第6話 昼下がりにはビターなスイーツを
昼下がり、太陽の光がポカポカと体を温めてくれるこの時間帯にユリーベルは近くの町に赴いていた。
「——見てください、ユリ!このドレスなんてどうでしょう!」
町の中心部は大通りになっており、そこには沢山の店が構えていた。
その一角にある洋服屋に訪れたマリーベルは、目をキラキラと輝かせている。
「お、お姉様、少し落ち着いて下さい……!」
公爵貴族ともなれば、ドレスは全てオーダーメイドだ。
屋敷にデザイナーを呼んで、あれこれと仕立てて貰うのが一般的だろう。
けれど、マリーベルは町の視察も兼ねて、こうやって様々な店に足を踏み入れている。
それは、民が幸せであって欲しいと願うマリーベルの気遣いでもあった。
「このドレスに、向かいのアクセサリーショップのネックレスをつければ……。きっととてもユリに似合うと思います!さあ、さあ!是非試着を!」
ずいずいと、ピンクのドレスを押し付けてくるマリーベルに、ユリーベルは若干押され気味だ。
姉は普段、そこまで自分を主張せず、協調性を大事にしている。
けれど、妹との久しぶりの外出ともなればマリーベルの姉としての一面が表に出てくるのは当然だろう。
「お、お姉様……あの、ですから……!」
さして洋服に興味の無いユリーベルは困惑から冷や汗を流している。
こんなにも行動的な姉を見るのは久しぶりだ。
すると、マリーベルはピタリと止まり、少し俯く。
前髪がその表情を隠して、ユリーベルを混乱させる。
「あの、お姉様?どうかなされたのですか……?」
「私、ユリとお出かけできる時を楽しみにしていましたの……。けれど、それはユリも同じでは無かったのですね……。私一人が勝手にはしゃぎ回っていたのだと思うと……急に涙が……。」
パッと顔を上げたマリーベルの瞳はうるうると潤んでいた。
涙で瞳を輝かせるマリーベルに、ユリーベルは頭が真っ白になる。
「お、お姉様!違います、勿論私も楽しみにしておりました!で、ですからどうか泣き止んで……」
「それなら、姉の願いを叶えてくれますよね?私の可愛いユリ?」
「は、はい、勿論……って、え?」
これが姉の策略だと気付いたのは、丁度この時だった。
涙を流していたはずのマリーベルはニコッと笑い、手に持っているドレスをユリーベルに渡す。
「——それでは、試着を!」
この時ばかりは、我が姉ながら恐ろしいと感じたユリーベルだった。
✿
「はぁ……。」
先程の一件で、どっと疲れが押し寄せたユリーベルは、げっそりとした顔でため息を漏らす。
それとは裏腹にマリーベルはとても幸せそうに笑っていた。心做しか、肌艶が良くなっているような気もする。
「やはり、ユリとのお買い物が一番楽しいですわ!」
ユリーベルの先を歩いていたマリーベルはくるりと振り替えり、柔らかな笑みを見せる。
その言葉が本心であると悟るのに、一秒も要らなかった。
「私もです。お姉様。」
ならば、とユリーベルも心の底から思う気持ちを言葉にのせる。
こうして、姉妹水入らずの時間はユリーベルにとって一番の幸福な時間だった。
マリーベル笑っているのを隣で眺めていられるのだから。
「では、次は……」
マリーベルが手のひらを合わせて、微笑んだその刹那。
ボン!と爆発音が聞こえたのはマリーベル達の背後からだった。
「——きゃぁぁぁ!!!!」
それは、さっき立ち寄った洋服屋の辺りから。
真っ黒な煙が立ち込めると共に、真っ赤な火の手が上がる。
その一瞬で、大通りはパニックに陥った。
その場にいた皆が一斉に逃げ出し、炎と反対方向に向かって駆ける。
その人々の顔は真っ青で、何が起きたのかも良く理解していない様子だった。
「——皆様、落ち着いて!私はマリーベル・シュベルバルツです!私の指示に従って、慌てずに避難を!」
マリーベルはすぐに声を張り上げる。民の誘導と、不安を取り除く為の行為に、ユリーベルは関心した。
そして、ユリーベルは人の流れと反対方向に向かって進む。
人の波に逆らうように走り始めるユリーベルに、マリーベルは思わず名前を叫んだ。
「ユリ!」
爆発が起きた場所に、一直線に走るユリーベルは頭の中で思考を巡らせる。
このまま放っては置けない。警備隊が来るまでに、火が隣の建物に移るかもしれない。しかも今日に限って、風がかなり強い。
——ここで『あの力』を使うべき……!?
けれど、今ソレを行えば、返って民の不安を煽る事になるかもしれない。
だからといって、自分が持つ力を使わないと被害は大きく拡大するだろう。
「……っ!」
『あの力』。それはシュベルバルツの人間が持つ特別な力。
その能力に目覚めた者はシュベルバルツの当主となる。
けれど、姉であるマリーベルに、その力は宿らなかった。
その代わりとでも言わんばかりに、ユリーベルは目覚めてしまった。
——『影を操る力』。それこそ、シュベルバルツの限られた人間にしか宿ることの無い特別な力。
この力を使って、井戸から水を汲み上げれば鎮火するかもしれない。
でも、姉に。マリーベルにこの力を使用する場面を見せたくない。
何故なら、マリーベルは知らないのだ。シュベルバルツに隠された力がある事を。
もしもそれを知られてしまえば、マリーベルはユリーベルを嫌いになるかもしれない。
……それだけは絶対に……!
そうこう思い悩んでいるうちに、ユリーベルの前には轟轟と炎が登っていた。
「——ユリ!」
背後から切羽詰まった声が聞こえる。それがマリーベルだとすぐに察した。
そうよ。お姉様はこんな事で私を嫌いになったりしない。それよりも今ここで、力を使わなかった自分自身に、きっと私は後悔する!
——だって、お姉様に知られるよりも、町の人が傷付く方が嫌だもの!
そう、決心し、手を前に突き出した瞬間。目の前に立ち込めていた赤い焔は、瞬きと同時に消えた。
それは、本当に一瞬の出来事で。
決して、ユリーベルは能力を使ってなどいない。
なのに、火は消えたのだ。
「——お怪我はありませんか、ユリーベル公女様。」
その嫌味たらしくユリーベルの名前を呼ぶ声は、彼女の前から聞こえる。
消化され、煙がもくもくと噴き上げるその中から現れたのは、淡いピンクの髪を靡かせる青年……大賢者だった。
「……貴方、どうして……」
どうしてここにいるの、そう尋ねるよりも先に、大賢者はユリーベルの後ろに視線を動かす。
ニコッと作り笑いを浮かべ、ユリーベルの後ろにいたマリーベルに挨拶をした。
「これはこれは、マリーベル公女様。シュベルバルツの光にご挨拶申し上げます。」
少女は深深と頭を下げた。
ユリーベルが振り返ると、そこには肩から息をするマリーベルの姿が。
マリーベルは火が消え去った現場を見て、大賢者に問いかける。
「これは、貴方が?」
その問いにこくりと頷いた男は、にこりと微笑んだ。
「——私、魔法使いのハルムンと申します。」
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