悪役令息だが、愛されたいとは言っていない!

佐倉海斗

第一話 悪役令息、前世の知識を手に入れる

01-1.思い出してしまった世界の秘密

 それは穏やかな日のことだった。


 魔法学院の最終学年である三年生に進級することが決まった青年、ダニエル・ベッセルはつかぬ間の休日を満喫していた。


 学院の生徒は、長期休暇以外ではよほどの事情がない限りは実家に戻ることはできない。ダニエルにとっては窮屈で仕方がない学院から解放されている長期休暇は穏やかなものだった。


「はぁ、たまんねぇ」


 愛馬の頭を撫ぜる。


 嬉しそうに鳴き声を上げる愛馬のことが可愛くて仕方がないのだろう。


 敷地内を愛馬に跨って走り回るのはダニエルの唯一の息抜きだった。


「お前も学院に連れていけたらいいのになぁ、なあ、そう思うだろ、エーデルシュタイン」


「おにーさーまー!! どこにいらっしゃいますのー!!」


 穏やかな時間は唐突に潰される。


 愛馬、エーデルシュタインに跨って幸せそうな笑みを浮かべていたダニエルの表情が曇った。


 自他ともに認める溺愛している妹、アーデルハイト・ベッセルの声だ。


 目に入れても痛くはないと自信をもって言えるほどの溺愛するアーデルハイトの声を聴いて、表情が曇るのは今日が初めてだろう。


 ……あぁ、もう時間か。


 それは半年間の愛馬との別れを告げる声だった。


 そろそろ学院に向けて出発をしなければ間に合わなくなるのだろう。


 我儘し放題の妹だが、学院に入学をすることを楽しみしていたこともあり、入学式よりも数日早く到着をするつもりだ。ダニエルもそれを聞かされていた。


 ……早すぎるよなぁ。


 愛馬を撫ぜる。


 アーデルハイトの声がする方向へと走らせる。


「へいへい、今、行く――」


 視界が揺れた。


 愛馬はダニエルの異変に気付くこともなく、指示をされた通りに走る。


 真っすぐに馬小屋に向かっているのはダニエルもわかっていた。細かい指示を出さなくても賢い愛馬はダニエルの意思を理解していた。


 ……や、べえ。


 脳味噌が掻き混ぜられているような眩暈だった。


 激しい頭痛がダニエルを襲う。それでも手綱だけは握りしめる。


 振り落された方が危険を伴うということは身をもって知っていた。


 ……なんだ、これ。


 思考が揺らぐ。吐き気がする。


 馬小屋に到着をしたのだろう。愛馬は止まった。


 それから頭を撫ぜられることを期待しているのか、甘えたような鳴き声をあげていた。


「ダニエルお兄様ぁ? どうされましたの?」


 首を傾げているアーデルハイトに心配をかけまいとしたのが、いけなかったのだろう。


 ダニエルの意識は消失した。


 それに伴い、彼の身体をかろうじて支えていた気力も失せてしまい、愛馬から転げ落ちる。


「お兄様!?」


 アーデルハイトの悲鳴にも似た声がダニエルには届いていない。


 走っている状態から落馬をしたわけではない為、大けがを負ってはいないものの、明らかに様子がおかしかった。


 アーデルハイトの悲鳴を聞いた使用人たちがダニエルを発見し、大騒ぎになる。


 その間、ダニエルの顔色は青ざめていくだけだった。



* * *



「■■■■が邪魔なのよねえ! ちょっと、□□! これ、攻略してよ!!」


 肝心な名前が聞き取れない。


 ダニエルは見たことのない状況にいた。


 それに驚いてなにかを言おうとするのだが、言葉にはならない。


 それどころか、上手く聞き取れなかった誰かに対する返事をしている。


 そこにはダニエルの意思はなかった。


「見てよ! このヒロインちゃんの可愛らしさ!」


「あー……。まあ、可愛いけど胸なくね?」


「これだから男はダメね!! 女の子はおっぱいじゃないの! ちょっと、お姉ちゃんのゲームを貸してあげるからやってみなさいよ!」


「えー? 渡されても困るんだよな」


 強引に機械を押し付けられる。


 ……あれ。俺、これを知っている。


 少しずつ景色が鮮明になっていく。


 知らないはずの景色が懐かしいとすら思えてくるのはなぜだろうか。


 ダニエルは姉を名乗る女性に押し付けられた機械に視線を向けた。


 ……アデラール魔法学院だよな。


 ダニエルには姉はいない。


 魔法文明が栄えているギルベルト王国にはゲームという娯楽は存在しない。狭い部屋に物を詰め込んだような場所を知らない。


 姉を名乗る女性のことを知らない。それなのにもかかわらず、ダニエルは妙な感覚を覚えてしまう。


 ……俺はここに通っていて。


 アデラール魔法学院にはダニエルも通っている。


 それは機械越しに眺める景色と何も変わらない。


「□□?」


 名前らしきものを呼ばれる。


 上手く聞き取れないその名前すらも懐かしさを感じるのはなぜだろうか。


「どうしたのよ、□□。なんで、泣いているの?」


「……泣いている?」


「うん。なによー、乙女ゲームを押し付けられたからって泣くことないじゃないの! ほら、お姉ちゃんも一緒に攻略してあげるから泣かないの! □□は本当に泣き虫よねえ。高校生になってもすぐに泣くんだから!」


 そこにいるのはダニエルではなかった。


 ギルベルト王国では不吉の象徴とされている黒髪の姉弟。


 すぐに泣いてしまう弟を慰める強気な姉。


 砕けた言葉遣いは貴族社会では許されないだろう。


 ……違う。これは。


 妙な夢を見ている気分だった。


 夢だと気づいてしまったのにもかかわらず、この居心地の良さから抜け出したくはないと願ってしまう。


 魔法文明が栄えているギルベルト王国よりも不便なことが多いだろうこの世界に居たいと願ってしまうのはなぜだろうか。


「□□?」


 名前すらも聞き取れない。


 それはかつての自分自身の名前だった。


 ……俺の前世だ。


 ここが前世の世界だと自覚をしてしまう。


 それが合図だったのだろう。


 頭の中を掻き混ぜられるような眩暈がする。思わず、目を閉じてしまう。



「――!!」


 大きな声が聞こえた。思わず目を開ける。

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