第19話 忠誠と反乱
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ハルムンと出会い、一年が過ぎようとしていたある日、ユリーベルはサルファに呼び出された。
いつものように、王城の玉座に座るサルファを見てユリーベルは片膝を着く。
「シュベルバルツ家当主、ユリーベル・シュベルバルツ、帝国の光にご挨拶申し上げます。」
「ふむ、良く来たなユリーベル。貴殿にやってもらいたい事がある。」
人を足蹴にするような瞳でユリーベルを見下すサルファ。
その突き刺さる氷柱のような視線に、ユリーベルは頭を下げ続けた。
「国王陛下の命とあらば、私はどんな願いでも叶えてみせますわ。」
「さすがはユリーベルだな。俺の欲しい言葉をすぐに与えてくれる。では、早速本題に入ろう。」
今度はどんな無茶振りを言われるのだろうかと、ユリーベルの心は重くなっていく。
シュベルバルツ家当主である彼女一人に全ての闇を背負わせようとしているサルファ。
そんな男が、次に欲するもの。
考えただけでも頭が痛くなってくる。
「ここより南の小さな街で暴動が起きた。帝国に不満を持つ反乱軍が企てた事だと、報告されている。ユリーベルにはこれより、この反乱軍の粛清に当たって欲しい。帝国からも幾らか人員を出す予定だ。それの指揮を頼む。」
暴動、反乱。確かにサルファからしてみれば面白くない話だ。
が、その話を聞いたユリーベルにはある疑問がすぐに浮かんだ。
「軍の力だけでは制圧出来ないのですか……?」
「事はそう、容易ではない。この反乱軍に物資を与え、率いている者は二ーイム伯爵だという報告がある。伯爵という地位がありながら、俺に歯向かおうとしているのだ。国直属の騎士が向かったところで、二ーイム卿を捕まえる事など不可能だろう。何としても、歯向かおうなどという馬鹿げた考えを木っ端微塵に叩き割れ。」
二ーイム伯爵。サドラ・二ーイムは、伯爵貴族という地位を与えられた、名家だ。
サドラは二ーイム家当主でありながら、帝国の『何でも力でねじ伏せる』というやり方に不満を持っていた。
が、伯爵という高貴な地位を築いてきたその歴史から、サドラは表沙汰に反乱を企てる事が出来ない。
そこで、サドラのとった行動は、『匿名で物資を揃え、資金を与える』という事だった。
長い目を見て、反乱の意思がある者を集め、計画を立てているはずのサドラが、ここに来て暴動を起こした。
恐らく、その小さな町街というのは平民街だろう。
平民街がそれぞれの領主が街独自のルールを定めているケースがある。
税金など、街の金を徴収して国に献上することも領主の役目だ。その税金をどれくらいにするのかを領主は決める事が出来る。
その小さな街というのが、大量の課税に悩まされ貧困に苦しんでいるのだろうと予想するのは、ユリーベルにとって容易い事だった。
何より、サドラは温厚な性格で評判も良い。そんな彼が貧困に苦しむ者を放っておけるわけがないのだ。
「成程。国王陛下の望みとあらば、私も全力で対処させて頂きますわ。」
ユリーベルは再び頭を下げる。
そう、対処しなくてはいけないのだ。この一件は、ユリーベルにとっても見逃せない。
だからこそ、それよりも前に片付けなくてはいけない事がある。
それは……。
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「お帰りなさいませ、ユリーベル様。」
シュベルバルツ邸に戻ってきたユリーベルを迎えたのは一人のメイドだった。
肩につかないくらいの短い茶髪に、純白のエプロン。
その瞳は主を敬う視線と言うにはどこか冷たくて、サルファを思い出させる。
メイドらしくない凛とした佇まいに、きめ細やかな肌。
「ただいま、メアリ。」
彼女はメアリ・ニットラ。数ヶ月前からユリーベルのメイドとして雇われた少女。
仕事は良く出来るし、他の侍女達ともそれなりに上手くやっている。
はたから見たら、出来のいいただのメイド。
