現実世界~1日目~ 「モブサラリーマンの憂鬱」

1-1 異世界の夢からの目覚め

 まぶしさを感じて、ふと、まぶたをこする。人差し指の付け根辺りに、生ぬるい水の感触がした。朝起きると、どうしてか目には涙が浮かんでいた。

 智章はゆっくりと、涙で固まったまぶたを開く。


「やっぱり夢か……」


 目の前に広がるのは、あの洞窟のマップではなくて、見慣れた1人暮らしの白い天井。大学生の頃からずっと住み続けている、ありがちで味気のない1K。

 しばらくベッドの中でぼーっとしていると、脳には少しずつ夢の記憶がよみがえってくる。あれは、大学時代の思い出から生まれた夢だった。


 懐かしいな、と思った。

 大学生3年の頃、奇跡のような偶然で集まった仲間と一緒に作ったゲーム。

 ゲーム作りに熱中する毎日は楽しくて、けれど、やがてチームは分解してしまい、結局作りかけのまま放置されてしまったゲーム。

 そんなゲームの世界を、智章は夢の中で冒険していた。


(こんなの、さすがに鬱すぎるって……)


 大学の頃の楽しかった記憶を突きつけられる平日の朝なんて、いったいどんな罰ゲームなんだ。しかも、よりにもよってあのゲームの記憶だなんて。

 智章の頭の中は、朝からそんな憂鬱な考えで満たされていた。


 壁にかけられた時計を見る。2つ針が指し示すのはおよそ6時20分。目覚ましをかけた時間よりは、まだ30分近くも早い。

 時計を見た拍子に目に飛び込んでくるのは、すぐ隣に置かれた木製の本棚だ。その1番上の段には、特に目立つ1冊の分厚い本がある。


『ゲームの作り方入門』


 この本は、ゲームを作ることが決まってすぐにネットで注文をした書籍だ。


(本当に、楽しかったな)


 きっと、一生忘れることはないと思う。5人で夢中になってゲームを作ったあの時間は、間違いなく青春と呼べるような日々だった。


 ――じゃあ次の議題! 主人公の髪色はなにがいいと思う?


 今から6年前、智章たちがまだ大学3年生だった頃の記憶は、いつも決まって会議室の中だった。

 ホワイトボードが1つと、3×2のイスが配置されたシンプルな長机があるだけの狭い会議室だ。そこで話し合った会話や4人のメンバーの声は、今でも鮮明に思い出せる。


 ――主人公の髪の色か……。なかなか大事な議題だな。

 ――やっぱりシンプルに黒とかかな。

 ――逆に白とかロックじゃない?

 ――ロックにしてどうするんだよ。だいたい、実際に描くのは俺なんだからな?


 大学では、学生が自由に会議室を借りられる。都合よく5人が授業の空いている時間を狙っては、いつも会議室の中で話し合いをしていた。

 智章を含めたシナリオが2人、音楽が1人、イラストが1人、システムが1人。合わせて5人のそのチームで、本気で1つのゲームを作ろうとしていた。


 ――ねえ、智章はどう思う?


 大学を卒業してから、5人全員で集まったことは一度もない。けれど、今でもあのメンバーはみんな大事な仲間だと思っている。

 あんな風に、誰かと一緒に何かを創るなんて初めてのことだったから。


 ――それはもちろん、主人公といったらレッドでしょ!


 これは、智章自身の声。


「ノインの髪、本当に赤かったな」


 智章は、夢の中で会ったノインの姿を思い出してつぶやいた。

 フィーアの髪が蒼いのもゲームのままだ。ゲームについては忘れていることも多かったが、夢の中で見たあの世界は、かなり設定に忠実だったように思った。


 このままベッドの上で過ごす気にもなれずに、なんとなく本棚の前まで移動する。

 本棚の上には物を置けるスペースがあって、そこにはいろいろなインテリアや記念品を置いている。その一画に、大学時代の思い出を集めたスペースがある。

 その中でも特に目立つのは1体のガラス細工だ。ゲーム制作チームの5人で箱根旅行に行った時、ふと立ち寄ったガラス工房で買ってしまったお土産物だ。


 そのガラス細工は赤い髪の少年を模していて、少年は1本の剣を携えている。

 台座には7つの星がはめ込まれていて、少し不機嫌そうな表情までノインにそっくりで、思わず買ってしまったのだった。

 智章はふと、そのガラス細工の台座部分に違和感を覚えた。


(あれ、星がひとつ外れてる?)


 台座にはめ込まれた7つの星のうち、1つが欠けてしまっていることに気づいた。しばらく見ていないうちに、どうやら外れてしまったらしい。

 もちろん悲しい気持ちにはなる。ただ、大事な記念品が壊れてしまって残念に思う気持ちとは少し違う。

 パーツが欠けていることに今まで気づけないほど、あれが自分の中で遠い思い出になっていることを痛感した。


(みんな乗り気だったはずなんだけどなぁ)


 今さら悔やんでも仕方のないことだとは分かっている。

 あの頃のメンバーとは、1人を除いて疎遠になった。もし仮に、もう一度集まれたとして、全員が大人になってしまった今、誰もゲームを作っている余裕なんてないはずだ。

 きっと、大学生のうちに完成させられなかったのがすべてだった。


 あのゲーム――。

『リゲイン メモリー クエスト』は、もう永遠に完成しない。


「とりあえず着替えるか……」


 この春で、大学を卒業してから丸4年が経った。あの頃を思い出すことも、時間の経過と反比例するように減っていった。

 発案者として、他のメンバー以上に悔しい気持ちを抱えている自覚もある。

 だが、なにかを創ることに熱中していたあの頃の感覚はどこかに行って、今はとにかく目の前の仕事に追われる毎日だ。それはきっと社会人として当たり前のことで、特別な悲しみもない。

 それでも時々、ふと思うことがある。


 もう一度、あの頃の日々を取り戻すことができたなら、と。

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