【母、職場に行く】

やっぱり辞めたい。だけど、職場の人たちに辞めたいと話すのが怖い。まだ公民館に行く気にもなれない。どうしたらいいのだろう。


恐る恐る、母に打ち明けた。


母の返事は温かかった。


「辞めるにしても辞めないにしても、お母さんから職場に電話で伝えようと思ってたから大丈夫だよ。まず、メンタルクリニックの診断結果も伝えなきゃと思ってたし。」


不安でいっぱいの私を見て、母は言葉を続けた。


「辞めても大丈夫だ!案外なんとかなるものだ。むしろ、お母さんも辞めた方がモンのためかなと思ってたし。なんも心配しなくていい!」


母の言葉は私にとって大きな支えになった。職場に行けなくなって以来、頭の中のテレビのノイズ(第6章【考えることができない】)がやっと静まり、灰色のモザイクが少しずつ晴れてきた感じがする。


もしかしたら、この状況に一区切りがつけば、完全に晴れるかもしれない。

そんな希望も見えて来た。


母が電話に向かう。


10分後、通話終了。


ドキドキしながら母の話を聞く。


「シン・課長さんは、ここ数日の欠勤は有休でカバーするから気にしなくていいと言ってたよ。そして、今後のことで話したいことがあるんだって。でも、モンが出勤できないことは理解したから明日、代わりにお母さんと事務所で話せないかと言われたよ。」


シン・課長の『話したいこと』ってなんだろう。

心臓がドキドキしてきた。


「『職場は辞められないから』とか?お母さんを責めるようなことを言ってきたらどうしよう。」


不安になりすぎて動揺してしまう。


そんな私の心配をよそに母は、「責められたってお母さんは答えられるから大丈夫だよ〜。」と冗談混じりな感じで話す。


「シン・課長さんに言いたくても言えてなかったことがあるんだよね。明日はそれも伝えてくる。」


母は強し。

私はオロオロするばかりなのに、母からはいくさに臨む武将のような気迫を感じる。


母の強さに驚きつつ、情けなさと申し訳なさでいっぱいになる。


言うなれば、この状況では母が私の「退職代行業者」となってくれている。


実際の退職代行業者の存在を知ったのは、この一件からずっと後のことだ。

こんな素晴らしいサービスがあるとは!と感心した。


あの出来事を経験した私にとって、退職代行業者は社会に必要なものだと感じる。

甘えや弱さとかでは説明できない理由で職場に行けない。

そんな精神状態になる社会人は意外といる。

そんな精神状態の中にいると、退職代行業者は救世主に思えるだろう。


それでも、自分の親に退職の代行をさせてしまったことには、未だに複雑な思いがある。


だから、退職代行業者の方にはこれから先も頑張って欲しい。


個人的な見解を書きすぎたので、時を戻そう。


母が職場に行く日。


仕事を終えて帰宅した母は、すぐにメンタルクリニックの医師せんせいからもらった診断書をカバンに入れた。


「行ってくるわ!」


と勇ましく言う。


「ごめん。いってらっしゃい。」


相変わらずオロオロしている私は、逞しい母の姿を見送ることしかできなかった。




















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