第八話 ファースト・ブラフ
「おい待て」
調査フェーズの一巡目を終え、少し早めの昼休みに入る。それぞれが昼食を摂る中、一足先に教室を出たぼくを呼び止めたのは奉司だった。
「便所行くんだろ? オレも連れてけよ」
「……別にいいけど」
変な物言いだったけれど、他に同行する口実が思いつかなかったのだろう。さしずめ訊きたいことがあってぼくの後を追ったのだ。
ぼくにとってもそれは都合がいい。軽く頷いて、廊下を歩く。
「柊木千明、だったか。話すのは初めてだよな」
奉司はぼくよりもひと回り高い背で、横から見下ろすようにぼくを見る。それから目を離したかと思えば、また戻ってきて、今度はぼくの顔をじろじろと眺める。
「どうかした?」
「いや、何でもない。……気を悪くしたなら謝る」
無遠慮だとは思ったけれど、謝られるほどではない。むしろ素直に非を認められてこちらが反応に困る。
「いいよ謝らなくて。それより何か訊きたいことあるんでしょ?」
「話が早くて助かる」
奉司が廊下を右側に折れ、ぼくは曲がり角の外側から追随する。渡り廊下から見える他学年の教室はまだ授業の最中だった。
「対立役、えらく自信ありげに引き受けてただろ。なんか作戦でもあんのかよ」
「ううん。特には」
「嘘つけよ」
「本当だって」
疑うのも無理からぬことだ。ぼくが自信ありげに見えたというのも、彼の錯覚ではなくぼくの意図的な演出だったのだから。
そしてその演出は、少なくとも奉司に対しては効力を発揮している。
「具体的な策があるわけじゃない。でもこのゲームを有利に進めていくうえで何を優先すればいいのかは分かってるつもり」
「なんだよそれは」
「信用」
「……なんかの暗号か?」
至ってシンプルにしたつもりの回答は、奉司にはむしろ難解に聞こえたようだった。もう少し言葉を補っていったほうがよさそうだ。
「雄星がどうして自然にメンバーをまとめられていると思う?」
「そりゃあ、あいつがサッカー部のキャプテンをやるくらいリーダーシップがあるからだろ」
「そうだね。雄星には実績があるから皆信じてついていく。そんな彼と対立する意見を言うには、彼と同等の信頼がないと話にならない」
奉司は頷く。雄星の独り勝ちを危惧していたのなら、この理屈は分かるはずだろう。
「正直、雄星と対立するのはかなり分が悪いと思ってるんだ。そもそも雄星がメンバー全員を悪いほうへ運ぶ敵対者だとは限らないしね。自分の手番を消費してまで全体の最終目標を明確にしたのも、彼が味方側である根拠になる」
「確かに……」
「けど、それ自体がブラフである可能性もある。自分が信用されやすい立場だってことは彼自身重々承知だろうから」
仮に完全な善意から全体の利益のために行動していたとしたら、ぼくらは雄星に頭を下げなければいけない。でもそれは第一セッションが終わってからでもいい。
今重要なのは、可能性を考えること。味方だった場合と、敵だった場合。
「雄星が全体の目標を邪魔しない、つまり味方側だった場合は邪魔した側が敵だと認識されて発言力を失う。これだけは自分の立場に関係なく絶対に避けないといけない。今日のセッションどころか、明日明後日のセッションでも不利になりかねないから」
「それが信用を最優先にするべき理由か」
「そういうこと」
与えられたHOに合わせた行動を求められるマーダーミステリーだが、発言の説得力はゲーム内外の言動の積み重ねで形成される。今日のセッションで周囲に疑念を抱かせるような行動を取ったプレイヤーは、そのセッション内での功績にかかわらず信用を失う可能性が十二分にある。
そういえば、マーダーミステリーには観劇形式のものもあるらしい。役者が舞台上で演じ、観客は誰が犯人か予想し投票する。そこでは即興の演技による騙し合いや推理が繰り広げられ、観客にリアルな体験を届けるのだろう。
ぼくらは役者じゃない。いくらでも私情は持ち込むし、始まる前から個人を疑ってかかるプレイヤーもいる。筋の通った論理よりも支離滅裂な感情を優先することだってあり得る。
