しがらみを逃れて

 空っぽだった胃袋に玉蜀黍トウモロコシのスープを入れたナタンは、眩暈めまいを催すほどの飢餓感から解放され、とりあえず人心地がついた。

「次は肉料理も頼んでみるか。この『牛肉の自家製味噌ミソ漬け焼き』も旨そうだが、君は『腸詰めソーセージの盛り合わせ』あたりのほうが食べ慣れているかもしれないな」

 品書きメニューを見ながら、フェリクスがナタンに声をかけた。

「ミソ……ヅケ?」

 聞き慣れない言葉に、ナタンは首を傾げた。

「『味噌ミソ』というのは、この大陸の東、海を隔てた『ヤシマ』で作られている調味料の一種ですね。豆を発酵させたものだから、多少クセはありますが、食べ慣れると美味しいですよ」

 セレスティアが言って、微笑んだ。

「じゃあ、その『ミソヅケ焼き』というやつに挑戦してみようかな」

 ナタンの言葉を聞いたフェリクスは、店員を呼び留めると、幾つかの料理を注文した。

「あんたたちは、『ヤシマ』に行ったことがあるのか? 俺は内陸部育ちで、本物の海すら見たことがないんだ」

 料理を待ちながら、ナタンは二人に話しかけた。

「ああ。俺たちは、あちこちを旅して回っている。気に入った場所には長居することもあるが」

「『ヤシマ』も、いいところでしたね。初めて行った時、お魚を生で食べるのには驚きましたけど」

「『刺身サシミ』も、しばらく食べていないと、懐かしくなるな」

 言いながら、フェリクスとセレスティアは、顔を見合わせて微笑んだ。

 ナタンは二人に対し、その外見から、お忍びで旅をする、どこかの姫君と、お付きの騎士ででもあるのかとも思ったが、こうして見ている限り、彼らの関係性は対等なのだと感じた。

 ――つまり、普通の仲睦まじい恋人同士、というやつか。

 彼が、そんなことを考えているうちに、注文した「牛肉の自家製味噌漬け焼き」が運ばれてきた。

 まだ熱い鉄板の上で、じゅうじゅうと音を立てている牛肉からは、発酵食品特有の匂いが立ち昇っている。

 一瞬、ナタンは躊躇ためらいつつも、ナイフで切り分けた肉を口に運んだ。

 たしかに、ややクセのある味だとは思ったが、何度か噛み締めていると旨味が増してきて、気付けば、彼は夢中で肉を頬張っていた。

「これと一緒に食べると、もっと旨いぞ」

 フェリクスが、肉と一緒に運ばれてきた壺のような容器から、白い何かを取り皿に盛り付けて差し出した。

「これって、味付けしてない『コメ』?」

 ナタンは再び首を傾げた。彼の知っている米料理といえば、魚介類や野菜などの具材と煮込んだ、味の付いたものだった。

「珍しいか? だが、『ヤシマ』の『味噌ミソ』や『醤油ショウユ』には、この炊いた『白米ハクマイ』が合うんだ」

 フェリクスに言われるがまま、ナタンは味噌味の肉と白米を交互に食べてみた。味噌の旨味と塩気が、噛むと仄かに甘い「白米」を引き立てる。そして、逆もまた然り、だ。

「ホントだ、いくらでも食べられそうだ」

 白米をおかわりするナタンを、フェリクスとセレスティアは、優しく見守っている。

「ナタンは、食べ方が綺麗ですね」

「そうか? うちの親が、そういうのに、うるさいからかな。何かと言えば家の格式がどうとかって」

 セレスティアの言葉に、ナタンは実家を思い出して、少し眉尻を下げた。

「なるほど。スレたところが無いと思っていたが、君は、きちんとした家の育ちなんだな」

 ふむふむと、フェリクスが頷いた。

 まず間違いなく、彼に他意はないだろう。しかし、ナタンには、暗に「世間知らず」と言われているように思えた。

「立派過ぎる先祖を持つと、面倒なこともあるのさ」

「立派過ぎる先祖?」

 小さく溜め息をいたナタンを、フェリクスが見つめた。

「俺の爺さんの爺さんが、故郷では偉人と呼ばれるような人なんだ。一族の連中は、それを誇りにしてるけど、その所為で、俺が何をしても親の七光りと言う連中もいて、正直鬱陶うっとうしいと思うこともあるよ」

 目の前の二人は、自分とは深い関りがない――それがかえって気安さを生んだのか、いつしかナタンは、ぽつぽつと自らの身の上を話していた。

 ナタンの一族は、その多くが政治家や官僚だ。特に、故郷の偉人と呼ばれる始祖の直系であるナタンの実家は、代々国政の中枢に人材を送っている。

 兄二人のうち、上の兄は政治家である父の跡を継ぐべく秘書として修業中、次兄は高級官僚の採用試験に合格し、こちらも将来を約束されていると言える。

 ナタンも、何事もなければ兄たちと同じように安泰な道を歩める筈だった。

「自慢じゃないけど、俺、学校での成績は良いほうだったよ。でも、やりたいことがあるから大学には行かないって言ったら、親と喧嘩けんかになって……父さんが『親の言うことを聞かないなら勘当だ』って言うから、これ幸いと家を出てきたって訳さ」

「君のやりたいこと、というのは、『無法の街ここ』で発掘人ディガーになることか?」

 黙って頷きながらナタンの話を聞いていたフェリクスが、口を開いた。

「そうさ。ここなら、何のしがらみもなく、自分の力を試せると思ったんだ。『魔導絡繰まどうからくり』にも興味はあったし」

「でも、お家の方たちは、心配されているのではありませんか? 『勘当する』というのも、あなたを止めたかっただけで、本気ではなかったのだと思いますよ」

 セレスティアが、少し悲し気な目でナタンを見つめた。

「――そうだな。君は、家に帰ったほうがいいと思う」

 フェリクスの思わぬ言葉に、ナタンはたじろいだ。

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