1‐5 腐蝕の再来

「——あーったく……ひどい目に合ったぜ…」

「もーだから謝ってるじゃん! せっかくお肉奢ってあげるんだから、そろそろ許してよね!」

「そうよヨシハル。大体、アンタから言い出した鍛錬なんだから、事故みたいなことでいつまでもグチグチ言わないの。男らしくないよ」

「おまっ、その男の大事な部分が無くなりかけたってのに……。はぁ、まぁいいか。確かにいつまでもみみっちく言い続けるのもみっともないし……」


 わたしはキソラの味方だ——と言わんばかりに、ユウリはキソラの腕を組んで腰をいまだトントンと叩いてぶつくさ言うヨシハルを睨みつけている。

 三人が歩いているここは、灰塵都市スクルータ二番街のメインストリート——通称『露店通り』。

 老若男女問わず、色んな人が物を売って賑わっている。


「さぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい!! 新成国家オアシスから卸されたばかりのウチには揃ってるよ! 希少なアクセサリーから造り立ての家具、培養器クルトゥラまでなんでもござれだ!」


 ——生成炉心エクスビボが存在し、超上流階級者たちだけが暮らすことを許された、唯一この世で自然が残る島【生成炉心都市レケンティス】。


 エイジア・ローシャン区など五つの区に別れて世界を運営し、上流階級から下流階級まで幅広くこの新成培養大陸ペタフロートにて平等に暮らす、【新成国家オアシス】。


 そしてその新成国家オアシスエイジア・ローシャン区の中央都から外れて、まともな生きる手段を失い崖に追いやられるかの様に集められた落伍者たちが、ごった煮のごとく作ったのがここ【灰塵都市スクルータ】だ。

 全体としては横に長く、街の数は閉鎖された三番街を含めて計五つ。

 新成培養大陸ペタフロートの誕生以来、最古の街として大陸の端側に位置している。

 そのせいで建造物などは基本的にヒビが入っていたりと古め。出回る商品はそのほとんどが新成国家オアシスから降りてくるオンボロの型落ち品だ。


 簡単に言えばここはスラム街の様なモノ。

 特別な壁や深い溝のみたいな隔たりはなく、一歩足を進めれば新成国家オアシスの街区には普通に行けるのだが、お互いに正面から関わり合おうとはしない。


 街区の住民が無意識にでも持つ優越感と、灰塵都市スクルータの住民が抱く強烈な劣等感。物理的によりも精神的に巨大な溝がこの二つの都市に生きる者にはあった。


 でも、キソラはこの街は嫌いじゃない。

 みんな、限りに限られた資源の中で自分なりの方法で生き抜き、助け合いながら生きているその在り方がなによりも心地良かったのだ。

 きっと、この都市で暮らす大半の人がそう思っているだろう——。


「アクセサリーだってキソラ! 行こ行こ!」

「あ、おい! 勝手に動くなって!」

「まったく、ユウリはアクセに目が無いんだから。待って待って……——ん?」


 ユウリが目を輝かせてキソラの手を離すと、我先にとその露店へと走っていく。ヨシハルはその後ろを慌ててついて行き、キソラもそれに続こうとすると彼女の横目に灰色の塊が飛び込んできた。


 フードで顔を隠し、全身を灰色の外套で覆っているその人物。かろうじて伺える足元は黒いタイツと黒く機能性の高い靴が履かれていた。


 そんな謎の人物はじっくりと露店に並ぶ品を眺めている。


「おっ別嬪な嬢ちゃん! 見ない顔だな! どうだい、なにか一つ!」

「そうね。ならこの培養器クルトゥラを見せてもらいましょうか。丁度、こっちに持ってきたのが壊れてしまったの」

「おや、それは不幸なこって! ま、おじさんにとっては幸運だけどな!」 


 透き通りながらも芯を感じさせる銀鈴のようなその美声。息苦しい雑多の中で聞こえてきたソレは、まるで清涼剤の様にどこか心地よさを感じた。


「ってことで、別嬪な嬢ちゃんにおすすめするのはこの培養器クルトゥラだな。新成国家オアシスから出回って来た第四世代型。今、ある中でも超最新だぞ」

「超最新型……? どう違うの?」

「なんでも新成国家オアシスが、生成炉心都市レケンティスで食べられるような“本物の肉”を再現すべく開発されたものらしくてな。ここに肉のデータと細胞一つ入れると、あら不思議! 一時間で一キロの“本物風の肉”の出来上がりだそうだ! 焼いて食べたら溢れる肉汁で舌を火傷した奴もいるって話だ!」

