清水先生

ふわふわと浮いているような嬉しさに浸っていると、突然横から声が聞こえた。

「鈴村君」

私は我に返って、慌てて声のする方を見た。

あの声は・・・

やはり清水先生だった。

ポニーテールに水色のデニムパンツと黒のノースリーブブラウスの姿は、学校で見る姿と異なり大人の女性としての爽やかで落ち着いた色気を見せていて、思わず目をそらした。

ランニングウェアでさっきまでワンワン泣いていた自分が酷く子供っぽく思えてしまったのだ。

「大丈夫?この前すいぶん落ち込んでるって聞いて、心配してたんだけど」

それを聞いて私は胸の奥にチクリと不快な痛みを感じた。

それ、誰から聞いたの?

「あ、大丈夫です。今はもう元気ですから」

ややぶっきらぼうな調子で言葉少なめに返す。

これで空気を察して引き上げてくれたら、と思ったけど知ってか知らずか清水先生はニッコリと笑って言った。

「本当に?でもやっぱり心配だな。だって目も真っ赤に腫れてるじゃ無い。何かあった?」

その言葉に私は慌てて目元を押さえた。

気付かれてたんだ。

いたずらを指摘された子供のようにバツの悪さを感じ、目をそらしながら言った。

「あの、大丈夫ですから。ご心配頂いて有り難うございます」

「ならいいけど・・・ちょっと隣いいかな?」

え?え?

驚いたことに清水先生はそう言うと私の返事を聞かず隣に腰を降ろした。

何考えてるの?この人。

以前は感じの良い人だと思っていたし、目標とする女性ではあったが、今となっては山辺先生を巡る恋敵も同然。

そんな人となんで、こんな密接した距離で話さないといけないの?

「鈴村君って夏は好き?」

突然の言葉に虚を突かれた私は、反射的に「好きです」と答えた。

「そう。私は大嫌い」

清水先生らしくない「大嫌い」と言う単語と、その平坦な言い方にギョッとなた私は思わず先生の顔をマジマジと見る。

だが、先生の顔は学校で見るのと同じ柔らかい笑顔だった。

「ごめんね、変な言い方して。でもそう思わない?夏ってよく考えたら暑いし、そのせいで汗はかくし食欲も無くなるしで、全然良い季節じゃないのに不思議と『何かをしよう!』みたいなエネルギーを出してないと行けないみたいな空気感がある。暑くて何もしたくないのに、友達はやたらと『どこそこに行こう!』って行ってくるし。いきいきとね」

「はあ・・・」

この人は何を言おうとしてるんだろう。

「そういう偽善っぽいのがダメなんだよね」

そう言うと清水先生はクスクスと笑い出した。

「ホント、ゴメンね。こんな事鈴村君にしか言えないな。他の生徒に言ったらドン引きされちゃう」

いや、私も充分ドン引きしてるんですが・・・と思ったけど、それは言わずにさっき山辺先生に買ってもらったポカリを一口飲む。

早く切り上げる切っ掛けを見つけないと。

「もっと正直になればいいのにね。みんな何で格好付けるんだろ。その癖、正直に生きてる人を攻撃する。何だかね」

「あの・・・なんでそんな話を僕に」

「ん?そうね。なんでだろ?鈴村君って、不思議だなって思ってたから・・・かな?」

そう言うと清水先生は手を口に当て、フフッと軽く笑った。

「僕が、不思議?」

「うん。不思議。私、自分が関わる生徒は自分のクラスかそうでないかに関わらず深くつながりたいと思ってる。だから、自分なりに理解したいと思ってる。でも鈴村君は・・・何て言うのか、つかめないところがあるんだ。『この子正体はなんなんだろ?』みたいな」

「他人の事なんて、エスパーじゃないんだから分かるわけ無いですよ」

「そうね。でも鈴村君のことは、半分分からなくて半分分かるかも、って思うんだ」

「有り難うございます」

お礼を言いながら、全く心がこもってないな、と自分に呆れた。

そもそも、あなたに対してはほとんど関わって無いんだから、理解するほどのカードなんて出してない。

私がカードを沢山出してるのは・・・

「山辺先生ならもっと理解してるかな。さっきもずっと話ししてたもんね。凄く甘えながら。まるで・・・そう、女の子みたいに」

その言葉に私は全身から冷や汗が吹き出るのを感じた。

まさか・・・聞かれてた?

「近くを通りかかったら二人の姿が見えたの。なんか深刻そうな話しをしてたから邪魔しちゃ悪いな、って思って遠目に見てたんだけどね。でも、途中で鈴村君泣き出してたから・・・でも、見てて思ったんだ」

「・・・思った・・・って?」

声が酷くかすれて、うわずっている。

早くこの場を離れたい。

身体が小さく震えているのが分かった。

「鈴村君、山辺先生に全部を委ねてるのかな?って。そのくらい信頼してるんだな・・・って。まるで愛情?って思ったくらい」

「そんな事無いです。あの人は男性だし先生です。信頼はありますけど・・・」

「だよね!ゴメンなさい。実は見てて羨ましかったんだ。私も生徒からあんなに信頼されたいな、って思っちゃって。だからつい絡んじゃった!気にしないで」

それはいつもの清水先生の軽く穏やかな口調ではあったが、私は背中にヒンヤリとするものを感じた。

先生の目は笑っていない。

「私と生徒の関係って消しゴムみたいなものだから。必要とされて入るけど、すり減って使えなくなると存在そのものもポイ捨てされて忘れられる。あの娘たちが卒業して数年経ったら私の事なんて忘れちゃうんだろうな・・・って。でも、山辺先生は違うんだよね。鈴村君にとって山辺先生は消しゴムなんかじゃ無いんだろうな、って思う」

「そんな事無いです。あんな冴えない人・・・あ、すいませんそろそろ帰らないと」

私はこの空気感に耐えかねて、立ち上がった。

このまま会話を続けると、何か・・・何かマズい空気になりそうな予感を感じたのだ。

「あ、ごめんなさい!やだ、私ったらこんな変な事ばかり話して。困らせちゃったね」

清水先生はぺこりと頭を下げると、突然私の頬に手を当てた。

私は突然の事に頭が真っ白になったけど、不思議と拒否できない。

「またね。鈴村君」

先生は私の目をじっと見つめながら静かな口調で言った。

私は無言で小さく頷いた。

それが精一杯だった。

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