だからこそ、付け入る隙がある。ぼくはそう思っていた。
「ならよ、雄星が全体の目標を邪魔する敵だったとして、お前と同じことに気づいてたらどうすんだ。自分が敵だと認識された時点で全部終わるんなら、誰かしらを敵だと思わせて疑いを
奉司の考えは鋭かった。雄星ならそれが可能だという根拠が彼の中にはあるのだろう。
「できるとしても、行動に移すとは考えづらい。リスクが大きすぎるから」
「それもそうか」
「最終日ならリスクを取ってでも勝ちに行くべきだけどね。初日はルール説明も兼ねてるんだから、あまり複雑に動いても怪しまれるだけだし」
「つっても、このまま何もしないわけにもいかないはずだろ。順調にHOを集めていけば謎は解けるようにできてんじゃねえのか」
「……少し、フェーズについて整理しようか」
ぼくは階段の踊り場で足を止める。奉司も片足を一段上に掛けたところで止まった。
「フェーズは七つ――導入、議論、調査、行動、推理、投票、解決。このうち導入と解決はプレイヤーからは関与できないKP主体のフェーズだ。今回のセッションでは、ぼくらは議論で方針を固めて調査を集団でおこなっている。じゃあ残りの行動、推理、投票は何をするフェーズだと思う?」
「行動、ってのは調査以外のアクションをするフェーズだよな。シナリオ内の誰かに個人的に話しかけるとか、物理的な移動とか。推理フェーズは各自で考えをまとめたり、それを発表したりすんだろ。投票は……あれ」
「どうかした?」
「投票でオレらは何を決めるんだ? 全体目標がA班との合流だってわざわざあの教師に確認までしたってのに、犯人捜しなんて挟む余地なくないか」
「だね」
マーダーミステリーのシステムが明らかに
このゲームにおいては必ずしもプレイヤーの中に隠れている犯人を見つけることが目的というわけではない。謎を解き明かすのが目的で、犯人はNPCの中の誰かというパターンも当然考えられる。
「思うに、投票は
「合流するかしないか、ってことか」
頷く。やはり奉司は勘が良い。
「HOで謎が解けるのは前提で、問題はその後の二択にあるってわけかよ。そんで、合流しない択が出るような情報がまだ伏せられてるってことか」
「あくまでぼくの推測だけどね。合流を目指すと時間切れになるとか、そういう設定で取捨選択を求められる可能性はある。どちらにせよ、敵にとって重要なのは謎が解けるかどうかじゃなくて、最後の多数決で勝てるかどうかってことになる」
「……夕奈がお前を頭脳担当にした理由が分かったよ」
あくまで推測の域を出ないのに、そう高く評価されても困るけれど。
とはいえぼくにとっての要点は、ぼくの能力を奉司に認めさせることにある。そのためになるべく信憑性の高そうな推論を語って、一時的にでも彼を納得させられればよかった。
対立役を引き受けたのも、ゲーム外でも協力し合える仲間を作るのに適していたからだ。こうして奉司をおびき寄せることができたのも幸運だった。この状況だったからこそ、ぼくは論理の穴を見抜かれるリスクを最小限に抑えられた。
「どうした? まだ何かあるのか?」
踊り場から動かないぼくに、奉司は好奇の視線を向ける。痛いくらいの期待が申し訳なかった。
「ううん、なんでもない。それより奉司はトイレに行きたいんだろ? 行ってきなよ」
「お前も行くんじゃねぇのかよ」
「ぼくは外の空気を吸って考えをまとめたかっただけだから」
そうかよ、とだけ言って奉司はまた階段を上る。その途中でまた振り向き、人懐っこそうに歯を見せて笑った。
「よろしく頼むぜ、相棒」
やめてくれ、とぼくは彼の背中へ向けてつぶやく。
犯人捜しを挟む余地がない、と奉司は言った。だがそれは正確ではない。仮にA班が
一見荒唐無稽な推論。しかしぼくには根拠がある。
ぼくの所有する秘匿HOは、内通者の存在を示唆しているのだから。
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