第13話 猜疑心に満ちた目

 数日後、後宮は翠蘭スイランの手による新作の話で持ちきりとなった。

朱蘭ヂュラン先生の新しい艶本、お読みになった?」

「えぇ、将軍バイ泰然タイランの物語でしょう? 冷静でありながら炎のような熱さで戦場を駆け巡る軍神。その戦の熱を持ち帰った泰然将軍は、猛々しい獣となって朱音ヂュオンをぐっと引き寄せ……」

「きゃーっ、それ以上はいけませんわ! 私、まだ読んでおりませんの!」

「でもこの書、夢小説にはしてもらえませんのね」

「えぇ。泰然は主人公朱音としかつがわせないとか」

「残念。私、この物語に自分の名を登場させたかったですわ」

「そんなの私だって! はぁ、泰然将軍、素敵……」

 宮女たちはうっとりした表情を浮かべ、切ない吐息をこぼす。

「朱蘭先生と同じ『朱』の文字を持つ朱音だけが恋することを許される男。本当に朱蘭先生にとってとても特別な存在なのでしょうね、この泰然という登場人物は」

「ねぇ、私思ったんだけど。この泰然将軍、あの方に似ていると思わない? 北方の若き総督……」

「あぁ! ジン 浩然ハオラン!」

 宮女たちの間で黄色い悲鳴が上がった。

「言われてみれば! 若くして責任ある任に就いておられて!」

「普段は物静かだけど、戦場では鬼神のようなご活躍をされると言う噂ですわね!」

「ねぇ、両方のお名前に『然』の文字が入っていますわ!」

「もしかして、朱蘭先生はジン総督を想いながらこの物語を書かれた?」

「きゃーっ!」

 皇帝以外に想いを寄せることを許されず、それでいながら皇帝から顧みられることのない若い宮女たち。ロマンチックな妄想は、彼女たちの心を大いに刺激した。

「朱蘭先生は、井総督に恋をしている」

 その噂はまたたく間に後宮に広まる。

 皇帝・勝峰ションフォンの耳に届くまであっという間だった。


■□■


(いきなり何なんだろ)

 ある日、私は皇帝に呼び出され、主殿へ来るよう言われた。

 北方を守っている総督が挨拶に来るので、皇后として垂簾の奥に控えていろと言うのだ。

(それはいいんだけど……)


――ジン 浩然ハオランと会えるぞ。嬉しいだろう


 皇帝は意味ありげに笑ってそう言ったのだ。

(井浩然 イズ 誰!?)

 嬉しいだろうと言われても、初めて聞く名だ。首をかしげる私に、皇帝は鼻を鳴らし、吐き捨てるように言った。

「随分と芝居が上手いものだ」と。

(なんのこっちゃ)

 ひとまず言われた通りに、皇帝の椅子の背後の垂簾の裏に座る。

 やがて、件の人物が正殿へと入って来た。

(へぇ……)

 総督と聞いていたので貫禄のある中年男だと思っていたが、想像より若いようだ。

 垂簾越しなのではっきりと見えるわけではないが、所作などから落ち着きのあるクールなイメージが伝わってきた。

(若くてクールで地位に就いてるなんて、オークウッド中尉っぽいな)

 そんな風に思っていた時だった。

「陛下におかれましては、ご機嫌麗しく存じます」

(おふっ!?)

 声が出そうになったのを、慌てて両手で抑え込む。

(声が中尉!?)

 井浩然なる人物の声は、『戦刃幻想譚』のオークウッド中尉のものとそっくりだった。

(中尉役の城之崎きのさきしょうそっくりの声! うそ、びっくりした! 本人じゃないよね? 声優さんがここに異世界転移してるとかじゃないよね?)

 私はそわそわしながら垂簾越しに目を凝らす。

(うん、全然知らない顔だ)

 そうは思うが、やはりちょっと楽しい。

(目を閉じて声だけ聴いてたら、まんま城之崎翔! 声優イベみたい! 謁見の間、後ろに座ってるよう言われた時は、面倒くせ!って思ったけれど)

 垂簾の向こうでは、総督が皇帝へ報告を続けている。

(これ、聞いてるだけでかなり楽しいな。推しのトークイベントみたいで)

 この時の私は全く気付いていなかった。皇帝が猜疑心に満ちた視線を、私に注いでいたことに。


(今日はいいもの聞けた!)

 部屋に戻ると同時に、私はいそいそと紙と筆を取り出す。

(『戦刃幻想譚』は長い間プレイしていないし、オークウッド中尉を描くときは遠い記憶のイメージを探り探りだったけど、今日は新しい供給があった!)

 ジン総督は声だけでなく、口調までオークウッド中尉に似ていた。別人なのは分かっているが、新作のボイスドラマでも聴いた気分だったのだ。

(はぁああ~っ、創作意欲が滾る!)

 この日からしばらくの間、私は泰然将軍の物語をのりにのって書き続けた。

 それがとんでもない事態を引き起こすことになるなどと夢にも思わず。


 再び私が皇帝に呼び出されたのは、それから間もなくのことだった。

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