01-9.乙女ゲームのヒロインと遭遇する

 ……これは、言っていいのだろうか。


 自分自身の手を握りしめる。


 身体に力が入ってしまう。


 フェリクスのことを疑うわけではないが、信じてもらえなかった場合を想像してしまう。


 その想像を振り切るかのようにダニエルは目を閉じた。


「夢で見た通りなら、平民の狙いは殿下だけじゃねえ」


 第三者に打ち明けることで何かが変わってしまうかもしれない。


 それが全て良い方向に向かうとは限らない。


「ルーカスも、兄上も。……フェリクスも、あの女の狙いだ」


 言い淀んでしまった。


 目を開けられない。


 ダニエルの言葉を聞いたフェリクスの表情を見たくないという思いから、硬く目を閉じる。


「アーデルハイトは殿下から婚約を破棄されて、破滅に追い込まれることになる。俺は妹が苦しんでいるのに黙っていられねえからさ、余計なことをして自滅するんだよ」


 ……言ってしまった。


 フェリクスの反応はわからない。


 それを知りたくはないと思ってしまう。


「俺はフェリクスに要らねえって言われたら、正気じゃいられねえよ。だから、きっと、お前を殺そうとする。夢の中だと、それで俺もお前も死んじまったよ」


 それは前世での姉から聞かされた大まかな物語の一つだった。


 ヒロインがフェリクスを攻略する時には、敵役としてダニエルが立ち塞がる。


 攻略失敗の時にはフェリクスはダニエルに命を奪われ、ダニエルもその場で自害をする。


 その展開だけは納得ができないと文句を言っていた姉の姿を思い出す。


 容姿も声も性格すらもうろ覚えなのに、その時の光景だけははっきりと覚えていた。


 落馬をした時に見た夢の一場面だった。


「きっと、俺は、フェリクスに手を出されるのを黙っていられない」


 ……もう後戻りはできねえ。


 前世の記憶を取り戻した時から覚悟はしていた。


 悪役らしく舞台を降りる覚悟だってしていた。


 うろ覚えな知識だけで生き残れるとは思っていなかったが、それでも、アーデルハイトだけは救いたいと甘いことを考えていた。


「関係ねえって言ったのは、悪かったよ。でも、俺たちのことは自力で何とかするつもりだ。だから、……俺のことが邪魔になったらさ、早めに言ってくれよ。悪役らしくねえけど、邪魔にならねえように、立ち去ってやるからさ」


 上手く笑えただろうか。


 ダニエルの力のない声に対し、フェリクスはダニエルを抱きしめた。


「……フェリクス?」


 からかいの言葉もない。


 冗談だろうと笑う声もない。


「バカじゃねえの。とんでもねえことを隠してんじゃねえよ」


 フェリクスはダニエルの髪に触れる。


 声色は元に戻っていった。


 ダニエルの言葉を聞き、冷静に戻ったのだろうか。


「目を開けろよ。見てみろよ、俺の情けねえ顔を。これを見ても、まだ、ダニエルのことを要らねえなんて言うように思えるかよ?」


 ダニエルは恐る恐る目を開ける。


 フェリクスは眉が下がり、情けのない表情を浮かべていた。


 疑ってしまったことに対する自己嫌悪によるものだろうか。


 それとも、ダニエルの抱えてしまった秘密に気づくことができなかったことに対する罪悪感だろうか。


 フェリクスが言う通り、好青年と呼ぶのには何とも情けない表情だった。


「……捨てられそうな犬みたいな顔をしてるな」


 実際に捨てられそうな犬を見たことはない。


「情けねえ顔をしてんじゃねえよ」


「お前のせいだろ」


「知らねえな。俺が捨てられる話をしただけだぜ? 捨てるのは俺じゃねえよ」


 頭を過るのは主人に放棄をされた奴隷か、格安で叩き売りをされている獣人の奴隷の姿だ。それを犬と表現したのには意味がないのだろう。


「ありえねえだろ。お前が平民に取られそうだって、勝手に勘違いして、脅そうしたくらいだぜ? なんなら、それを言い訳にして手足を動けねえようにして閉じ込めちまえば良いって思ってたくらいなのに」


「怖いことを言うんじゃねえよ! 冗談に聞こえねえ!」


「はは、そりゃそうだろ。冗談じゃねえし」


 フェリクスは安心したようにダニエルを抱きしめる。


 先ほどの発言を信じたのだろう。


「ごめん。ダニエル。怖がらせるつもりはなかったんだ」


 感情的に振る舞ったことを悔やんでいるのだろうか。


「……わかってる。俺だって、黙ってたんだ。……ごめんな」


 ダニエルは気まずそうに謝罪の言葉を口にする。


 それに対し、フェリクスは穏やかに笑って見せた。


「徹底的に避けようぜ。俺もダニエルも平民に関わるべきじゃねえ」


「出来る限りは避けてえな。――ん? そういえば、フェリクス、あの女に忠告をしていただろ? 聖女説を信じていたわけじゃねえのに、どうしてあんなことを言ったんだよ」


「あー……。あれは思い込みというか」


「なんだよ。俺だって言いたくねえことを言ったんだ。フェリクスも隠さずに話せよ」


 立場が逆転したと判断をしたのだろう。


 ダニエルは余裕そうな表情を浮かべ、フェリクスの頬に手を当てる。


 それから話を続けるように催促をした。


「聞いたっておもしろくねえぜ?」


「いいから言えよ」


 ダニエルの催促する言葉に対し、フェリクスは気まずそうに笑った。


 ごまかすつもりはないのだろう。


「まあ、あれだ。ダニエルにも手を出そうとしてるんじゃねえかと思ったからさ。関わんねえように、忠告をしておこうかと思って言っただけなんだよ。軽い脅しのつもりだったんだが、あの様子だと伝わってもいねえだろうなぁ」


「は? なんだよ、それ。狙われているのはフェリクスだろ?」


「バカじゃねえの。どう見たってダニエルのことも狙ってただろ」


「いや、それはねえよ。俺はそういう対象じゃねえし」


「なにを根拠に言ってんのかわかんねえけどさ。あの女はダニエルにも色目を使ってくるぜ? その場合は再起不能にしてやるつもりだったんだが」


 抱き合いながらする会話ではないだろう。


 ……やりかねないな。


 ダニエルは、フェリクスならば実行しそうだと思いながらも、背伸びをした。


 それからフェリクスを黙らせるかのように唇を押し付ける。


 突然のことにフェリクスは目を見開いたまま、動きが止まっていた。僅か五秒ほどの触れるだけのキスだった。


「……俺をここまで惚れさせたんだ。責任取れよ、フェリクス」


 顔を赤くしながら笑いかける。


「関係ねえなんて二度と言ってやらねえからな。最後まで巻き込んでやるよ」


 目の前にいるのは、些細なことで嫉妬し、ダニエルを独占する為なら、手段を択ばないという男であるということを再認識する。

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