素敵なオーナー

choco

第1話 出会い

 十月の夕方六時は、昼間の暖かさが嘘のように肌寒くなっていた。商店街の街路灯に明かりがともっている。

 徳永 蒼は、窓から外を眺めたあと、これから来る客の為に、準備を始めている。ここは、蒼の経営するネイルサロン ロータス。インターネットで受け取った予約情報だと、二十七歳・男性と書いてあった。男性でネイルというのも、ここ最近では、特に珍しいものでもない。オシャレを楽しむ男性も増えているし、秋になり乾燥してくると、爪が割れてくるという人は多いので、爪を丈夫にしたいとコーティング希望でくる人も増えている。

 二十七歳か。蒼は二十六歳で起業したときのことを思い出す。最初は、なかなか固定客がつかなかった。男性一人で経営している店には、自分が思っている以上の偏見があった。一年経って、ようやく女性スタッフを雇うことができて、自分にも気持ちの余裕が生まれてきたころに、少しずつ固定客がつきはじめた。

 ネイルサロンを始めたきっかけは、単純に人の手や指の形が好きだから。美容系の専門学校へ行き、将来は美容師になるんだろうと思っていが、学校の友達に練習台としてネイルをしてもらったことが、きっかけだった。

 細かい作業は好きなほうだし、なにより、こんなに手に触れられるのか。という思いが一番強かった。すぐにネイリストとして起業しようと決意し、起業のための資金を集めるために夜はバーの接客をいくつか掛け持ちして働き、昼間は学校へ通う。学校を卒業してからも夜はバーの仕事を続けて、ネイリストの勉強をしながら資格をとった。起業するのに十分な金額が溜まったのを機にバーの仕事をやめて、有名なネイルサロンでの修行を経て独立した。

 いろいろあったが、五年目を迎えて、スタッフを二人雇うことのできるくらい順調にきている。


「いらっしゃいませ」

 店のドアが開き、長身の清潔感にあふれた男性が、立っていた。

「予約しました。北条といいます」

 場違いな感じという様に身を小さくしながら、店内に入ってくる。

 初めてネイルサロンに来たのだろう。気恥ずかしさを隠しきれずに、戸惑っている表情が伺える。

「お待ちしてました。本日担当します、徳永と申します」

 蒼は、名刺を渡して、席へ案内した。向かい合い座ると北条のきれいな手をみつめ、いつもの形式的な質問をする。

「本日は、どのようにされますか?」

 北条は、ドアのほうに視線を投げかけてから答えた。

「外の看板を見たんです。爪が割れてしまったので、コーティングを試してみようかと……」

 外の黒板の看板には、時期に応じたキャンペーンを書き出している。今は、乾燥の季節で痛みがちな爪をコーティングして割れないように、美しく見せる。という内容だ。

 蒼は、北条の手をとり爪を見る。

「なるほど。少し、割れていますね。では、爪をそろえてコーティングで強化しましょう。そのあと、ハンドマッサージさせていただきます」

 よろしくお願いします。と小さくつぶやく声音とはうらはらの、北条の笑顔にドキリとする。

 俺はゲイだ。好きになる相手は、だいたいいつもノンケだ。告白する前から玉砕している。職場もネイルサロンだし、出会いはほとんどない。恋人は五年前に別れて以来作っていない。三十一歳という年齢になって、ノンケを好きになるのだから、恋愛なんてあきらめている。

(きれいな手だな。ずっと触っていられる)

