シャボン玉
先生はよく分からないと言った表情でじっと私を見ている。
私はここにいるのに。
なのにここにしかいない。
一度零れた言葉は、自分でも驚くくらいにまだまだ零れてきた。
「クラスの友達や・・・好きな人にも嘘をついていて。でも嘘ついてないと、みんな壊れちゃうんです。だから怖くて本当の事を言えない。ずっと昔、本当の事を言ってたらみんな壊れちゃったから。みんなに嫌な思いをさせたから。でも、嘘ついてると苦しいんです。こんな私で大切な人や好きな人の前に居るのが辛いんです。だから上手く話せなくなっちゃって」
先生はいつの間にか道の端に寄って、難しい顔で聞いていた。
引いてしまったのだろうか?
不安になった私に向かって、先生は小さく頷くと言った。
「今まで多少なりとも日高さんと話してきたから、君がしっかりした人だと言うのは分かってる。だから、その嘘と言うのが何なのか話さないのは理由があるんだろう。だから僕もそれは聞かない。その上で僕の思うことを正直に言うけど良いかな?」
話しながら先生は私の目を真っ直ぐに見る。
「射貫かれる」と言う表現がぴったり来るような、そんな眼差しだった。
私はその初めて見る姿に魅入られ、頷いた。
「嘘を言いたくない、でも言わないといけない。それは僕も経験あるし、誰でもきっとあると思う。もし僕が君の立場だったら・・・『どっちの自分を少しでも好きになれるか』だと思う。その嘘によって他の人に何らかの不利益が生じないのであればね。」
先生は私に話しながら、まるで自分に言い聞かせているかのように見えた。
「だって正解なんてないし、まして他人がそんなの決められない。苦しんでるのはその人なんだし、誰もその人の人生をまるごと抱えるなんて出来ないんだから。周囲の人ってその程度なんだ。だからその程度の周りの事なんて考えなくていい。自分勝手になればいい。日高さんは嘘をついている自分か、正直な自分かどっちがほんの僅かでも・・・紙一枚程度の厚さでも多く好きになれそう?なれる方がきっと日高さんにとって選ぶべき道だよ。その選択に正解なんてない。どっちが好きになれそうか、それだけでいい」
好きになれそう。
その言葉を聞きながら頭の中に、今までの自分がぼんやりと浮かんでは僅かに動いて消えていった。
まるでシャボン玉のように。
私はそのいくつかのシャボン玉をただぼんやりと見ていた。
好きになって良かったの?
私は今までの私を好きになって良かったんだ。
先生の言葉で初めて私は、自分の事が嫌いだったんだと分かった。
男子にも女子にもなれない自分。
私は私であるためにいつも苦しい。
どうやってこんな私を箱の中に納められるだろう。
出しっぱなしにしてたら、みんなの邪魔になっちゃうから早く片付けないと。
でも時々出して虫干ししてやらないと臭くなってみんなにもっと嫌がられちゃう。
だからごめんなさい。ちょっとだけだから時々出させてください。
みんなの見えない所でやりますから。
干し終わったらすぐに片付けますから。
どう?あきの、みんなみたいにおへやがきれいにできてるよ?
もうへんなものばかりちらかして、いやなかおされてないよ?
こういうのをならべればみんなのおへやみたいにみえるよね?
だいじょうぶかな?ホントにだいじょうぶかな?
へんなものやきたないものは、おしいれのおくにちゃんとしまってるからだいじょうぶだよね?
ホントはすてちゃいたいけど、いまはどうしてもできないの。
ごめんなさい。
いつかきっと・・・
あなただれ?
やめて、それをださないで。
みたくないの。
おねがい!
・・・ねえ、ホントに止めて。
そんなの見たくない。
あなたに責任取れるの?
見たくないんだって!!
本当なんだから!!
言ってるでしょ!!
もう・・・知らないから・・・
「大丈夫?日高さん?ゴメン、いきなりあんな事言って・・・」
先生の狼狽えたような声が沢山のシャボン玉の間からこもったように聞こえてきた。
私、泣いていたんだ。
そんな自分に驚いたけど、そのままでいいやと思った。
だって私は泣きたいんだから。
あなたが泣かせたんでしょ。
責任取ってよ。
だから今からの事も受け入れてくれるんだよね?
「・・・好き」
「え?ごめん、もう一回良いかな。ちょっと聞こえなくて・・・」
私は返事の代わりに先生の顔を真っ直ぐ見つめた。
そこまで近づいていないのに、なんでだろう。
今までよりもずっと近くに見える。
私は目を見開いたまま無言でウィッグに手を伸ばして、それを外した。
先生がギョッとするのが分かった。
こんな可愛い顔するんだ。
笑い出しそうになったけど、我慢して深く息を吐いた。
体全体が脈を打っているように感じる。
手足が細かく震えている。
笑顔を作ったつもりだけど、上手く笑えない。
本当はメイクも落としたかったけど仕方ない。
その代わりにゆっくりと言った。
「先生。これが・・・私です。鈴村昭乃です」
「鈴村・・・」
あれ?ここからなんて言ったらいいんだろ?
次の言葉が浮かんでこない。
でもいいや。
責任取ってくれるんだよね?
私は先生に飛び込んだ。
そして先生の反応を待たずに強くしがみついた。
先生の香り。
少し汗臭いけど、甘くてホッとする。
この香りは全部私の物だ。
その香りが呼び水になって、また涙が出てきた。
でも、半分はわざとだった。
泣いてる女の子を邪険に引き離したり出来ないよね。
あなたはそういう人。
「これが、私なんです。小さい頃から、ずっとこれが私なんです」
泣きじゃくりながら言う私に先生は無言だった。
今、どんな顔してるんだろう。
確かめるのが怖くて、私はランニングウェアによりしがみつき、顔をもっと埋めた。
まるで、母親にしがみつく子供のように。
そのうち根負けしてよしよしと頭を撫で許してくれるのを、無邪気な狡猾さで待っている子供のように。
やがて先生の腕が私の背中に回された。
あ、よしよししてくれた。
あったかい。
分かってるから大丈夫。
この温もりも全部私の物。
「鈴村・・・教えてくれて有り難う。先生は味方だから」
私はウェアに顔を埋めたまま深く息を吐いた。
「先生がいれば・・・頑張れます」
あなたさえ居てくれれば。
「うん」
「これからも・・・私と一緒に居てください。一人じゃ頑張れません」
「大丈夫だ」
「もうちょっと、このままで居てください」
「分かった」
もう片付けなくていい。
だってこれからは先生だけお部屋に呼べばいいんだから。
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