初恋相手との結婚で地獄をみたご令嬢は悪妻になりたくて奮闘する

大森都加沙

初恋相手との結婚は地獄の入り口だった

「はっきり伝えておく。俺に必要なのは法律上の妻だ。だから、お前自身は必要ないし興味もない。ここで好き勝手に暮らせばいい」


 幼い頃から好きだった男の子は、こんなに冷たい顔で話す人だっただろうか。この人は本当に私が結婚したカルロなのだろうか。


 思考が追い付かず、ぼんやりと顔を眺めた。


 切れ長の青色の瞳、動きに合わせてさらさらと動く黒髪。人形のように整った顔立ち。私が幼い頃から見慣れている彼だ。私が恋した彼だ。


 でも、今は表情が全く違う。記憶の中の彼はもっと優しく温かく微笑んでいた。こんなに冷たく恐ろしい表情の彼を見るのは初めてだ。


 初恋の幼馴染が急に得体のしれないモノに変わった。じわじわと恐怖が全身に染みわたり、身動きが取れなくなる。



 カルロと私は縁続きだ。共に王家に連なる家系に生まれ、定期的に交流を持ってきた。カルロと彼の兄のジェイド、私の3人は年齢が近いこともあって妙に馬が合い、大人たちが歓談にふける間に遊び回っていた。


 そして、私はずっとカルロに恋心を抱いてきた。


 でも公爵家として政治を担い、多くの領地を上手く運用するカルロの家と、血筋は違わずとも祖父と父が放蕩して身代を潰しかけているうちでは、既に同格とは言えない。私は実るはずのない恋を、胸にそっと隠して過ごしていた。


 私には姉が3人いる。長姉は婿を迎え、義兄が家を継ぐ事になっている。

 残りの姉二人は、年頃になるとすぐ遥か遠方の裕福な商家と外国の豪商にそれぞれ嫁いだ。嫁ぐというよりは売られたと言った方が正確かもしれない。


 そのくらい、うちは窮乏していた。


 幸か不幸か、私たち姉妹は容姿には恵まれている。血筋と容姿のおかげで売り物としての価値はそれなりに高かった。


 私も18歳を迎えたらすぐに、どこかに売られるはずだった。事実、話はいくつか進んでいたらしい。


 父の急死により、18歳を迎える直前に状況が変わった。


 その日も泥酔して家に戻った父は、夜中に階段を踏み外して転落し、そのまま黄泉へと旅立った。


 家を継いだ姉と義兄は、そこで初めてうちが既に破産していたこと知った。爵位と領地の権利も屋敷も既に借金のせいで失っていた。今の暮らしは血筋を重んじてくれた、借金の貸主の温情の上にかろうじて成り立っていた。


「仕方ない、私たちに出来る仕事を見つけて暮らしていこう」


 優しい義兄は、焦燥した顔に優しい笑みを浮かべて私と姉に言った。まだ子がない二人は、私と三人なら何とか暮らす術がある、と言ってくれた。


「私を、お姉さまがたみたいに、どこかに嫁がせてもらえませんか?」


 満足な嫁入り支度が出来なくても、富裕な商人などの中には血筋に価値を見出してくれる人だっているだろう。


「お姉さま達が身を挺して守った家です。私だって守りたい」


 姉と義兄は最後まで抵抗してくれたけど、私自身の訴えと、家を絶やす事に猛反対する親戚たちからの強い圧力もあり、私の嫁ぎ先は決まりつつあった。私の希望は、出来るだけ良い条件を出してくれること。相手の年齢も、人柄も容姿も、嫁ぎ先の場所も何も問わない。例え、一夫多妻の国で何番目かの妻となろうとも。


「嫁ぎ先が決まったよ。カルロ・ヒューズワードを知っているだろう」

「カルロ?」


 何があっても出て来ない名だと思っていた。義兄の言葉を聞き違えたかと思って何度も確認したけれど、やっぱり、私が想い慕うカルロのことだった。


「他の話が決まっていたんだけど、ヒューズワード家の強い希望で変更されたらしい。うちが血筋を売るような結婚で血を広げ過ぎている事が問題視されていたんだ。その対策なのかもしれないね」


 血筋だけが望まれたのだとしても、こんな幸運はないと思った。どこの誰か分からない人ではなく、カルロと結婚できる。私は本当に幸せだった。


 だから、目をつぶった。


 結婚が決まってから一度も顔を合わせようとしないことも、結婚式で久しぶりに会った時にも、お披露目の舞踏会でも、ダンスをしていても、一度も目を合わせてくれないことも、一言も口を利かないことも。


 昔の想い出と大好きだった気持ちを拠り所にして、問題ないはずだと自分に言い聞かせていた。



 結婚式とお披露目の舞踏会はつつがなく終わった。


 遠方からの客も多いため、午前中に結婚式を行い午後いっぱいで舞踏会を終わらせた。まだ日が完全には暮れていない時刻だったけれど、朝から緊張しっぱなしの私はとても疲れていた。