 爪の形もキレイで、骨格というのか、指の長さや、手のひらのバランスが良い。蒼は、丁寧に北条の手をもち、爪の甘皮の手入れをしながら、今日は良い日だなと思っていた。

「あ、」

 突然、声を発した北条に自分の下心が見抜かれたのかと、びっくりする。顔をみると、自分のネームプレートを見ているようだった。

「オーナーさん。なんですか?」

 北条のテンションが高くなっていることに、少し驚いたが、はい。と頷いてみせた。

 何か期待をもった目で蒼を見つめながら北条は少し前のめりに話を続ける。

「僕もレストランを経営してて、オープンして一年経ちました。お店を出すのが夢で……」

 声が大きくなってしまっていることに気づき、恥ずかしそうにする北条の表情に目をうばわれる。思わず、見とれてしまっていた。

 北条は、頬を赤くしながら蒼の目をまっすぐに見つめてくる。

「すみません。テンションあがってしまいました。同じ経営者ってことですよね……なんか嬉しい。心強いです。これからも、相談とかあったら話していいですか?」

 一気に距離をつめられたような雰囲気にのまれてしまい、戸惑ってしまったが、すぐに店主と客という間がらを保ち返事をした。

「もちろん。僕で良ければ。北条様のお力になれることがあればいいですが」

 爪のコーティング後、ハンドマッサージをする。

「それでは、これからマッサージさせていだきます。嫌なところがあればおしえてください」

 香料控えめなハンドクリームをまんべんなく手に塗り、マッサージを始める。ぬるぬるとした感触に興奮が湧き上がる。手の平を押したり、指をひっぱったりと北条の手を包み込むように触れる。

(はあ、たのしい。この時間が永遠であればいいのに。)

「強さ大丈夫ですか?」

 北条の顔をみると呟くような「大丈夫です」という言葉とともに頬が上気し、うるんだ瞳に色気を感じて、こちらの心臓が跳ね上がる。

(あっ)

 ほんの一瞬、マッサージしていた手を握り返されたような気がした。

(なんだ、今の……気のせい、だよな)

 施術が終わり、サロンにかかってきた電話に応対するため、蒼は席を外した。

 電話に出ながら視線は北条を追っていた。北条は、上着を着て会計を済ませたあと、蒼のほうを見て、軽く会釈して、店をあとした。

「ありがとうございました」

 行ってしまった。カルテをみる。二十七歳男性。名前は北条悠。またあの手に触りたい。会いたいな。いつまでもドキドキしていた。


 あれから、北条のことが頭からはなれない。一週間が過ぎたのに、あの手や顔やただずまいが、頭の大半を占めていることに気づく。

 なんか、恋してるみたいだな。ふぅとため息混じりに笑う。

 蒼の生まれ育ったところは青森の市内だ。父は役所で勤めていて、母は専業主婦。兄は、同じ市内で教職に就いている。ごく普通の家族。自分を除いては……。

 自分の性癖に違和感を感じたのは、中学生の頃だった。

 その頃によくありがちな異性に対しての話も特に興味が湧かず、同性の顔やしぐさに目を奪われることが自分でも不思議だった。しかし、高校に進学する頃には、それがどういうことか理解していた。これは隠さなきゃならない、なるべく人と関わらないように……部活動もせず、特に親しい友人を作ることもなく高校生活はとても地味なものだった。

 高校を卒業して、美容系の専門学校に東京に進学した。上京に関しては、何も反対されることもなく、むしろ窮屈そうな生活から脱却しようとしていることに、理解をしてくれた。おそらく、俺の性癖も気づいていたと思う。今も時々連絡をするが、適齢期特有の結婚や恋人の話はされない。

 

 上京して、生活が一変した。なによりも人の多さに驚いたが、それが多種多様であり、眩しいほど洗練されていて、今まで見てきたものとは違う色彩の濃さに震えた。専門学校の友人にもセクシャリティを公言している人もいたが、それが特別におかしなこととして捉えることもなく、皆、夢に向かって真っすぐに学んでいた。

 初めて自分を出せる生活にのびのびとしていた。そして二十歳で初めて恋人ができた。

 彼は、友達の紹介で知り合った七歳上の美容師だった。大人の魅力にすっかり夢中になっていて、なにもかも教えてもらった。今から思い出すと恥ずかしくなるくらい、彼に従順で、無知だった。

 このままずっと一緒にいるものだと、自分の未来には彼がいるものだと思って疑わなかったのだから。まさか、五年後、別れ話を出されるとは思ってもみなかった。

 好きだった。すごく好きだったのに。なんで……結果のでないその気持ちはどす黒い塊のように胸の奥深くに居座っている。思い出したくないのに、いつまでもそこにいて、苦しくさせる。

