無法の街-アストルムクロニカ-

くまのこ

意地で空腹は満たせない

「……かっこ悪いなぁ」

 ごみごみした薄暗い裏路地のすみに座り込んだまま、ナタンは呟いた。

 つやを失くした、ぼさぼさの赤毛と琥珀色の瞳、中肉中背といった体格に、よく見れば割と人好きのする顔立ちの少年だ。

 しかし、その埃っぽい出で立ちは、どこへ出しても恥ずかしくない宿無しといった風情である。

 日が暮れて夜の帳が降りつつある中、周囲の建物の窓や隙間から、灯りが漏れている。

 どこからか食べ物の旨そうな匂いも流れてきた。肉の煮込み料理や串焼きといったところだろう。

 近くに、宿を兼ねた食堂があるのを思い出して、ナタンは生唾なまつばを飲み込んだ。

 しかし、先立つもののない空っぽのふところは、彼が腹を満たすことを許さなかった。

 実家に帰れば、とりあえず食べ物も寝床もある――そんな考えがナタンの頭をよぎったが、彼は、それを即座に打ち消した。

 ――自分一人でやれるって大口叩いてきたのに、今更帰れるもんか。第一、移動する資金すらないってのに。

 項垂うなだれて溜息をいていたナタンは、ふと自分の前に誰かが立つ気配を感じた。

 顔を上げたナタンの目に、暗い色の頭巾付き外套を身にまとった、やや大柄な男がうつる。

「どうした。具合でも悪いのか」

 男はかがんで、ナタンの顔を覗き込んだ。

 周囲の暗さと、目深に被った頭巾で隠されているのもあって、男の顔は、よく見えない。だが、その声から、ナタンは男を自分より少し年上――二十歳くらいだろうか、と思った。

 口を開くより先に、ナタンの腹の虫が派手な鳴き声をあげた。

 なるほど、とでも言うように頷く男を見て、ナタンは赤面した。

「よかった。怪我をしているとかではなかったのですね」

 頭上から降ってきた澄んだ声を耳にして、ナタンは、男の傍らに、もう一人の人物が立っているのに気付いた。

 男と同じ頭巾付きの外套をまとっているが、小柄で華奢な身体つきと声から、それが若い女だということが分かる。

「動けないほど空腹なら、俺たちと一緒に食事でもどうだ。君も、いいだろう?」

 そう言って、男は若い女のほうに顔を向けた。

「もちろん、歓迎しますよ。賑やかなのも、たまには良いですね」

 女が頷くのを見たナタンは、慌てて言った。

「ま、待ってくれよ。俺は、まだ何も……大体、何で俺なんかに……」

 ナタンは戸惑っていた。見ず知らずの男女が、如何いかなる意図で、そのような申し出をするのかを計りかねていた。

 まして、彼は、この「街」に来てから、数回「うまい話」に騙されていた。路銀が底をついたのも、その為だ。

「心配するな。俺たちも、君のような子供を食い物にしなければならないほど困ってはいない」

 男が、ナタンの不安を見透かしたのか、被っていた頭巾を外した。その素顔は、ナタンが感じた通りの、若い男だった。

 人を子供扱いしてるが、自分だって大して変わらないじゃないか――そう言おうとしたナタンだったが、男の長い睫毛に縁どられた緑色の目に見つめられ、思わず息を呑んだ。

 顎のあたりまで伸ばした栗色の髪と対照的な白い肌、そして整った面立ちは、どこか人間離れした美を感じさせる。

「君は、俺の大切な友人に似ているんだ。そして、困っているなら、尚更、放っておけないと思った。それだけでは、駄目だろうか?」

 言って、男は微笑んだ。何故か、その笑顔は、孫を眺める祖父のような「慈愛」を感じさせるものだった。

 男にならってか、女の方も頭巾を外した。こちらは、ナタンと変わらないくらいの年齢に見える、可憐な少女だ。白に近い金髪によく映える、大きな青い目で、彼女はナタンを優しく見つめた。

 ――たしかに、今の俺みたいな文無もんなし、それこそ逆さに振ったって何も出やしないのは、子供にだって分かる理屈だ。彼らは、本当に「ただの親切な人」なのかもしれない……

「それじゃ、お言葉に甘えるかな」

 理屈で考えていたつもりだったが、何より空腹に勝つことができず、ナタンは、そう答えた。

「そうか、良かった。……立てるか?」

 男は何故か安堵したかのように言うと、右手を差し出してきた。

 ナタンが男の手を握り返し、立ち上がると、彼は再び口を開いた。

「まだ名乗っていなかったな。俺はフェリクス、彼女はセレスティアだ」

「俺は……ナタンだ」

 幸福フェリクス神聖セレスティアも、よくある名前だな――ナタンは自分も名乗りつつ、そう思った。

贈り物ナタン……ですか。良い名ですね」

 セレスティアと呼ばれた少女が、そう言うと、フェリクスが頷いた。

「そうだな。名付けた人の気持ちが込められているのだろう」

 ――ああ、この二人は、幸せな人生を歩んできたのだろうな。

 フェリクスの言葉を聞いたナタンは、何とはなしに思った。

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