6話『路傍の原石』

■ 06-01 体育館:




 ◆ 06-01-01 松間まっかんリリィの登場




 シアンのクラスは体力測定のときと同様に、隣のクラスの2組と、月に1度の合同体育がある。



 男子は外のグラウンドでサッカー。女子は体育館で、バスケと卓球に別れる。



 エマとテアは体育館の奥で卓球をしており、運動神経のよいカレンはバスケをし、ほかの女子たちから黄色い声援が送られる。



 その声援を送る団体から離れたところで、シアンはいつもの通り体育の様子を見学をする。



 シアンは女子グループと仲が悪いわけでもないが、さほどよくもない。話が合わなければ、共通の話題もない。そんなわけで、いつも舞台の端で、遠くのエマたちを見ている。



 膝を立てて座り、重ねたタオルの上にアゴを乗せる。半目で口を小さく開けて、あくびを押し殺す。



リリィ「退屈そうね」



 そう声を掛けたのは、2組の女子生徒、松間まっかんリリィ。隣のクラスの際立つ美人のひとりであった。



 シアンは彼女が自分に話しかけたのか、ひとり言なのかわからず、一瞥いちべつしてから、なにもなかったかのように遠くを見つめる。



 リリィは無視されたのを焦り、もう一度声を掛けた。



リリィ「あなたがウワサの

    魚川うおかわシアンさんでしょ?」



シアン「…違います」



美人「違わないでしょ」



 問い詰められて、面倒臭さが勝ったので、タオルにアゴを乗せたまま頭を倒して顔を向けるシアン。



シアン「知らない人に声を掛けられても、

    相手にしないの。習わなかった?」



リリィ「あなたが私の名前を

    知らないってだけでしょ」



シアン「ほら、こうやって逆上するから」



リリィ「ひとを通り魔みたいに扱わないで」



シアン「それにわたしは名前に、

    『ウワサの』なんて付かないの」



リリィ「それについては謝るわ。

    変な呼び方をして、ごめんなさい」



 謝罪を求めていたわけでもなかったシアン。普通の女子なら、もっと怒っていたのかもしれない。相手が素直な分、居心地の悪さを感じて、再び遠くのコートを見た。



リリィ「私は2組の松間まっかんリリィ。

    となりに座っていい?」



 シアンはまた一瞥いちべつして、黙った。怪力を持つシアンには、積極的に近づく相手に勧める理由も、断る行動もとれない。心に強固な檻は作れても、現実では野放し同然の状態で、そんな気苦労は誰にもわからない。




 ◆ 06-01-02 リリィの見学




リリィ「魚川うおかわさんって、

    体育はいつも見学なの?」



シアン「あなたも見学でしょ?」



リリィ「私はあの日だから」



シアン「あの日? なに?」



リリィ「わかるでしょ、そのくらい。

    どうしてそんなに意地悪言うの」



 すっとぼけるシアンに、イラ立ちを見せるリリィ。しかしそれにも理由がある。



シアン「だってあなたと私は

    気心の知れた間柄じゃないもの。

    あれやこれじゃわかんないよ。

    運動しちゃダメな日?

    低血糖でハンガーノック?