 もうあんな想いはしたくない。人を好きになるのが怖い。もう恋愛はしない。いいなと思う相手ができたところで、それは恋心ではない。

 北条に対しての気持ちは、手が好きなだけだ。そう言い聞かせた。


 仕事一段落片付いた五時過ぎ、今日の予約のお客さんは終了した。夕方の予約が立て込んでいるときは、終わるのが、九時過ぎになることもあるから、予約がないときは早めに店を閉めるようにしている。

 昨日の予約状況で、だいたいの店じまい時間を検討をしていたスタッフの高梨エリカが、みんなで食事しようと誘ってくれた。

 「一駅先にある雪月花っていうお店で、料理も美味しいし、スタッフもイケメンが多いんですよ」

 お店に行く道すがら、エリカが教えてくれた。

 オープンして一年くらいだが、予約をとるのが難しいくらい繁盛している人気店だとか。他にも飲食店が並ぶ場所で、そんなに人気が出るのだから、大したもんだなと感心していた。

 お店に入ると、受付の綺麗な女性が出迎えてくれた。

「いらっしゃいませ」

 エリカが予約した旨を伝える。

 席に案内されながら店の雰囲気を見ていく。メインフロアーには、いくつかの席があり、奥にはバーカウンターもある。わずかに 個室のように仕切られた席もあり、家族連れ客もいる。幼い子供の声が響いても、たいして問題がない。店の作りがいいのだろう。

 窓側の席を案内され席に着いたとき、長身の男性店員が近づいてきた。

「いらっしゃいませ」

 聞き覚えのある声に顔上げる。北条の明るい笑顔が蒼の目に飛び込んできた。

「徳永様。この前はありがとうございました」

 突然のことで、悠の顔を凝視してしまう。

「……っ」

 まさかここで会うなんて思いもよらなかった。なんとか取り繕うように、いつもの営業スマイルを維持しようと心がける。

「ほ、北条様。こちらのお店だったのですか。その後、爪の状態はいかがです?」

「もう、ばっちりですよ。ありがとうございます。これってメンテナンス必要ですよね。また予約します」

 まぶしい笑顔にクラクラする。

 席に着き、ニヤニヤしているエリカと望の顔が目に留まる。

「なんで?」

 蒼は、北条の姿が離れていったのを見届け、声を潜めて二人に話しかけた。するともう一人のスタッフである伊藤望が北条の背中を目でおいかけながら話してくれた。

「このお店ね、スタッフがイケメン揃いだからって、お客さんが教えてくれたんです。で、この前行ってみたら、北条様がいるって気づいて。これは蒼さんに教えなきゃと思ったんですよ」

 望の若さゆえの発想と行動力にはいつも驚かされる。

 望の意見に同意したエリカが続ける。

「私も望に聞いて、これは蒼さんを連れきたほうがいいなと思ったんですよね」

 意味がわからないといった、キョトンとしている蒼に、エリカと望は前のめりになって話しかけてくる。

「好きなんですよね?」

 その言葉に、蒼の頬だけでなく、首までも赤く染まった。

 北条が来店してから、蒼がボーっとしたり、にやけたりしていることが増えたなどと、二人のやりとりが聞こえるが耳に入ってこない。好き。という言葉だけが、脳内を駆け巡っていた。

