第8話 『邪馬壱国のイツヒメ(伊都比売)とミユマ(彌勇馬)』

 正元二年六月十五日(AD255/7/15⇔2024/6/10/23:00)


 修一が弥生時代にきて十日が過ぎていたが、正直なところやることがない。

 

 不安は増すばかりだったが、どうしようもない。来た原因とそのプロセスが解らなければ、何をやったところで無意味なのだ。


 そこで修一は、その優先順位を下げ、まずはこの世界で生き残る事を考えた。壱与との結びつきを切ることなく、この世界(時代)の事を知り、現代の知識をフル動員して役立たせ、生き抜くのだ。


 壱与のおかげである程度の自由が認められた。

 

 壱与的には完全に自由にしてあげたかったのだろうが、イサク伊弉久たち壱与周辺の人間から見れば、明らかに異邦人である修一の存在は、危険分子でしかなかったのだ。


 壱与の宮殿への出入りは許可をされていたので、毎日顔を見ることは出来た。町の中を自由に歩き回ることも出来たので、各集落を見回り、いろんな事を観察している。


「あ! これは……」


 ふと修一は道ばたの雑草に目をやった。


『ゲンノショウコ』である。


 修一が小さい頃、祖母がよく煎じて飲ませてくれた、苦いお茶だ。しかし、緑茶の茶葉を買うという習慣がなかった実家では、そのゲンノショウコがお茶がわりであった。


 修一の記憶はもう何十年も前の事なので定かではないが、その記憶によれば、お茶=ゲンノショウコ茶=ミカン茶だったのだ。


「これは、いいかもしれない」


 そう思った修一は、即座に行動に移った。

 

 壱与から籠を借り、先ほど道端で見つけたゲンノショウコの群生地へと足早に向かう。野原に着くと、躊躇ちゅうちょすることなく摘み取りを始めた。


 ゲンノショウコを採集するときにきをつけなくてはいけないのが、トリカブト(猛毒!)との違いを正しく知る事である。いくつか違いがあるが、なぜか鮮明に思い出す事ができた。


 まず、ゲンノショウコは芽出しの頃、葉っぱに赤紫色の斑点がある。斑点があれば、それはゲンノショウコだ。第二に、ゲンノショウコの茎や葉には毛があるが、トリカブト類にはほとんどない。


 第三にゲンノショウコの葉柄ようへい(葉っぱと茎の間の枝のようなもの)の付け根には、線形の托葉たくよう(小さな葉っぱのようなもの)がある。

 

 最後に、トリカブト類の根には紡錘形の塊根(要するに膨らんだ球根っぽいやつね)があるが、ゲンノショウコの根は細い。ちなみに根っこには薬効がないから、引っこ抜いて後で切ってもいいし、ちぎって採集してもいい。


 夏の日射しが照りつける中、修一は黙々と作業を続ける。汗が額を伝い落ちるが、それも構わず集中していた。その姿は、まるで考古学者(考古学者です)が遺跡を発掘するかのようだ。


 間違わないように慎重に、しかし効率的に。


 籠が徐々に満たされていく。緑の葉が重なり合い、やがて山盛りになっていった。修一の額には汗が光り、手のひらには土の感触が残る。しかし、その疲労感よりも達成感の方が勝っていた。


「これで十分だろう」


 籠いっぱいになったゲンノショウコを見て、修一は満足げにつぶやいた。これからお茶を作り、壱与たちに新しい味と効能を紹介できる。その期待に胸が高鳴る。


 ふと背後に気配を感じ、振り返る修一。そこには壱与の姿があった。


「うわあっ! びっくりしたあ!」


「なにをしているのだ?」


 壱与の声には純粋な好奇心が感じられ、くったくのない笑顔は修一をなごませる。


「どうしたの壱与」


「どうしたも何も、の姿が見えぬから探しにきたのだ」


 周りには女官長と思われる人と数人の女官、そして近衛兵のイサクがいた。


「ええっと……この人達は?」


「ん? イサクはもう知っておるな? この者は、伊都比売いつひめと申して女官長だ。歳はとあまり変わらぬ。吾の身の回りの世話や、祈祷きとうや様々な手助けをしてくれる」


「イツヒメにございます。シュウ様ですね? お話は壱与様から聞きました。なんでも先の世から来られたとか」


 ええ? 壱与ってばそんな事まで話したの? 