    あ、塩飴なら持ってるけど」



 悪びれるわけでもなく、姿勢を正して、上着のポケットを探るシアン。個別梱包された飴は、シアンの怪力でよく割れている。



リリィ「違うわ。生理よ、生理。

    言わせないでよ」



シアン「なんだ。

    それならそうと、

    言えばいいじゃない」



リリィ「普通わかるでしょ? 意地悪」



シアン「あなたの生理周期なんて知らないし。

    意地悪はどっちだか」



 また猫背の姿勢に戻るシアン。そのまま言い返されて、ムッとくるリリィ。



リリィ「話を合わせるってことしないの?」



 再びタオルの上で顔だけ向けるシアン。



シアン「あのね、話し合いって、

    自分の知らないことに対して、

    知ってるフリをすること

    じゃないからね」



 正論で返されてしまうリリィ。知ってるフリでいままで過ごしてきた彼女は反論もできず、さらに別の方向で優位に立とうと考えたのが悪手だった。



リリィ「あなた、友達少ないでしょ?」



シアン「数を自慢するものじゃないからね」



リリィ「ああ言えばこういう」



 会話することが虚しくなってきて、リリィは頭を抱えた。シアンが同じクラスの女子グループと離れている理由も理解できた。



シアン「そういうあなたは

    友達いないでしょ?」



リリィ「い…」



シアン「ひとりでいるの

    よく見かけるし。

    あなたって目立つから。

    それで、誰かに言われた言葉を

    そのままわたしに向けてるの?」



リリィ「い…いいわよ。私の話なんて!

    で、あなたの見学の理由は?」



 図星を突かれて話題を変える。リリィの言う通り意地の悪いシアンは、わかりやすい反応を見て微笑んだ。



シアン「『ウワサの』通り。

    壊すことしか取り柄がないから、

    体育の授業は大人しく見学。

    免除されて、贔屓ひいきを受けてる。

    運動中のわたしに

    ぶつかれば大怪我よ」



リリィ「あぁ、それで。

    あなた、陰で『デストロイ

    セクシー魚川うおかわ』って

    呼ばれてるのよ。」



 シアンへの評価は破壊だけではない。



 入学間もない1年生の中で、制服を着崩して畳んで短くしたスカートにガーターベルトを履くので色気もある。これらは全て叔母、ユカリの指導によるところが強い。



 普段着にはうといシアンだが、こうした制服の着用は、生前の母に近い格好であり気に入っている。



シアン「セクシー…なにそれ。

    いや、まあいいや。

    だから近づかないほうがいいのよ

    デストロイヤーだから」



 遠くを見て微笑ほほえむシアン。そうして孤立を望むようなシアンに、リリィはひとり勝手にあわれみを覚える。



リリィ「誤解してるようだけど、

    ウワサ通りのあなたなんて、

    私、期待してなんかないわ」



 シアンは横目でリリィをチラと見た。




 ◆ 06-01-03 本題(ミツオの話)




シアン「それで、なんの御用かしら。

    松間まっかんさん?」



リリィ「魚川うおかわさんと、

    おしゃべりして

    みたかったの。

    ふたりきりで」



シアン「できたじゃない。

    はい、おしまい」



 会話を打ち切ろうとするシアン。彼女には愛がない。



リリィ「会話下手なの?

