5-7 幸せな気分

 クラウディアに添い寝していたシルヴェスターの許に王宮から早馬の手紙が届いた。

 中を開けてみると先ほど国王と宰相で取り決めたクラウディアの王宮滞在の件が書かれている。

「王太子妃の部屋の使用に王太子夫妻の寝室の使用許可だと!?あの狸親父は何を考えていやがるんだ」

 珍しくシルヴェスターが口汚く国王を罵った。

 王立貴族学園では王族や公爵家の子息から下級貴族の子爵家男爵家の子息まで在籍しているがゆえに、自然と口の悪さも身についてしまう。普段は見せないが、残りの王子2人もシュタインベック家の3兄弟も同様である。

「ディア、ディア、起きて」

 せっかく寝たのに起こすのは可愛そうだと思いながらも、国王の思し召しである。

 早急にクラウディアの意向を確認しなければならない。

 クラウディアはイヤイヤをするようにシルヴェスターの胸元に頭を寄せると横に振った。

「っ!ディア…………無意識なんだろうけど、参ったな」

 再び理性の導火線に火が付きそうになるのを必死でこらえながら、クラウディアを抱きしめて大きく息を吐き出した。

「ディア。ごめんね。起きてもらえるかな?」

 再びシルヴェスターがそう声をかけると、クラウディアはゆっくりと瞼を開けた。

 はじめはぼうっとして、どういう状況なのか測りかねていたクラウディアだが、自分が寝台の上でシルヴェスターに抱きしめられているのを認識すると真っ赤になって目を見開いた。

「少しは寝られたかい?今度は嫌な夢は見なかった?」

 シルヴェスターが心配そうにそう尋ねると、クラウディアは真っ赤な顔のまま頷いた。

「シル様が傍にいてくれましたので…………怖くありませんでした」

「そうか。良かった」

 シルヴェスターも安堵の溜息をついた。


「ディア、起きて早々悪いんだけど、王宮からの知らせだ。あの皇太子が滞在している間、ディアを王宮で保護するって。国王陛下と宰相が話し合って決めたらしい。その間王太子妃の部屋と王太子夫妻の寝室を使うようにと」

「え…………?」

「実は、王妃陛下が暴走してね。1年前からディアの好きそうな内装で部屋を改修していたんだ。あとはディアの好きな調度品なんかを入れていくだけだから、数日だったら生活するのには問題ないんだ」

「王妃陛下が?どうして…………」

「私は勿論だけど、王妃陛下も何が何でもディアに私の妃になって欲しかったようだね。国王陛下や私たち兄弟が「ディアが受けてくれなかったらどうするんだ」って何度も言ったのに聞く耳持たずだ」

 クラウディアは呆気に取られて何も言い返すことができなかった。

「それでなんだけど…………」

 シルヴェスターが言いにくそうに口ごもる。

「その、ディアが…………王太子妃の部屋や夫婦の寝室を使うのが嫌じゃなければ、王宮に来て欲しい。夫婦の寝室を使えば、もし夜中にディアが怯えたとしても私が抱きしめてあげられる」

 クラウディアは再び真っ赤になって俯いた。クラウディアは嫌ではなかったのだ。シルヴェスターに口づけられることも、抱きしめられることも。あのイヴァンに同じことをされた時は嫌で嫌でしょうがなくて、抵抗したくても抵抗できなくて泣くしかできなかったのに。シルヴェスターの腕の中は嫌ではなかった。嫌でないどころか、ドキドキもするがシルヴェスターの纏う香りにとても落ち着いた。こんなことを感じる自分ははしたないのではないかとクラウディアは耳や首筋まで真っ赤に染めた。

「ディア、どうかな?」

「その…………嫌ではないです。あの、えっと、…………シル様に抱きしめられるのはとても…………そのドキドキしますが、同時に安心もできて…………」

 最後はほとんど声にならない位の声量だったが、シルヴェスターにはしっかりと聞こえた。シルヴェスターが嬉し気に微笑む。

「そうか。ディアはそんな風に思ってくれたんだね。私もね、ディアに口づけたり抱きしめたりすると、とても幸せな気分になるんだよ」

 クラウディアが一生懸命自分の気持ちを伝えてくれたから、シルヴェスターも己の心を返す。

「幸せな気分…………私もそうかもしれません」

「ディア」

 シルヴェスターはクラウディアの唇に一つ口づけを落とした。

「じゃあ、決まりだね。今から王宮に行こう。侍女たちに準備をさせないと。それから、2人位なら侍女を連れてきても良いとあるから、どうする?エレーヌとキャロラインに来てもらうかい?」

「はい。お母様のお許しが出れば、その2人でお願いします」


 シルヴェスターがクラウディアを王宮で保護することを伝えるとシュタインベック家は上を下への大騒ぎになった。

 王宮に滞在となれば、持って行くドレスもそれなりの品格を求められる。その上、明日には謁見式と舞踏会、その翌々日には狩猟会も控えているのだ。それ用の衣装も持参する必要がある。

 馬車1台に乗りきるのか?と思う程のトランクの山が積みあがった。

 なんだかんだと母のビルギットと祖母のマルレーネは楽しそうに侍女たちに指示を出している。取り乱したクラウディアが自分たちの手を受け入れてくれなかったことはショックでもあったが、シルヴェスターの手なら受け入れられることが母、祖母ともに嬉しくてしょうがないのだ。クラウディアのためにもできるだけ長い時間シルヴェスターと居させてやりたいと思い、母と祖母は王宮からの申し入れを2つ返事で了承した。


 母と祖母と侍女たちが喜々として準備に勤しむ間、クラウディアはキャロラインによりまずは腫れてしまった目元を冷やしていた。

「ごめんなさいね。キャリー。貴女も突然王宮へ行くことになって準備が大変でしょうに、わたくしの手伝いをさせてしまって」

「お嬢様。お気になさらないでください。準備は母が整えています。すぐに終わるでしょうから、お嬢様の目元の腫れが引いたら、入浴して登城の準備ですよ」

「ええ。ありがとう」

「ふふ。お嬢様、良かったですね。シルヴェスター王太子殿下と一緒にいられることになって」

 キャロラインがからかうようにそう言うと、クラウディアは頬を赤らめた。

「キャリー。からかわないで」

「お嬢様が奥様や大奥様、母や私の手まで受け入れてくださらなかった時には、本当にどうしようかと思ったのですが、やはりシルヴェスター王太子殿下は違いますね。幼いころからお嬢様が一番に頼るのはギルベルト様かシルヴェスター殿下であったことをキャリーは良く覚えておりますよ。そのシルヴェスター殿下との婚約が決まって、キャリーはとても嬉しゅうございます」

「キャリー、恥ずかしいから…………でも、ありがとう」

「ええ」


 ◆ ◆ ◆


 クラウディアが王宮に滞在することになり、王太子妃の部屋と王太子夫妻の寝室を使うことになったと知らせを受けて、躍り上がった人物がもう一人いる。

 他でもない、王妃のクレメンティアだ。

 家族の反対を押し切って1年前から準備してきた甲斐があるというものだ。

 クラウディアが受けたと言う無体をクレメンティアとて苦々しく思っていたが、クラウディアが王宮に滞在して王太子夫妻の部屋を使ってくれると言う事がそれを上回って嬉しかった。

 もう、このまま婚約式、そして結婚式まで王宮滞在で良いのではないかと思う程だ。

「そうだ」とクレメンティアは思いつく。クラウディアには王太子妃教育、ひいては王妃教育を盾にずっと王宮に滞在してもらおうと胸を躍らせるのだった。

 

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