身の程を知る

 次にナタンが目を開けた時、彼の頭上にあったのは見知らぬ天井だった。

 しかし、その石造りの部屋の壁には、どこか見覚えがあるような気もした。

 頭の上から、誰か――男の話す声が聞こえてくる。

「……『普通』の人間なら死んでいてもおかしくないぞ。流石さすが、『異能いのう』は頑丈だな」

 全身に走る痛みの為に、ナタンは起き上がるどころか首を捻ることもできず、声のした方に目だけを動かしてみた。

 視線の先には「武器屋」の店主が立っている。

 どうやら、ここは店の奥らしい。と、来客を知らせる呼び鈴が鳴った。

「あぁ、お客が来たから応対してくる。ここには俺以外出入りしないから、好きに使ってくれ」

 店主は、そう言い残して部屋を出て行った。

「気が付いたか」

 再びフェリクスの声を聞いたナタンは、自分が彼に半身を抱き起こされている状態であることに気付いた。

 ――そういえば、破落戸ごろつきのような男に殴られていたところを、フェリクスに助けられたんだっけ……

 重たいほどに腫れ上がった顔の感覚で、ナタンは自身に起きたことを思い出した。

「今、手当をしますからね」

 かたわらでは、セレスティアがひざまずくようにして、心配そうにナタンの顔を覗いている。

 まだ、ぼんやりとした意識の中で二人の顔を見ているナタンの目の前に、セレスティアが右手をかざした。

 彼女が目を閉じ精神を集中させると、そのてのひらが淡く輝き始める。

 同時に、ナタンは、全身が何か暖かく柔らかなものに包み込まれるような感覚と共に、顔や体の痛みが徐々に和らいでいくのを感じた。

「まだ、痛む部分は、ありますか?」

 セレスティアに問いかけられ、ナタンは恐る恐る自分の顔に触れてみた。

「……あれ? 何ともない……?」

 瞼を開けるのも一苦労ひとくろうなほどに腫れ上がっていた顔は、元の何でもない状態に戻っている。

 あちこち殴られたりぶつけたりした身体中の痛みも、嘘のように消えていた。

 ナタンは、フェリクスの手を離れ、自身の力で身を起こした。

「もう、大丈夫そうですね」

 微笑みながら、セレスティアが頷いた。

 「異能いのう」には、ナタンやフェリクスのような、頑丈な肉体と高い身体能力を持つ者の他に、不可思議な超常の力を持つ者もいる。

 いずれも、遥かな昔に人間と交わった「神々マレビト」から受け継いだちからと言われていた。

 セレスティアは、超常のちからの一つである、「癒しのちから」を持つ「異能いのう」なのだろう。

「良かった……君が殴られているところを見た時は、生きた心地がしなかったぞ。よく頑張ったな」

 フェリクスが、心から安堵したという様子で息をつくと、小さい子供にそうしてやるように、ナタンの頭を優しく撫でた。

「だが、すまない……君を探していて、見つけるのに時間がかかってしまった所為で……」

 言って、フェリクスは眉尻を下げた。

「私が呼び止めようとした時には、もうナタンの姿が見えなくなってしまっていて……もっと早く、フェリクスを呼べば良かったですね」

 セレスティアも、眉を曇らせた。

 ナタンは、言葉もなく、ただ神妙な顔で俯いた。

 考えなしに危険に飛び込み死にかけたところを、フェリクスたちには、これで二度も救われたことになる。

「俺が目を離してしまったのが不味まずかったな。……都会では、子供に迷子防止の紐を付けているのを見かけるが、あれをナタンにも付けておけばいいのではないか」

「それは良い考えですね! 見栄えよりも安全を重視するべきですよね」

 フェリクスとセレスティアは、とても冗談を言っているとは思えぬ真剣な顔で話し合っている。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。いくら何でも、迷子防止の紐は勘弁してくれよ……幼稚園児じゃあるまいし、流石さすがに恥ずかしいよ」 

 そう言ったナタンの目からは、知らず知らずのうちに涙が溢れていた。

 フェリクスとセレスティアが、腹を立てたり呆れたりする様子を見せず、ひたすらナタンを心配していることで、情けなさに拍車がかかっていた。

「まだ、どこか痛みますか?」

 セレスティアが、心配そうにナタンの顔を覗き込んだ。

「……違う……違うよ……」

 ナタンは、服の袖口で涙を拭いながら呟いた。

「俺、自分は結構強いほうだって思ってたんだ……でも、さっきの男には全然歯が立たなかった……世の中には、あいつと同じくらい強い奴なんて普通にいるんだろうなって思ったら……」

「大丈夫だ。二度と、こんなことのないように、俺が守るから」

 フェリクスが、ナタンの肩を抱いて言った。

 その温もりは、ナタンにとって不思議な安心をもたらすと同時に、ずっと触れていてはいけないのだと感じさせるものだった。

「……それじゃ、駄目なんだ。いつまでも誰かに守ってもらっていたんじゃ、結局は実家でぬくぬくしていた時と同じだ……それじゃ、この悔しい気持ちは、なくならないと思うんだ」

 ナタンが、しゃくりあげながら絞り出す言葉を、フェリクスとセレスティアは少し驚いた表情を見せながらも、無言で聞いている。

「このままじゃ、他人どころか自分も守れない……だから……フェリクス、あんたに戦い方を教わりたい」

 自分ながら、少し図々しいのではないかとも思いつつ、ナタンは言った。

 しかし、生まれて初めて味わった惨めな敗北は、彼から形振なりふりを気にする余裕など奪い去っていた。

「そうだな。生きていく上で、自分で状況を切りひらちからも必要か。俺は他人に教えるのは不得手だが、君が望むなら、できる限りのことをさせてもらおう」

 フェリクスは頷くと、ナタンの両肩を軽く叩いた。

「人は、できるだけらくをしたいと思うのが当たり前と考えていましたが、ナタンは、偉いですね。でも、無理はしないでくださいね」

 セレスティアも、そう言ってナタンを優しく見つめた。

「二人とも、ありがとう。……うん、身に沁みたから、これからは気を付けるよ」

 ナタンは、照れ臭そうに笑って、頭を掻いた。

 ――そういえば、何か忘れている気がするような……?

 ふと、彼が思った時、背後から、消え入りそうな少女の声が聞こえた。

「…………申し訳……ありません……わ……私の所為で……」

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