それが——ユリーベル自身が雇ったメイドであるならば完璧だっただろう。
「メアリ、後で部屋にお茶を運んでくれるかしら。」
「かしこまりました。すぐにご用意を。」
ユリーベルにぺこりと頭を下げる謙虚なメアリ。
——彼女はサルファからの贈り物だった。
『君の許可なくマリーベルを妃として迎えたそのお詫びに、新しい侍女を贈ろう。王城でもよく働いてくれた娘だ。思う存分使ってやれ。』
そんな手紙と共に、シュベルバルツ邸に現れたのがメアリだ。
彼の手紙通り、十二分の働きをしてくれている。そこに間違いは無い。
……が、やはりユリーベルには、『サルファが贈ってきた』というその行為自体に不信を持つ。
ハルムンに調べてもらった結果、判明したのは二つだった。
『一つ。メアリ・ニットラは元貴族であり、少し前に多額の借金を背負って没落した。
今も尚、増幅した借金は返済出来ていない。
一つ。サルファは同じ時期に四代公爵家全ての家に侍女、もしくは執事を贈っている。』
ハルムンの報告を聞けば、すぐにサルファの思惑が想像ついた。
——つまり、メアリ・ニットラの目的は『ユリーベル・シュベルバルツの監視』。
ユリーベルがこの先、何か不穏な動きを見せればメアリを通じてサルファに知られる。それはユリーベルにとって厄介な事だった。
彼女の目が光っている間、ユリーベルは迂闊に行動出来ない。
だから、ユリーベルの恩人としてこの家に居候しているハルムンに色々調べてもらう事しか出来なかった。
メアリが一番目を離してはいけないのはシュベルバルツ家当主であるユリーベル。
ハルムンはメアリの視界には入っていない。
けれど、ここから先は調べるだけではなく、行動を起こす必要がある。
それにはメアリの目を回潜らなくてはいけない。とは言っても、それも長くは続かないだろう。
ハルムンの下調べのおかげで、サドラ・二ーイムが反乱軍に手を貸している事は知っていた。
そこに舞い込んできたサルファからの命令。
……これは好機だ。ここで動かなくてはユリーベルの計画は前に進まない。
その為にも、まず初めにやるべき事は……。
「ユリーベル様。お茶の準備が整いました。」
ユリーベルの自室の扉がコンコンとなる。
入って、とユリーベルが声をかけるとゆっくりと扉が開いた。
お茶の準備を整えたメアリが部屋の中に入ってくる。
机の上にティーカップを置き、茶葉の入ったポットにお湯を注いだ。
三分程待ってから、ティーカップに紅茶を注ぐ。
「どうぞ、お召し上がりください。」
ユリーベルの前に置かれたティーカップからは茶葉の芳醇な香りが立ち込めていた。
紅茶を一口飲むと、ユリーベルはメアリに微笑む。
「さすがはメアリだわ。とても美味しい。」
「恐れ入ります。」
カタッと、ティーカップを置いたユリーベルはメアリの名前を呼んだ。
「——ねえ、メアリ。貴方は今、願い事なんてあるのかしら?」
唐突な質問に、メアリは立ち尽くしままぽかんと口を開ける。
「……え?」
「聞こえなかったかしら。願い事よ、望みとか夢とか。メアリには無いのかしら?」
「そんな、急に仰られても……。」
唖然としているメアリを見て、ユリーベルはにやりと微笑んだ。
目を細めて妖艶に笑うそのユリーベルの姿が、メアリの背筋を凍らせる。
「例えば、そうね……。家柄とか背負っているものから全て投げ出して、一人で自由になりたい、とか。」
「……!?」
ユリーベルの言葉を理解出来ていないメアリは、警戒心を強める。
この人は何故唐突にそんな事を言うのだろう。
そう思うのと同時に、メアリの頭は別の事を思い描いていた。
父が作り上げた莫大な借金。父は逃げ、母は体を壊し、弟は肉体仕事をこなしている。
知らない間に膨らんだ多額の借金を、メアリは返さなくてはいけない。
王城にメイドとして雇われ、陰口を囁かれながら働き。母の代わりに弟の面倒を見て、寝る間も惜しんで働いて。
考えないようにしていた。そう、思わないようにしていた。
けれど闇の中で一人きりになると、どうしても頭をよぎる。
——なぜ、私がこんな目に会わなくてはいけないの?
