月。見ているこっちが心配になってくる。


 この状況において亜月の反応は正常だ。実際夕奈の行動はグレーゾーンと言っていい。KPが許容するかどうかもほとんど賭けだっただろうに、事もあろうかこの教師は心底愉快そうに夕奈の味方をした。


 いや、亜月の敵をした――と言ったほうが正しいのか。


「で? 秘匿HOのCOが発生したわけだが、このまま予定通り調査に移行するか?」


 行方先生が問う。一同は顔を見合わせた。


「COはプレイヤーにできる最大のアクションだ。自分の役割を公にするわけだからな。そのリスクに対して何も応答しないってわけにはいかない」

「僕らにもう一度話し合えと言うんですか?」

「そうしたほうが無難だろう。まあ、ただのアドバイスだ」

「暗にそうしろって言ってますよね」


 雄星は苦笑いし、ぼくらのほうへ向き直る。


「皆、多数決はやり直しだ。夕奈の意見を踏まえて、もう一度考えよう」


 反論は出ない。どの立場から考えても、ここは仕切り直したほうが良いという判断だろうか。


 ぼくからしても、夕奈の主張が通ったほうがやりやすい。仕切り直しで多数決がブレるようなら、ぼくの目的にも近づける。


「伊丹さん。君はN先生の姪ということになるけれど、他にも何か知っていることはあるのかな」

「あるけど、関係なさそうな情報もあるから全部は開示しないよ。時間稼ぎしてもいいっていうならひとつひとつ話していってもいいけど」

「結構だ。必要な情報はさっきので全部ってことだね」

「うちの視点からすれば、そう」


 雄星が黙り込む。これは彼にとっても不測の事態だ。多数決で負けない自信があったのだろうけれど、こうして仕切り直しとくれば方針も変えざるを得なくなる。


 一方でぼくらからすれば、この状況は想定通りだった。それまでの過程まで想定の内だったとは言いがたいけれど。


「情報を整理しようか」


 ここで夕奈が主導権を握る。


「うちらが今から決めるのはN先生に関わる噂の真偽を明らかにするかどうかを決めること。N先生は行方不明になったA班と同伴していたって話があるから、N先生を追えばうちらの目的も達成できる、かもしれない。そう考える人が多かったから、さっきは真偽を明らかにしようって話に一度はなった」

「でも夕奈さんがCOして、その噂を追うことが必ずしもいい結果に繋がるとは限らなくなった……ですよね」

「そゆこと」


 亜月の発言に対し、夕奈は満足げに頷く。


「うちの主張はもう伝わってると思うけど、この中間HOは追っちゃいけない罠だ。ただでさえまだ開いてない調査HOが半分以上あるのに、ここで無駄足を踏むわけにはいかない」

「ぬー……言ってることは分かるんだけどなぁ」


 ひめりが小さくつぶやく。彼女にしては何やら思案顔だ。


「どしたんヒメ。なんか気になる?」

「えっとねぇ、うまく言えないかもだけど……夕奈ちんの使命って、N先生の実年齢がバレないようにすることなんだよね?」

「うむ」

「だったらさ、もしN先生の噂を追わないで調査フェーズに戻ったら、逆にバレる可能性が上がっちゃうんじゃないの?」


 夕奈の口角が上がる。それが焦りを誤魔化すためのものでないことが、ぼくには分かる。


 行方先生が既に言及している通り、夕奈の使命を達成不可にするトリガーは未公開の調査HOの中にある。本当に夕奈が自分の使命を優先したいのなら、最初の多数決の時点で反対派に回ることは非合理なのだ。


 それでも反対票を入れ、さらには自らのウィークポイントとなる秘匿HOまで明かしている。これの意図さえ見破られなければ、ぼくら・・・が勝てる。


「うちはさ、全体の目的を達成できるなら自分の使命なんて達成できなくてもいいと思ってんのよ」


 夕奈は答える。それが本心なのかは、ぼくらにとって重要じゃない。


「うちの使命は全体の目標とは矛盾してない。しかも自分から発表したりしなければ成否は完全に運だしね。だったら優先するのは、皆が得する全体目標のほうでしょ」

「それはそうかもだけど、勝つなら完全勝利のほうが良くない?」

「はは。ヒメらしい発想」


 ひめりの発言に対応しながら、夕奈は奉司のほうへ僅かに視線を送る。奉司もその視線を見逃さず、前倒しになった計画の遂行に移る。


「雄星、何か意見はあるか?」


 奉司の振りに雄星はすぐに反応を返そうとせず、頬に当てていた手をゆっくりと外す。それから応えるように奉司へと視線を向けた。


「さっきも言った通り、僕はここでの選択をそこまで慎重にする必要はないと思っている。だから夕奈が自分の秘匿HOと引き換えに議論を戻したことについて、明確に敵対行為だと見做している」


 敵対行為、という言葉が重くのしかかる。彼から見れば当然そうなるか。


「夕奈、これは時間稼ぎだよね。このまま調査を遅らせたら何かいいことがあるのかな」

「いーや、そんなものはない。少なくともうちには心当たりがないよ」

「その言い方、他の誰かにとっては得があるみたいだね」

「そりゃーあるでしょ。うちらが仲間割れして、得するヤツが一人くらいは」


 ぐるり、と夕奈が周囲に睨みを利かせる。重たげだったまぶたが持ち上がるとき、その眼光は何割も増して鋭くなる。


「このメンバーの中に一人は居るでしょ内通者。うちはそいつが尻尾を出すのを待ってたワケ」

「……それで、目星はついたのか?」

「そこはむしろ『アイデア』だけどね。まあ、そう簡単に特定はできないよ」

「自信満々に言っといて、なんだそりゃ」


 茶々を入れる雄星。夕奈は鼻で笑う。


「うちは読心術が使えるわけじゃないからね。そんなことより早く再投票に行かない? 今回は誰がどっちの意見か分からないような形でさ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 雄星が完全に口をつぐむ。


 己の失策を悟った、そんな表情を浮かべながら。

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