    もっと話すこと

    ないの?」



シアン「共通の話題はないから。

    お天気の話でもしましょうか?」



リリィ「体育館でする話じゃないでしょ」



シアン「怒りっぽいなぁ。

    鎮痛剤もあるよ」



 ふたたび上着のポケットをまさぐるシアン。しかし、カバンの中だった。



リリィ「いらないって。

    それなら、あなたと

    黒仏くろふつくんとはどういう関係?」



シアン「誰?」



 苗字を聞いても、顔はさっぱり思い浮かばない。



リリィ「黒仏くろふつミツオくん。

    モデルみたいな男子。

    あなたのクラスにいるでしょ?」



シアン「…あぁ、たぶん、あいつかな。

    同じクラスってだけだね」



 黒仏くろふつはクラス内の女子に対して、自分のことをミッちゃんと呼ばせている。だがシアンは別の中学出身の、しかも男子の名前などはほとんど誰も覚えていない。



リリィ「ケンカしたって」



シアン「探りを入れに来たわけか。

    つまんない」



 目を細めて、その手の話題にうんざりするシアン。同じクラス内でも同様の質問をされる。



シアン「女子って好きだね。そういうの。

    ゲスの勘繰りっていうんだよ」



リリィ「ウワサ話を娯楽にする

    女子は多いもの。

    でも私はウワサ話より、

    真実が知りたいの」



 リリィもまたバスケットボールを追うエリカを見てそっぽを向く。エリカは長身で、女子の中でも華がある。



シアン「ちょっかいかけて来る相手を、

    軽蔑しただけ。軽蔑する行為って、

    自己嫌悪も覚えるんだよ。

    だからいまは無関心に努めてる。

    普通のケンカだったら、すぐに

    勝負はつくんだろうけど」



リリィ「勝負つかないよ、ケンカなんて。

    スポーツじゃないから無理。

    ゼッタイ無理。もう戦争よ」



シアン「大げさ」



リリィ「ホントよ。

    戦争の原因は

    女の奪い合いだって、

    太古の昔から決まってるわ」



シアン「知らないよ、そんなの」



 拍子抜けしたシアンの顔を見て、リリィは説得するかのようにうなずく。彼女は深くため息をつく。



 シアンにとってケンカというのは殴り合いのスポーツのようなものだが、器量の優れたリリィにとって女子のケンカは決まって足の引っ張りあいである。リリィは自身への誹謗中傷だけではなく、友人・他者への讒言ざんげんまでも、何度か耳にした経験がある。



リリィ「黒仏くろふつくんってあれよね。

    いわゆるかまってちゃん?

    よく女子と肩を組んだりするの。

    まるで自分のモノだって扱いで。

    運動ができて、勉強ができて、

    顔もいいから、誰にでも

    許されるんだと思う」



シアン「…あなた、男の愚痴ぐち

    言いに来たの?」



 そんな指摘を受けるとリリィは目線を上にしてやや間が空いたが、再度向き合ってからとぼけて首を振った。




 ◆ 06-01-04 浮いた話




リリィ「黒仏くろふつくんはいいや。

    喜咲きさくユウジくんは?」



 シアンに顔を寄せるリリィ。



シアン「また男の話?」



リリィ「ちょっとおバカなところが

    人気あるのよ。

    黒仏くろふつくんには劣るけど」



シアン「優劣付けたがるの好きだな。

    同じ部活の部員? ってくらいだね。

    人違いじゃなければ」



リリィ「魚川うおかわさんってあの茶会部以外で、

    まともな部活やってるの?

    同じ部員なら名前覚えよ」



シアン「どっちもまともだよ。

    私は生物部に名義貸ししてる

    まともな幽霊部員」



リリィ「それをまともとは言わないわよ」



 リリィの指摘に納得してシアンもうなずく。



シアン「それなら祭門さいもんくんは?

    あなたと同じクラスでしょ?」



リリィ「さいもん…あぁ、部長くん?」



 逆にシアンも2組の知っている男子、祭門さいもんイサムの話を振ったものの、リリィからはそっけない反応を受けた。



シアン「部長? たしかに

    生物部の部長だけど」



リリィ「喜咲きさきくんが呼び始めたから。

    彼ねぇ…。うーん、いまは無いけど

    10年後って感じね、部長くんは。

    いつもどこか行ってるし、

    変な男の子」



シアン「松間まっかんだって変な女子だよ」



 イサムが言ったことを、リリィに言い返すようにそう告げた。



リリィ「私の? どこが?」



 身を乗り出して尋ねるリリィ。嬉しそうにも見える。



シアン「わたしに話しかけるところが」



リリィ「ふっ…そうね」



 シアンの自虐めいたその言い分が、リリィは気に入って微笑んだ。



リリィ「あなたって浮いた話の

    ひとつくらいないの?

    恋人は? 好きな人いる?」



シアン「怪力はあっても

    浮けないからね」



リリィ「浮いてる人ではあるわね」



 笑えない症状ではあるが、リリィの言う通りでシアンはつい笑ってしまう。




 ◆ 06-01-05 エマとリリィ




エマ「シアンー。負けちゃったー」



シアン「お疲れー」



 汗まみれで前髪を額に貼り付けたエマが、シアンの二の腕に抱きつく。あとからテアもついてくる。ふたりで卓球をしていた。



エマ「見てた?」



シアン「おおりしてコケたところは」



エマ「そこは見なくていいよぉ」



 エマとテアに膝上のタオルを渡すシアン。



シアン「汗すごいよ。アメ舐める?」



 上着のポケットから割れた塩飴を渡す。



エマ「きっと痩せてるかも」



テア「毎日やればね」



エマ「毎日は無理ー。あっ、こんにちは…」



 シアンの隣に座っていた美人のリリィに、ようやく気づくエマ。



リリィ「こんにちは、

    拝戸はいどさん、それと

    巻苑まきおんさん」



シアン「知り合い?」



 それを聞いた途端、エマは目を見開き、首を横に振る。



シアン「エマはそんなに

    人見知りするタイプだった?

