第9話 今日はイクメン

妻のナナコが真っ青な顔をして、4才の娘のユアの手を握って玄関口に突っ立っていた。



1日の仕事を終えて、林サトルは不穏な空気の自宅におののいた。



「ど、どうした?ユア、風邪でもひいたか?ナナコ?」

小さな声で、出来るだけ穏便に話す。隣は二世帯住宅の義父母と壁1枚だ。



もともとPMS、月経前症候群が酷かったナナコは、妊娠を気にユアを産むまでずっと気持ちが不安定だった。



有難い事に、隣に住む義母でナナコの母親のユミコさんは優しく、サトルがいない日中は、ほとんどの家事をしてくれて、頭が上がらない。



ユアが産まれ、産後は夜泣きや次々、罹る病気に磨耗していったナナコをユアと1年だけ義父母に預けた。



父親として、娘が可愛くて仕方がないが、2、3時間おきに泣くユアを交代でみていたら、職場で大きなミスをしてしまったのがきっかけだった。



ユアがハイハイをする頃には落ち着くと、ナナコも少し余裕が出て、義父母の家から3人の暮らしに戻って、サトルも安心した矢先だった・・・。



「どうしよう・・・ユアが可愛くないの・・・母親なのに・・・イライラして、いなくなればいいなんて、酷い事を思って・・・」

ナナコは、子供のように声をあげて泣き出した。ユアまでつられて泣く。



世間の母親神話なんて、妊娠中のナナコを見ていて都市伝説だとサトルは痛感している。



とりあえず、レトルトのお粥をナナコと娘に食べさせて眠らせた。



会社では、働き方改革があり育休を父親もとれるが、現実は2、3人しか見たことがない。何故なら、その間の給料が安くなり家族の生活が厳しくなる。



痩せたナナコが小さな寝息をたててから、サトルは育休をとる決断をした。



幸いうちは二世帯だ。いざとなれば義父母にも甘えられる。



ナナコを昼間は、義父母の家でゆっくりさせて、家事とユアの世話をサトルは引き受けた。



仕事より不安定で、やることが山ほどあり、ナナコが毎日していた夕方の娘との散歩までにギリギリ間に合うくらいだ。



ありがたい事に、ナナコは料理だけはしてくれて毎日、朝昼は手料理を食べられる。顔色も良くなった。



ある秋の散歩の日に義父のタツヲとばったり会い、珍しく義父の愚痴を聞いた。ろくなアドバイスも出来ないまま分かれたが、あの年齢になっても悩みは尽きないのか・・・。



ユアの少し湿ってまだ赤ちゃんの面影のある手をひきながら、歩く。



会社では、部長まではいっているが、二世帯住宅のローンの2/3は30年先まではある。



ユアが無事に成人して会社に入ったとしても非正規社員の今のシステムは、働き方改革が進んでいるが、変わらないだろう。



同じ職場で働く非正規社員の女性が、昼に缶コーヒー1つですまして事情を聞いたら、他人事には思えず、脱サラした友人の弁当屋から試作品の弁当3つと栄養のありそうな弁当を3つポケットマネーから出し、プライドが傷つかないように、感想つきでと渡した。



共働きにしても、今のナナコの精神状態では無理はさせられない。



「はあ・・・イクメンてなんだよ・・・」

思わずサトルがため息をつく。



「ラーメン?」

少したどたどしく話しだした娘のユアが見上げて言った。



「ラーメンじゃないよ。イクメン。良いお父さんて言う意味だよ」

ユアは小首をかしげ、またラーメンと呟く。



そういえば、最近はユアがラーメンにはまっていると妻のナナコから聞いた。


確かここからユアの足でも行けるラーメン屋がある。


「夕食は、ラーメンにするか?」

しゃがみ、娘の顔をのぞくと満面の笑みだ。どうやらサトルが用意していた夕食にはご不満だったらしい。



ユアの手をつなぎ、夕日を背にサトルは歩き出した。



今は、この影が2つ寄り添っていることが幸せなのだから、イクメンだろうがラーメンだろうが、まあいいかとサトルは、1人ごちした。



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