第6話 形見分け
冬樹のの死亡診断書を書いたのは、珠子の祝いの宴に出席していた久保村だった。妻の沙織も一緒だった。
「冬樹ぃ……」泣き崩れる彼に、
「よろしくお願いします」
と栄は青ざめた顔で言った。
母屋へ戻ろうとした栄に、沙織がすがり付く。
「なんでです、冬樹くんは死なせないって、約束してくれたじゃない。
だから、私は久保村の家に嫁いだのよ。なのになんで、冬樹くんを返してよぉ」
沙織は、狂ったように泣いていた。
「わからない。御神木の影が昼に出るなんて、巫女が逃げようとした時くらいのはず。どうして……」
巫女が逃げようとした時。
叶は、男と逃げた。そして男は殺された。
「二人で一緒に逃げようよ」
だから、冬樹は影に殺された――
ドサッ。人の倒れた音に珠子は我に帰った。
「栄様!」沙織さんの悲鳴。
母屋に運ばれた栄には、久保村くんが付き添い、珠子は通夜の線香の番を沙織さんと一緒にすることになった。
鬼っ子の通夜をするものは、他にいなかった。
大槻の家のものは皆、祝いの席を台無しにされたと怒っていたからだ。
友引明けは、火葬場が混むので、葬儀は明後日と決まった。
栄様の看病や、関係者への連絡、明日の通夜の準備で、母屋はざわめいていたが、夜半過ぎには静かになった。
冬樹は、離れで顔に白い布をかけられ、北向きに置かれていた。
わずかばかりの、引っ越し用の段ボールの積まれた部屋で、珠子は冬樹の側にいた。
静かだった。あの時から、珠子の時間は止まったままだ。
空港に向かうハイヤーが来たと兄を呼びに来て、離れの鴨居にぶら下がっている冬樹を見つけたのは珠子なのだ。
昼間見た影と同じその姿を、栄に訴える珠子に、
「やっぱり冬樹は、影に喰われたの」
と栄は言った。
「僕の父さんが埋められた時、影が出て……」
影に喰われるとは何なのだろう。
沙織が引っ越し荷物を覗いていた。
「これ、みんなでオルゴール記念館に行った時のよね、懐かしい」
ジイジイとネジが巻かれ、オルゴールが鳴りだす。
悲しげなメロディーの曲だった。
「『マドンナの宝石』冬樹くんらしい選曲。冬樹くんと、久保村くんと、珠子ちゃんと……みんなで、いろんなとこ行ったよね、楽しかったなぁ」
沙織はオルゴールを冬樹の枕元に置き、手を合わせた。
「形見分けにもらおうかな。あ、それより小六の時の、夏休みの自由研究でやった『大槻家の御神木の歴史』のノートないかしら。形見分けなら、あれがいいな。
母屋の南に、花畑があるでしょ? あそこから縄文時代の遺跡が発掘されて、大きな杉の根っ子と、たくさんの首をはねられた女のひとの骨が出たの。
槻一族の古い口伝によるとね、その頃飢饉が続いて、御神木の杉の木に、女の生贄を捧げていたらしいの。
ある日欅の枝を持った、一人の巫女が現れて、御神木の杉の精霊に戦いを挑み、真っ二つに割いて、生贄を止めさせた。
“玉祝りの巫女”と名乗る女は、持っていた欅を植え、そこに住み着き、人々に未来の言葉を伝えるようになった。
“玉”は、昔の言葉で、“魂”のことを指すのよ。
それを聞いて面白いからって、夏休みの自由研究にしたの。このノートよ」
――欅は成長が早く、まっすぐに伸びた幹に葉が、扇を開いた様に付く樹形は美しく、高さは三十メートルを超える。
六百年から千年も生き、天然記念物に指定されるものも多い。
木相の美しさ、特に中心の赤みは太い原木でなくては取れず、昔から仏像彫刻、神社仏閣の建築材として使われ、耐久年数は千年に及ぶ。
京都の清水寺の七十八本の柱は、全て欅である。
御神木は背が高い。高い位置まで、水を吸い上げる必要があるから、より沢山蒸散する。土の中の水には限りがあり、水源の豊かなところでなければ、欅は育たない。
また、日光も多く必要だ。諏訪地方は、水はあるが年間日照時間は短い。
千曲川のほうまで行けば、欅の神木はあるが、大槻家のある守屋山は霧も多く、本来なら欅の育つ様な土地ではない。
なのに、大槻の神木は現にある。それ故の御神木なのだ――
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