    2組の松間まっかん…」



リリィ「松間まっかんリリィ。

    呼び捨てでいいよ。

    私もシアンって呼んでいい?」



シアン「そっちのがいいわ」



 シアンは再婚した父親の件もあり、苗字で呼ばれることを好んでいない。



シアン「エマは私と同じ、

    生物部の幽霊部員、兼茶会部」



 エマはシアンにくっついたまま、小さくお辞儀をするだけ。



テア「私は演劇部の衣装担当です」



シアン「あれ、そういやリリィは何部だっけ?

    ウワサ大好きゴシップ部?」



リリィ「そんな部ないわよ。

    私をなんだと思ってるの。

    こう見えて美術部よ」



シアン「絵、上手いんだ」



リリィ「上手になりたいから入ったの。

    画伯がはくって皮肉られるくらい酷いのよ」



シアン「見かけによらず、

    苦手なのもあるのね」



リリィ「シアンはないの?

    そういうの」



シアン「絵心どころか、字も上手くないよ」



 持ち前の怪力のせいで、鉛筆を持つのも苦労する。



エマ「…自転車は?」



シアン「あ、自転車に乗れないのが弱点かな」



リリィ「弱点ではないんじゃないかしら。

    自転車なのはどうして?」



シアン「あの足で踏むところ?

    それから座るとこ壊しちゃうの。

    あとハンドルを握りつぶしたり」



 ペダルなどの回転させる部品、回転ハンドルなども、力を加えたときの円運動の方向が少しでもズレれば、パーツに力がかかりやすいので簡単に壊れてしまう。



シアン「それで昔、エマの一輪車を

    壊しちゃったの」



エマ「もう乗らないやつだったから…」



 実はエマも一輪車には上手く乗れなかった。



リリィ「懐かしい。よく乗ったなぁ一輪車」



テア「ナイスシュート!」



 両手を口に添えて普通の声量でエリカを応援するテア。もちろん、黄色い声援には負ける。



リリィ「桑員くわいんさんもあるのかな。

    そういう苦手なの」



シアン「他人の弱点でも探りにきたの?

    パパラッチ画伯がはくは」



リリィ「ちがッ…画伯がはくって呼ばないで」




 ◆ 06-01-06 ろうするリリィ




 なんだかんだ言いながらも気が合い、リリィとは話が弾むシアン。



 リリィが顔を横に向けたとき、大きく跳ねたバスケットボールが彼女の頭にぶつかりそうになった。



 視界に入ってきたボールを、シアンが瞬時に手で止め、掴んでしまう。



 刹那せつな、ボールは空気の逃げ場を失って弾け、破裂音が体育館に響くと、しばしの静寂せいじゃくが訪れた。



 耳鳴りがするなかで、リリィは呆然とシアンを見た。



 ボールを耳元で割ってしまったことを謝るシアン。駆け寄るエリカ。声をかけるが、耳鳴りに支配されたリリィには聞こえていない。



 反応のないリリィは衆目を集める。恥ずかしくなり顔を伏せる彼女だが、心配するシアンがその顔を覗き込む。



 耳まで赤くなり、シアンに感謝を述べようとするも自分の声が聞こえず、言葉につまり、立ち上がってお手洗いへと走った。



エリカ「大丈夫なん?」



シアン「あの子、きょう生理なんだって」



エマ「あーそうだったね」



テア「そうかなぁ…」



 ぽつりとひとり、疑問を抱く察しのよいテアだった。




(6話『路傍ろぼうの原石』終わり)



次回更新は9月6日(水曜日)予定。




■ 06破壊レポート:




 今回壊したもの。



・塩飴

・一輪車(5年前)

・バスケットボール1つ


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