貴族の時代に、友達だった子達は今も楽しそうにドレスを着て舞踏会に出かけて、好きなものを好きなように買い漁って。
その中に、なぜ私がいないのだろう。
羨ましい、妬ましい、悔しい、ずるい、私だって……。
——何を考えているの、メアリ。そんな気持ちを持つ事すら許されない。
でも……でもやっぱり、少しだけ思うの。
私も、全てから逃げて自由になりたい。
——そんな時だった。国王陛下に呼び出されたのは。
『わ、私がシュベルバルツ邸の侍女に、ですか……?』
『ああ。すぐに支度を整えろ、馬車は用意してある。』
突然告げられたのは、使える主と屋敷が変わったという一方的な通告だった。
それは別に構わない。私には執着するものなんてなかったから。
『かしこまりました。』
『ああ、後それから君にはもう一つ仕事がある。——ユリーベル・シュベルバルツの動向を監察し、逐一俺に教えろ。』
自分が、そんなスパイもどきをする事になるとは思っても見なかった。
人の生活を覗き見してそれを国王陛下に伝えるのは気が引けたけれど、渡されたお金は今までで一番の大金だった。
『君が背負っている借金を俺が肩代わりしてもいい。』
その言葉に私は、全ての命令を承諾した。
「確かに、今の貴方に必要なのはお金でしょうね。けれど、本当にそれだけ?お金があれば貴方は幸せになれるの?」
ユリーベルはメアリに問いかける。
その言葉がメアリの核心をついているようで、嫌な気分になる。
それでもユリーベルは口を閉じなかった。
「本当の幸せって、何かしら。今のこの国に、貴方が望む幸せが手に入るの?血にまみれ、力ずくで自らの欲するものを手に入れる国王。平民の事を考えもせず、金をドブ水のように捨てる貴族。平和に暮らせる所なんてひとつも無いこの国で、メアリはどんな幸せを手にするの言うの?」
ユリーベルの質問に、メアリは答えを導く事が出来なかった。
まるでメアリを見透かしたような言葉。心に突き刺さる重み。
「わたっ……わた、しは……。私は……。」
ずっと何が欲しかったのかを考えないようにしていた。
欲は人を殺す。サルファ・ブロッサムという国王がそうであるように。
一度でも何かを願ってしまえば、メアリ・ニットラは壊れてしまうと分かっている。だから、何も願わないようにしていた。
けれど、今目の前にいる自分の主は問いかけた。
『貴方の願い事は何かしら』
ユリーベルの言葉は、まるで自分の本心を代弁しているようだった。
ぎゅっと拳に力を入れたメアリは、ユリーベルの瞳を真っ直ぐ見た。
「私は、誰かに仕えて生きたくない……。私の人生を誰かの物にしたくない……!私は、私だけで生きていきたい!!!!」
その瞳は渇望している者の輝きを放っていた。
目の前に差し出された光に追いすがる姿は、ユリーベルが一番良く知っている。
それは未来、ハルムンの手を掴んだ自分の姿そのものだった。
メアリの瞳をじっと見つめたユリーベルは、そっと手を伸ばす。
「そう、それが貴方の願いなのね。なら、私が叶えてあげる。貴方が自由に羽ばたく為の翼をあげるわ。その代わり、約束して頂戴。これから先私を裏切らないと。どんな事を目にしても、決して誰にも話さないと。」
「——誓います。それで、私が幸せになれるなら。」
メアリは、ユリーベルの手に触れ、その場で跪いた。
ユリーベルの背後から差し込む夕日がとても眩く光を放つ。
「私、メアリ・ニットラはユリーベル・シュベルバルツ様に永遠の忠誠を誓います。」
メアリの頭上を見下ろすユリーベルは、その言葉にニタリと笑う。
メアリには、ユリーベルがどう写っていたのだろう。
神か、天使か、救世主か。
——残念ね、メアリ。私は決してそんな者では無いわ。だって私はこれから……。
——神を殺すのだから。
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