第12話 不幸の象徴

 私と話していた教員は、どうやらくろ先輩のことが嫌いであるらしい。


 だからくろ先輩の悪口を言っていた。そして、その悪口はおそらく途中から聞かれていた。


 どうやらくろ先輩は教室に忘れ物をしたらしく、机から小さなカバンを持って再び教室を出ていった。


 こちらの会話は聞こえていただろうに、こちらには見向きもしなかった。ただただ最短距離で忘れ物を取って、そのまま帰っていった。

 

 教員は気まずそうに頭をかいて、去っていった。そりゃ学生の悪口を聞かれていた可能性があるのなら逃げるだろう。本来なら謝罪すべきだと思うが……


 ともあれ、こうしてくろ先輩が戻ってきてくれたのは朗報だ。


 私は廊下で彼に声をかける。


くろ先輩……」

「……?」


 話しかけると、彼はちゃんと立ち止まって振り返ってくれた。


 整った顔立ちだった。こうして真正面から見ると美しさが際立つ。背も高いほうだし、意外にも鍛えてありそうな身体だった。目立たないけれど、脱ぐとすごいのではないだろうか。


「あ、あの……」声をかけたのは良かったが、続く言葉が見当たらない。「くろ先輩、ですよね?」

「……1つ忠告だ」落ち着いた声だった。「できることなら、その名前で呼ばないでほしい」

「え……?」

くろという名前は嫌いでね」珍しいから嫌い、なのだろうか。ならねこも嫌いそうだが……「くろでないのなら、他の呼び方はなんだって構わない。なんなら僕の忠告なんて無視してくれても構わない。ただ……僕はその名前が嫌いだ」


 自分の名前が嫌い……


 私は……どうなのだろう。自分の名前が好きだから反応に困る。


「じゃあ、あの……えっと……」なんて呼ぼうか迷って、「じゃあ、ねこ先輩」

「なんだい?」悪の科学者みたいなしゃべり方だな……「僕に声をかける人がいるとは珍しい」

「そうなんですか?」

「黒猫は不幸の象徴らしいからね」


 やっぱり聞こえてたんだ……


「す、すいません……止めるべき、でしたよね……」

「なにを止めるんだ?」

「あの先生の……悪口」


 悪口を言っているのを知っていて止めない私も同罪だ。悪口に加担していたようなものだ。


「止める必要などないだろう。あの手の人間は無視するに限る。ヘタに止めて面倒事に巻き込まれるのは避けるべきだ。逃げるが勝ちってやつだよ」


 結構早口だけれど、かなり聞き取りやすい。滑舌が良いのだろう。


 くろ先輩……じゃなくてねこ先輩はきびすを返して、


「話はそれだけかい? なら――」

「あ、いえ……ほかに話がありまして……」

「なんだ?」


 一応立ち止まってくれるんだな……完全に無視されることも覚悟していたんだが……


 ……なんて切り出そうか……いきなり殺人事件の捜査をしてください、なんて言うと不自然だよな……

 少し世間話から入ろう。


「あの……ねこ先輩は、講義中にノートを取ってませんよね……?」

「だからなんだ?」

「それで、理解できるんですか?」

「勉強のコツを教わりに来たということかな? ならば相手が違う。僕は人になにかを教えるのが苦手でね」

「あ、いえ……コツと言うより、純粋な興味です」


 なんだか彼を相手にすると慌ててしまう。ねこ先輩が冷静だから、こっちが勝手に大慌てしているように感じてしまう。

 ともあれ、私は続ける。


「ほら……頭の良い人って講義を1回聞いただけで理解するじゃないですか。ねこ先輩も、そうなのかなって」

「それは少しばかり間違った理解だと思うよ。少なくとも僕は、講義を一度で理解などしていない」

「……そうなんですか?」

「ああ。正確にはというほうが正しい」


 すでに、理解……?


「……予習をしてるってことですか?」

「広義で言えばそうだな」やっぱり予習なのかと思っていると、「キミはクイズ番組の類は見るかい?」

「いえ……見ませんけど」

「そうか。ではスマホや動画投稿サイトで見るジャンルは?」

「……お料理とか、お化粧とか……」

「ならば、キミが講義を理解できないのは当然だ。そのための行動をしていないのだから。現状の成績を受け入れるんだね」


 バッサリ切り捨てられた。そして完全に図星だから、なにも言い返せない。


 授業を一度で理解する人たちは、常に勉強しているのだ。常に予習しているのだ。いや……勉強をしているという自覚はないのだろう。

 生活習慣が違うのだ。

 私は講義を聞いてする。

 しかし彼らはのだ。


 日常生活で見た、聞いた事柄を思い出す。すでに理解していることを更に深く理解するのだ。だから一度で理解するように見えるのだ。


 なんだか自分の甘さを完全に思い知らされた気分だった。講義を一度で簡単に理解できる方法があるのなら教えてもらおうと思っていた自分が恥ずかしい。


 なんてことを思っていると、


「逆に僕は化粧や料理は詳しくない。なぜならその手の技能を積み重ねていないからだ」

「……? つまり……なんですか……?」

「講義が理解できないのを恥じる必要はない。人間には得手不得手があるということだ。自分が無意識のうちに積み重ねた分野に自信を持てば良い」


 ……

 励ましてくれた、のだろうか。優しい人なのだろうか……


「要件が終わったなら僕は行く」

「あ……いえ……」

「まだあるのか?」嫌な顔をされてしまった。「僕は今現在暇だが、やりたいことがないと言えばウソになる。手短にお願いしたいね」


 それは悪いことをしてしまった。


 ならば……早く本題を告げよう。


「オンライン会議殺人事件……その事件を、解決してほしんです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る