「へぇっ!!」


 差し出された培養器クルトゥラを抱え、声を輝かせる彼女。

 培養器クルトゥラは、人類が飢えない様に生成炉心エクスビボを家庭用サイズにまで小型化した培養肉製造器。


 五十センチはある卵のような楕円形のそれは真っ黒に染まっており、上部を開けてそこに素材を入れたら培養肉の完成だ。

 世の中に出回っている中でも最新となればその出来はかなり良いんだろう。

 ——でも、


「(あーあ可哀想に、騙されちゃってるよ。この灰塵都市スクルータでそんなものが出回るわけないってのに。そもそも本物だったら殺到してるよ新人ちゃん)」


 嬉しそうに培養器クルトゥラを見る彼女を見て、思わずキソラは思わず苦笑してしまう。


 アレは間違いなく偽物か、万が一本物だとしても超壊れかけのどちらか。店主の話す言葉が全てまた聞きなのもその証拠だ。

 本物っぽさを演出して実際にはなにも確約していない。


「(偽物だって気付けるかな~。教えてあげても良いんだけど——)」


 この街は逞しくないと生きていけない。それが十年前にこの街にやって来たキソラの経験値。ちょっとばかし痛い目には合っておかないと、この先が苦労する。


 実際この露店通りだって、朝の事件で巨大な穴が空いているにもかかわらずもまるで穴なんてない様に店を開いているのだ。

 

「あえてここは言わないよ。強く生きるんだよ、新人ちゃん」

「——何言ってるのキソラ。こんなところで立ち止まってないで、早くヤマトさんの所に行こうよ」


 しみじみと一人で見知らぬ少女に別れを告げていると、なぜか仏頂面になってユウリが帰ってきた。


「あれ、ユウリ。どうしたの? アクセ買いに行ったんじゃ」

「あんなの見る価値すらないわ……。どれもこれもダサいし、ほとんど屑鉄みたいなものよ……」

「まぁそんなことだろうとは思ったよ。この灰塵都市スクルータで映えるアクセなんてあると思う?」

「そうだけど—……。おしゃれしたいのはどこに住んでても変わりないんだからさー……。あーもう、やめやめ! 嫌な気持ちはもうお肉食べて吹き飛ばしたいから早く連れてってー」

「はいはい、分かったよ。ヨシハルは?」

「もう待ちきれないから先に行ってるだってさ」

「アイツ……」


 奢られる立場の人間が置いていくとは。ピキリと口の端を歪めると、溜息一つ吐いて二人はヤマトとヨシハルが待つ露店へと向かうのだった。



 そうしてやって来たヤマトと娘のワカナが営む焼き肉串専門露店。

 濃い味付けのタレが培養肉に塗られ、焼ける香ばしい匂いがその一帯を漂わせていた。


「お、ようやく来たか」

「奢られるくせに先に行っておいてその言い草。酷くない?」

「もうヨシハルの分は無くて良いんじゃない? ヤマトさんもその方が楽でしょ? ね、ヤマトさん」

「別に構いやしないさ。二本も三本も変わらねぇし、そのくらいで今朝の釣り合いが取れるとも思ってねぇよ。——だからま、さっさとこれ受け取りな。ヨシハル坊に言われてもう焼いてたんだ」


 ヤマトの渋い声と共に渡される三本の串。綺麗に焼き色がつき、滴り落ちる培養肉の脂が食欲を誘ってくる。

 