 修一は戸惑いを隠せず、イツヒメにペコッと頭を下げ、再び壱与の顔を見て驚きを露わにする。


 壱与よりも少し年上に見える彼女は、まさにお姉様系美女という感じだ。壱与よりも少しだけ背が高い。おっとりした顔立ちで、こちらも間違いなく現代では人気がでるだろう。


 そして少しだけ特有の色気がある。少しだけ、特有の、だ。


「おい! 何を見ているのだ。吾の問いに答えよ」


 なぜか壱与は少し怒っている。


「汝の気持ちは分かる。然れど、こちらの世界ではその方が良いと判断したまでじゃ。その儀は後で話す。それはなんじゃ」


「あ、ああ」


 何か考えがあっての事だろう。そう修一は考える事にした。


「これはゲンノショウコって言ってね。煎じて飲むと、下痢げりや便秘に効くんだよ」


「下痢? 便秘?」


 壱与にも単語がわからないようだ。無理もない。


「えーっと……そうだな。ご飯を食べても何日もトイ……かわやにいかずに腹に溜まったり、逆に行きすぎて便、……わかるよね? それが柔らかになったりするけど、その症状を和らげるんだ」


 長く煮ると下痢止め、短く煮ると便秘薬になる。


「なんと! そなたは薬師くすしなのか?」


「そうじゃないよ。ばあちゃんからの受け売りだ。えーっと、まあ、なんだ。長老のばあさんみたいな感じ?」


 他にもゲンノショウコは、煎じればその液を外用薬として霜焼けや腫れ物に使える。うがいをすれば扁桃腺へんとうせん炎や口内炎、歯痛の緩和にもなるのだ。冷え性や婦人病、高血圧予防には浴用とすればいい。





 ■数日後


「! ……少し、苦いな」


「ごめんね。壱与が向こうで飲んだお茶は緑茶って言って、まだこの時代、日本……倭……この国にはないんだよ。だから、気分だけでもって言う事で、体に良いゲンノショウコ茶を作ったんだ」


「シュウが悪い訳ではない。それに……なんだ、慣れると意外と飲みやすい。これで体に良ければ良いではないか」


 壱与は少し我慢しながらも、ゲンノショウコに慣れようと努力していた。


 確かに緑茶に比べれば、いかにも薬といった苦みのある味である。


 修一は慣れていたが、初めて飲む人は苦いと感じるだろう。飲みやすい、と言ったのは、修一を心配させないように壱与なりの努力だったのかもしれない。


 お茶は、ないのだろうか? 原生してないのか? そう考える修一であった。



 


「それで、シュウ殿、汝がこことは違う世界から来たというのは本当ですか?」


 イツヒメが切り出した。修一は驚いて壱与を見る。人払いされた一室には三人しかいない。


「イツヒメ、性急すぎる。まずは順をおって話さねばならない」


 壱与はイツヒメを制して、話を続けた。


「まず、修一が言ったように、吾が戻らなければ吾の身代わりを立て、国を治めるという流れになっておったようだ」


 驚いた修一はイツヒメを見るが、イツヒメは黙ってうなずいた。壱与はイツヒメに、これまでの経緯を全てはなし、修一が言った壱与身代わり説も伝えていたのであった。


「然れど幸か不幸か、幸と言うべきだろうな。吾は戻り、この通り生きている」


 壱与は淡々と言う。


 やはり何者かが壱与の殺害を図ったか、そうでなくても、身代わりが傀儡かいらいとなって統治する計画となっていたようだ。


「それ自体は悪しき事ではない。無論、(殺されたのならば)憾みもするであろうが、そうでなかった場合、行方不明などで女王位が空位となって国が乱れるのならば、傀儡であろうがなんだろうが、立てるほかないからな」


「なるほど、それで文献にみる266年の遣使の件は説明がつくね」


「うむ。それで、吾も悩んだのだが、イツヒメだけには本当の事を話していた方が、シュウもこの時代で生きやすいのではないか、吾が刻を飛んだ理由も明らかになるのではないかと思うたのだ」


「そっか……ありがとね」


 確かに、理解できる協力者は多い方が良い。どうやら壱与とイツヒメは単なる女王と女官長の間柄ではないようだ。


 そう思って聞いてみると、やはり幼なじみで、同じように壱与とイツヒメは学び、壱与が宗女として選ばれ、イツヒメは女官として残った、という訳らしい。


「シュウ殿、その、先の世の力で、天照大神の、天日の力を自在に操れるなら、この謎がわかるのではないか?」


 いや、それは無茶ってもんです。


 そう修一は思いつつも、丁寧に説明した。


「とにかく、壱与が現代に飛ばされたのも、俺がこの時代に飛ばされたのも、何か理由があると思う。何の神様かは解らないけど、壱与がいなくなって266年の遣使の記述だけだったのが、壱与が戻って何かが変わるなら、それが本来の歴史で、空白の四世紀の謎を解く鍵なのかもしれない」


 要するに、壱与が飛ばずにそのままなら、空白の四世紀が生まれる。飛んできて現代でくらしても、生まれる。そして今回、この時代に戻ってきたと言う事は、その空白の四世紀の謎を解くためなのかもしれない。





「申し上げます! 彌勇馬みゆま大官様、お戻りにございます!」





 次回 第9回 (仮)『邪馬壱国の国際情勢』

 正元二年六月二十五日(AD255/7/25⇔2024/6/11/09:00)

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