 それでも、やっとカルロと話が出来ると思うと嬉しくて、新居として与えられた邸宅に入る時には心が浮き立っていた。広大な敷地の片隅にある休暇用の小さな邸宅が夢のお城のように感じられた。


「大丈夫? 疲れたんじゃない?」


 付き添ってくれている、カルロの兄のジェイドが優しく気遣ってくれる。


「ううん、平気よ。ありがとう。ジェイドも色々と働いて、とても疲れたんじゃない?」

「俺は平気だよ」


 家に向かう間も話すのは私とジェイドだけだ。ジェイドが色々と話しかけても、カルロは無表情のまま兄の言葉に返事すらしない。不審な顔はしながらも、ジェイドはカルロの疲れを気遣っているのか、あえて何も問わなかった。


 無表情のままカルロは家に入ると、硬い声で使用人に客間に灯を入れさせ、すぐに下がらせた。


 私とジェイドは視線を合わせたけれど、お互いに困惑していることしか分からない。


 カルロは、並ぶ私とジェイドに向かい合うように立ち、今日初めて私と視線を合わせた。思いがけない強く厳しい視線に、浮き立っていた気分がすっと冷える。


「はっきり伝えておく。俺に必要なのは法律上の妻だ。だから、お前自身は必要ないし興味もない。ここで好き勝手に暮らせばいい」


 部屋は十分に明るい。冷たい表情を見間違える事が無いくらいに。


「カルロ、⋯⋯どういうつもりだ?」


 ぼんやりして、どうして良いか分からない私よりも先に、ジェイドの方が先に我に返ったようだ。カルロはジェイドに視線を向けず、冷徹な顔で私の顔を見下ろしている。


 カルロは見上げないと顔が見えないくらい背が高くなっていた。一緒に遊んでいた頃は、それほど背が変わらなかった気がしたのに。それほど長く会っていなかっただろうか。


「どういうつもりだって、聞いてるんだ!」


 ジェイドが私を庇うように前に出て、カルロに強い口調で詰め寄る。


「どういうつもりも何も言葉通りだ。俺はここでは暮らさないから、今後は滅多に会う事も無いだろう。社交の場にも一緒に出るつもりはない。


 ああ、金の心配をすることはない。好きな物を買って好きに暮らせばいい」


 私が想像していた結婚生活とはかけ離れている。


「あの、どうして、こういうつもりだって、結婚前に教えてくれなかったの?」


 声が震えてしまった。カルロは面白そうに笑った。


「伝えたからって何が変わるんだ? 面倒な後ろ盾がなくて血筋がいい、他に条件に合う女はいないから買った。それだけだ。だいたい物を買うのに理由を伝える必要があるか?」


 物を買う。とても結婚を表す言葉とは思えない。胸に太い杭が刺さったかのように息が苦しい。


 カルロはそのまま一歩前に出てジェイドの肩に手をかけ、私の顔を覗き込んだ。


「どういう結婚生活を望んでいた? お前はどのみち売られようとしてたんだ。お前が夢見るような結婚生活は無理だっただろうな。ここで誰にも邪魔されず、好きに暮らせるんだから何の文句もないだろう?」

「でも、でも!」


 見知らぬ相手ではない。一緒に仲良く遊んだ彼だから、売られたとは思わなかったのに。涙があふれて来た。


「一つ言い忘れていた。好きに暮らせ、というのはあらゆる意味で、ということだ。俺も好きにする。子供を産んだら知らせだけよこせ。公爵家の子供として、ちゃんと育てさせてやるから」


(何てことを⋯⋯私が他の男性と関係を持つことすら、興味が無いと言うのか)


 力が抜けて床にへたり込んでしまった。愛情までは期待していなかった。でも友情や感情がある人間としての扱いすら、期待するのは身の程知らずだったということか。


「お前! 何で、どうして、こんな事を言えるんだ!」


 ジェイドがカルロの胸倉をつかむと、思い切り殴った。鈍い音がしてカルロが後ろに倒れ込む。しかしカルロは言葉を止めない。


「風評も気にすることはない。家の力を考えろ。そんな誹りは何の傷にもなりはしない」


 面白そうに笑うカルロは、初めて見る人のようだった。殴られた時に切れた口元には血がにじんでいる。それをぬぐいながら立ち上がり、興奮で目を輝かせる彼は美しかった。部屋の空気を焼き尽くすかのように、何かの感情をほとばしらせている。


(憎しみ? 怒り?)


 私もジェイドもカルロに魅入られたかのように身動きできない。彼は美しく微笑んだ。


「ジェイド、こいつはお前に任せる。面倒をみてやれ、いいな」


 動けないままの私たちに背を向けると、カルロは静かに立ち去った。

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