「ヨシハルに言われて……ってアンタ、どれだけ食べたかったのよ……」

「仕方ないだろ、ヤマトさんの焼く肉は、灰塵都市スクルータの中でも一番美味いんだから」

「ま、それほどでもあるわな」


 胸を張ってドヤ顔を見せるヤマト。

 はふはふと頬張ると、口の中に肉汁が充満し旨味がこれでもかと押し寄せてくる。

 そんな幸せの塊を飲み込み、簡単のため息を一つ。


「ほんと美味しいよね~ヤマトさんのお肉。培養肉って思えないくらいジューシーだし。なんでこんなにパサついてないの?」

「そりゃこの道、四十年のなせる技よ。今の俺の腕なら、だましだましやって本物に近づけることなんざ赤子の手をひねるより簡単だぞ」

「ほぇ~流石だね」


 そう言ってもう一口。串を伝った脂がまた二つ目の肉を美味しくさせていた。


「それでも本物のお肉には絶対に敵わないんだけどね。なのにお父さん、本物を超えるって言って聞かないんだから」

「あ、ワカナさん」

「ちっす」

「お邪魔してまーす!」


 串に刺さった生の培養肉をトレイに載せて持ったワカナが露店の奥にある二人が住まう家の中からひょこっとやって来た。


「バカ野郎。その想い一筋でやって来たからここまでのクオリティが出せるようになったんじゃねぇか。本物を超えるのも時間の問題だぞ」

「はいはい、分かったから。これ追加ね。——それで、キソラちゃんにはこれを」

「おう、ありがとな」

「これ?」


 トレイをヤマトに渡すと、その上には培養肉以外に布巾が被せられたナニカが置かれてあった。


「気になるだろ。これは特別も特別でな。本当なら俺たちで食っちまおうかって考えてたんだが、やっぱり朝の貸しにはたかが培養肉を奢るだけじゃ割に合わないって思ってな。——キソラ、これ持っていきな」

「こ、これって……!!」

「マジかよ……!!」

「存在してたんだ……」


 ヤマトが布巾を取ると、そこには小さくも赤く輝き、瑞々しさしか感じさせないトマトがあった。

 まるで財宝の様に輝くそのトマトを見て、三人は驚愕に震えて目を見開いている。

 当然だ。自然の物は全て生成炉心都市レケンティスにしかないのだ。新成国家オアシスの上流階級ならまだしも、灰塵都市スクルータでこんな立派な野菜を目にかかることなんて絶対にあり得ない。


 希少価値で言ったら、それこそ本物の第四世代培養器クルトゥラよりも高いだろう。

 図鑑でしか見たことのない激レア食材がこの場にはあった。


「な、なんでトマトがここにあるの……!?」

「実は新成国家オアシスの裏ルートで土と廃棄予定の種が売られててな。見つけた時に思わず買っちまったんだよ」

「絶対高かったでしょ……。土が手に入るだけでもレアなのに……。よくその人も売りに出したね」

「まぁ、育たなきゃ意味が無いしどうせゴミになる可能性が高いなら高値で売りつけようって魂胆だったんだろうな。これまで貯めてきた金の八割は吹き飛んだわ」

「けれど、その甲斐があってこうして一つ出来たってワケ。かなり奇跡だと思うよ」

「そんな大事なモノを私に……」


 まさにこのトマトは奇跡の産物。これを売りにでも出せば、一生遊んで暮らせるだけのお金が入って来るだろう。それこそ、買った時のお金なんて一撃で返って来る。


「良いんだよ。これが無くなっても俺たちは生きていけるが、あの時お前がワカナを救ってくれなかったら俺の人生も終わってただろうからな」

「受け取ってキソラちゃん。命を救ってもらったお返しがこのトマト一つじゃ割に合わないかもしれないけど」

「ううん! そんなことない!! すっごく嬉しいよ!!」

「情けは人の為ならず――ってか。やったじゃんキソラ」

「味、わたしにも教えてね!!」


 ヨシハルとユウリも喜びながら、キソラはこの大事な大事なトマトを丁寧に受け取ろうとする。

 布巾に包まれたトマトをヤマトは、キソラの手皿に置こうとした——その時。


 ——ヤマト自慢のその腕が。

 ——異臭を放ちながら、ずるりと腐り落ちた。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る