第12話 行き違い

(おかしい。どういうことなんだ?)


 暗い廊下を進みながら、デュラはもう一度頭から今回の縁談話を思い返してみた。

 ジーアは、グランティーヌが縁談話を立ち聞きしていたことを知っている。いや、わざと聞かせていた節さえある。カナチスに足を向けさせるための策略だった。双子たちに会わせて、どうするつもりだったのか? そもそもこの縁談自体が、ジーアにとって何のメリットが?


「……わからん」

 不自然な点が多すぎて、全くわからなかった。明日になればこの地を出発し、フラテスへ帰る。それでいいのだろうか?


 カチャ、


 近くで扉が開いた。ふと、目をやると寝巻き姿の女性が一人、ふらりと部屋から出てきた。そしてデュラの姿を見るや、おいでおいでをし始めたのだ。

「私ですか?」

 思わず聞き返す、デュラ。女性がこくりと頷く。が、時間も時間である。女性の部屋に入り込むのは常識外れだ。デュラはとりあえずその女性に近づき、訊ねた。

「どうかなさいましたか?」

 女性は何も言わず、ただ黙って妖艶な笑みを浮かべている。そしてデュラの手を取ると、強引に中へ入れようとするのだ。

「え? ちょっと、」


(もしかして誘われてるのか? 俺は)


 抗いながら、ぼんやりとそんなことを考える。さすがに力で振りほどくことも出来ず、デュラは丁重にお断りすることにした。

「申し訳ありませんが、手をお放しください。お邪魔するわけには参りませんから」

 が、女性はひるむことなくデュラの腕を引き、中へ連れ込もうとする。


 ……困った。


「あの、」

「入ってください。お話があるのです」

 高く、澄んだ声。男なら、ここで入らずにいられるものかっ、という場面ではあるのだが、デュラはあくまでも首を振る。

「駄目ですよ。どうぞお休みください。お話なら明日伺いますから」

 子供をあやすかのように優しく、言う。と、女性が突然胸を抑えてその場に座り込んでしまった。


「えっ? あの、大丈夫ですかっ?」

 慌てる、デュラ。女性は部屋の方を指差し、小さな声で「薬を、」とだけ言った。

 デュラは暗い室内に入り、彼女が指差したベッド近くのテーブルを見遣った。水差しと、その隣には確かに薬が置いてある。

「これですかっ? うわっ」

 薬を手に取り振り向いたのだ。そこにはさっきの女性の顔があった。それも、すぐ目の前に、だ。


(騙された!)


 デュラは大きくため息をつくと、手にした薬を女性に突き出し、言った。

「悪ふざけはおやめください。心配したじゃないですかっ」

「優しいのね」

 女性はデュラの手を取り、頬擦りをした。

「だーっ、もぅっ。駄目ですって」

 慌てて手を引き、踵を返す。

「失礼しましたっ」

「待って!」

「待ちませんっ」

「あなたの大切なグランティーヌがどうなってもいいのねっ?」


 ピク、


 デュラの動きが止まる。

「何ですって?」

「グランティーヌは私が預かってます。彼女の居場所を知りたくはないの?」

 一瞬「まさか」と思い、だがすぐに思い直す。あの、グランティーヌがそう簡単に捕まるわけがない。

「あなたは誰です?」

「私? 私はエリーナ・ザムエ」


(……ほぇ?)


 思わず体から力が抜けてゆくデュラ。どうしてカナチス王女がグランティーヌを?

「何でグランティーヌ様を? 私をどうしたいのです?」

「一晩、私と共に過ごしてください」

「は?」

 一体どういう意味なのだろう? つまり、その、そういう意味なのか?

「あの、それは…、」

 しどろもどろになるデュラに、エリーナが凭れ掛かる。

「どういうことか、わかるでしょう?」


(わからんっ)


 デュラは少しずつ後ずさりしながら、エリーナから離れようとした。と、突然エリーナが全体重を掛けデュラを押し倒す。

「わわっ」

 幸いにも後ろにはベッドがあった。頭を打たずに済んだのはいいが、まるっきり押し倒された状態であり、格好いいものではない。しかもエリーナの顔がものっすごく近くにあるのだ。熱い、吐息。

「言うことをおききなさい」

「ちょっ、すみません、あのっ」

 慌てるデュラ。……と。


「ええいっ、やめい、やめーい!」

 部屋のどこからか、声。

「グランティーヌ様?」

 バン! とタンスが開き、中からグランティーヌが飛び出してくる。

「なんとみっともない! エリーナ殿、早くそこをどきなさい!」

 鬼の形相だ。怒っている。しかも相当。

「…どう……して…?」


「睡眠薬入りの飲み物で眠らせてる間に紐でくくっておいたのに、か? 馬鹿者。わらわには睡眠薬など効かぬ。それに縄抜けは得意じゃ。それよりエリーナ殿。一体どういうことなのか説明願うぞ!」

「……くっ」

 エリーナは唇を噛み締め、グランティーヌを睨みつけた。そして素早く枕の下に手を伸ばすと、グランティーヌに向かってナイフを振りかざした。

「危ないっ!」

 デュラが飛び起き、エリーナに掴みかかる。


「デュラ!」

 ポタリ、鮮血が流れ落ちる。デュラがナイフの切っ先を握っていた。その、切れた掌から血が滴り落ち、みるみる床に赤い水溜りが広がる。

「デュラ! デュラっ!」

 少しも慌てることなく、デュラはゆっくりエリーナの手からナイフを取り上げた。エリーナは放心状態で、その場に座り込んでいる。デュラはシーツを一枚剥がすと、ビリビリ破き、切れたところを止血した。


「うわぁぁぁぁん」

 グランティーヌは大声を張り上げてデュラに抱きつき、泣いた。さすがにデュラも驚いた。こんな風に泣くグランティーヌを見たことがなかったからだ。

「姫、大丈夫ですよ」

 目線を合わせ、何とかなだめようとするのだが、一向に泣き止む様子はなかった。

「デュラ、デュラ!」

 しがみついて来るグランティーヌの背中をそっと抱きしめる。血が、付かないよう気をつけながら。


「大丈夫です。ちゃんと止血しましたから。もう泣かないでください」

「……ほん…とうか?」

 しゃくりあげながら、グランティーヌ。

「当然です。私に何かあったら、誰が姫をお守りするのです?」

「……デュラ、」

 グランティーヌが顔を赤らめ、嬉しそうに微笑んだ。そして目を閉じ、顔を近づける。


(……え?)


 この光景は、つまり、アレをせがまれている? デュラは一瞬躊躇ったが、なんとなくその場のノリというやつでつい、フラフラっと自分も瞳を閉じる。


 成り行き、というやつだ。

 魔が差す、というやつだ。


 きっと、それだ。


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