 何度か自分を呼ばれる声で我に返ったが、目の前のうちのスタッフは、蒼の様子をにやにやしながら、「好きなんですよね」としつこく聞いてくる。

「ま、気にはなってたよ……」

 かろうじて出た言葉とはうらはらに、フロアーを忙しそうに動き回る北条の姿を追うように見つめてしまう。

 好き? という言葉を心に問う。からだ全体熱くなっているのがわかる。

「そんな目で見つめてたら、だれが見ても好きなんだとおもいますけどね」

 望がため息まじりに言い、エリカがそれに応じるように二人の話は弾んでいる。

「失礼します。飲み物おもちしました」

 突然の北条の声に、飛び上がりそうになる。

 顔が上げられない。視線をテーブルにおとしたまま、北条がグラスをテーブルに置いていく指先を見つめる。そして思い当たった言葉をだした。

「手が好きなんだ、手だよ。手。俺は手フェチなんだから」

 思っていたよりも大きな声がでて、自分でもはっとする。

「徳永様、手フェチなんですか。では天職ですね」

 見上げた北条の顔が、微笑む。顔が沸騰するようだ。


「ああーたくさん食べた! 美味しかった」

 望がお腹をさすりながら満足そうに背もたれに寄り掛かった。

「今日はありがとう。ご馳走させてくれ」

 蒼が、グラスに少なくなった、お酒を飲みほした。

 エリカと望はごちそうさまと手を合わせた。

 会計を済ませて帰ろうとしたときに、北条から声を掛けられた。

「徳永様。もしまだお時間があれば、カウンターでもう少し飲まれていきませんか?」

 急な誘いに焦ったものの、多少、お酒が入っていたからか、酒好きだからという理由を自分に言いきかせカウンターで飲むことにした。

「蒼先生、私たちは帰りますね」

 エリカと望が、にやけた顔を向け、そそくさと帰っていた。


 店のトイレの鏡をみて、蒼は、ふぅーとため息を漏らす。

 大丈夫だよな、俺、顔にやけてないよな。鏡に映った自分の顔を手でバシバシとたたき、気合を入れる。

 蒼の容姿は、ごく普通だ。と自分で思っている。身長は特に大きくもないし、だからといって小柄とか華奢でもない。顔は切れながの目が、冷たい印象をもたれることのほうが多い。年齢より若くみられることはあるが、童顔でかわいらしいというのとは違う。自分が華奢で顔つきも丸く可愛らしい感じだったら、男性同士でも違和感ないのかな。北条でも、俺を受け入れてくれるのかな。なんて夢物語を想像して、鏡の中の自分をみて落ち込む。

(ま、こんなもんだよな。現実は)

 バーカウンターにつくと、さっきの自分の理想を現実にした可愛らしいバーテンダーが待っていた。

「いらっしゃいませ。なにをお飲みになりますか?」

 にこにこと笑顔をくれるバーテンダーは、前田純太と名乗った。人懐こく周りを明るくできるそんな人柄だ。気さくに話しかけてくれる。

 そこで知り得たのは、オーナーの北条と前田は、高校時代からの同級生だということ。北条の実家も飲食店を営んでおり、小さいころからの夢だった自分の店を持つということを実現したこと。

 そして、女にモテるということ。

 長身、肉づきの良さそうな体、清潔感のある笑顔、色気のある瞳。こんな男がいて、モテないはずがない。

「純太、お前、なに話してんだ。余計なこというなよ」

 北条が、カウンター席の蒼の横にすわり、蒼に視線を向けてくる。

「余計? 悠のモテモテ時代の話をしてたんだよ。なにもしてないのに、モテるやつめ」

 前田の話しぶりに、おどける北条の姿は、本当に仲が良いのだと思わせる。

 北条は姿勢を正し、蒼に名刺を差し出した。俺の連絡先です。と恥ずかしそうにつけ加える。差し出された名刺に手書きの電話番号が書かれていた。

「経営者ならではの話とか聞きたくて、ご迷惑でなければ、プライベートで話せませんか?」

 北条の照れた顔つきでが可愛らしく、胸がキュンとする。

「ありがとう。じゃ、俺も連絡先を」

 書かれている携帯電話の番号に電話して、すぐに切る。

「あと、もう一つお願いが……蒼さんて呼んでいいですか? お、俺のことも悠て呼んでもらって構わないので」

 恥ずかしそうに話す北条につられて、蒼も恥ずかしくなる。いいですよ。と返すのが精いっぱいだったが、その返事に北条のテンションが高くなり、前田も引くほどだった。

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