16違和感
「はっ、はっ……」
気づくと百田は来た道を引き返して、地上に戻っていた。
鉄の扉を引き摺り、穴を塞ぐ。土埃と汗が染みる目をこすりながら花畑を進んだ。そのまま夢中で走ると、研究所の裏口に見覚えのあるクローシュハットが見える。
「真壁、さん⋯⋯」
「あら車掌さん、どうして裏口に?この施設の関係者なの?」
守衛にチップを渡して、建物の下屋影に入り込むと、真壁志乃は鞄から日傘を取り出した。
「えっと、か、彼氏がここで働いていまして」
「あら、彼は鉄道マニアかしら?」
真壁はクスッと笑うと、百田の頬に手を伸ばした。
「でも貴方、酷いお顔よ。彼と喧嘩でもしたの?」
「これは土埃が入って……」
百田は初めて自分の頬が濡れている事に気づいた。
「あなたロッキーとマネージャーを見てませんこと?」
「いえ」
「もし見かけたら、連絡するように伝えていただける?」
「はい。どんな方ですか?」
「矢部という男性です。美しいシェイブヘッドをしていますから、すぐ分かると思うわ」
真壁は白いハンカチを百田に差し出すと、日傘の竹柄をくるりと回した。
◇◇◇
ランチタイムが終わると、星野透はまかないを休憩室へ運び、明日の天気を確認した。海沿いは天候が変わりやすく、夏は柑橘類や梅を使用したさっぱり系のメニューが人気だが、雨の日は不思議とつゆ花ランチがよく売れる。
「あれ?」
メッセージの新着がある。星野はスマートフォンを凝視した。
「翼ちゃんからメッセージ?」
アルコールの入っていない昼間の連絡は久しぶりである。
メッセージには、ラボに来たが入れない、連絡を取りたいと書かれていた。腕時計をみると、星野の昼休みはまだ小一時間ある。
『裏口で会おう』
翼にメッセージを返信しながら、彼は手早く頭の三角巾を外した。サンドイッチを口に押し込み、お茶で流し込むと、長い足で廊下を駆け抜ける。あっという間に裏口に辿り着くと、ガラス越しに百田の縮れ髪が見える。生成りのTシャツに八分丈のパンツを履いているが、スタイルの良さが遠目でもよく分かる。
「ごめんなさい、透さん」
「いや、一体どうしたんだい?」
「今日はその、映画の公開収録に来ていて」
「聴導犬ロッキーかい」
「はい、それで、私⋯⋯」
「僕に会いたくなったのかい?」
透はニヤリと笑い、百田の顔をのぞき込んだ。
「いえ、私を建物の中に入れてもらえませんか?」
百田は背伸びして、透に耳打ちした。
「いいよ、今度デートしてくれたらね」
透は目を細めると、守衛に何か話し、ゲスト用のIDホルダーを百田に渡した。
「ありがとう」
「どういたしまして。それで、僕のハニーは何をご所望かな?」
「地下へ行ってみたいの」
「地下? 倉庫と、犬達の部屋があるだけだよ。博士の部屋は2階だ」
「地下に行きたいの」
「わかった。あっちのエレベーターだよ。ついてきて」
通路に人影はなく、足早に西の角のエレベーターホールへと進んだ。ステンレス製の灰皿と、喫煙スペースの立て看板を横目に真っ直ぐ行くと、エレベーターの前で受付嬢と出くわした。
「星野さん、そちらは⋯⋯確か百田さんでしたね?」
「はい、先日はお世話になりました。えっと⋯⋯」
「後藤と申します。本日はどんな御用ですか?」
「俺が誘ったのさ。映画の公開収録が始まらないようだから、地下の犬達を見せてあげようと思って」
「そうでしたか。百田さん、気に入った子がいたら、相談にのりますので、声をかけてくださいね」
受付嬢はくしゃりと笑窪を作って微笑むと、百田達の為に下向きの三角スイッチを押した。
すぐにチンと音がしてドアが開き、背広の男が3人降りて来た。
「それじゃ、あの被験体は生きていたというのか?」
「しっ、先生、人に聞かれます」
小太りの男が、眼鏡の男の口元に人差し指を立てる。
「丸岡先生、博士には会えましたか?」
受付嬢は眼鏡の男に声をかけると、3人を廊下へ誘導した。
「いや研究室には⋯⋯ご不在だった。次はアポイントメントを取る事にしよう」
「それは、申し訳ございません」
小太りの男がこちらを一瞥した。星野と百田はエレベーターに乗り込むと、地下2階へ向かった。
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