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ギルバートは誰からかルフェルニアの終業時間を聞いたのか、時間ぴったりに植物局の前へ馬車を付けた。


他の退勤しようとしていた局員がちらちらと馬車を見ているので、中に誰がいるかわからないうちに、さっさと行ってさっさと乗ってしまおうと、ルフェルニアは荷物を持って早歩きで向かった。


しかし、下に降りると、ギルバートが馬車から降りて待っていた。


(降りなくていいのに!降りるとますます目立つのに!)


大公を外で立たせて待たせているなんて、噂になってしまうに違いない。

ルフェルニアは慌てて駆け寄った。


「お疲れ様でございます。お迎えありがとうございます。さぁ行きましょう。」


ルフェルニアは早口で言うと、ギルバートはくつくつと喉を鳴らして笑った。

ルフェルニアが一刻も早くこの場を立ち去りたいことが伝わったのだろう。


ギルバートはさっと手を貸すとルフェルニアはそれに掴まって馬車に乗り込んだ。乗車については大分慣れてきて、スムーズに乗れるようになっていた。


「あれ?マーサはいないの?」

「これから行く先で準備をしてもらっているんだ。」

「これから行く先?」


ルフェルニアはてっきりどこかのレストランに行くのだと思っていた。


「今日、ガイア王国の王族や貴族と挨拶を交わしたんだが、来週末に王宮での夜会があるから、出席してほしいと言われたんだ。こちらに知り合いは少ないから、君にパートナーとして出てほしい。」


ルフェルニアがデビュタントを飾った夜会と同じ夜会が約2週間後に開催される予定であることは、ルフェルニアも招待状を受け取っていて知っていた。


「それは…大公様ともなれば、もっとふさわしい方をエスコートすべきよ。」

「確かに、君の家格は高くないかもしれないが、君自身が名誉賞を受賞しているし、今回の来国の件だって君がかかわっていることは、今日挨拶してきた全員に伝えてある。」


(既に外堀を埋めてきたのね…。)


ギルバートは思っていたよりもちゃんと根回しをするタイプらしい。ルフェルニアは少し意外で驚いた。


この提案を受けて、ルフェルニアはすぐにユリウスを思い浮かべた。ユリウスにフラれる直前に出席した夜会では、次もユリウスがエスコートをしてドレスも用意する、と約束を取り付けられていた。

ルフェルニアとしては、フラれたのだから当然約束は無効になっているつもりでいるし、“次回”が王宮での夜会になることは相談をしていない。ユリウスがドレスを先に作っていることは恐らくないだろう。

あとの懸念はギルバートと一緒に居ることで周囲の目が怖いことくらいだろうか。


「ミネルウァ公爵令息のことを考えているのか?」

「うん。それに、貴方と一緒に居たら、針の筵にされそう。」

「俺はそれほどガイア王国で名が知られていないし、挨拶の度に経緯を話しておけば、変な勘繰りはされないだろう。そこはちゃんと俺が対応するさ。正直なところ、ガイア王国の他の貴族からパートナーを押し付けられて、その後のやり取りに尾を引いてしまうと一番面倒なんだ。」


ギルバートが困ったように言うので、ルフェルニアは迷った末に答えを出した。


「わかったわ。それでは、王宮の夜会は御一緒させてください。」


(これは人助けよ。ミシャの言うとおり、ユリウス様離れの良いきっかけにもなるだろうし。…女性の目が大変恐ろしいけどね。)


「受けてくれて良かったよ。実は今日紹介してもらったブティックに向かっているんだ。」


ギルバートがそう言うと、ちょうど馬車がブティックの前に到着したようだった。

ルフェルニアはいつものとおりギルバートの手を借りて降ろされたが、目の前にそびえたつ建物を見て、降ろされた恥ずかしさがどうでもよくなるほどの強い衝撃を受けた。目の前のブティックがルフェルニアでも知っている、王室御用達のオーダーメイド専門店だったからだ。王都で一番有名なデザイナー、マダム・ロッソを主力に優秀なデザイナーを複数抱えており、高額なうえ、随分先まで予約が取れないブティックだ。


「ギル…、ここは…止めましょう。そもそも、今からオーダーメイドなんて間に合うはずがないわ。」

「どうしてだ?王族の方から、王宮の夜会について話しがあったとき、君をパートナーとして連れて行きたいと言ったら、夜会までにドレスが間に合うようにと、ここに紹介状を送ってくれたんだ。」

「王族の…?どなたかしら?」

「第三王子殿下のアスラン様だ。」


(ぜっっっったい、面白がっている!!!)


ルフェルニアは不敬だと思いながらも、頭の中でアスランに文句を言った。

アスランは、きっとユリウスの反応が見たいのだろう。


ルフェルニアはお店の前で立ち止まっているわけにも行かず、ギルバートに促されて店内に入った。

店員達に恭しく出迎えられると、店内には既にルフェルニアのために見本のドレスが何着かかけられていた。


「マーサ!」

「ルフェルニア様、お待ちしておりました。」


店内にはマーサがいて、既にいくつか見繕っているようだった。

隣には赤く燃えるような美しい髪をアップスタイルにした女性が立っている。


「初めまして、ノア大公様、ルフェルニア・シラー子爵令嬢様。

わたくしはデザイナーのデヴィ・ロッソでございます。」


彼の人は、王都で有名なデザイナー、マダム・ロッソその人だった。

王家御用達の店を利用するだけでも驚きなのに、一番予約も多いだろうマダム・ロッソが出てくるなんて、ルフェルニアは想像すらしていなかった。


「ギルバート・ノアだ。期間の短い中、無理を言って悪いが、よろしく頼む。」

「いつもお世話になっているアスラン殿下からの御紹介ですから、喜んで対応させていただきます。」

「ルフェルニア・シラーです。有名なマダムに対応いただくなんて、恐縮ですが、よろしくお願いいたします。」

「ルフェルニア様には、ずっとお会いしたいと思っていました。」


ルフェルニアはこれを聞いて色々な意味で青ざめた。

ルフェルニア個人にマダム・ロッソとのやり取りはない。恐らく、ユリウスがここにドレスを注文したことがあるのだろう。

マダム・ロッソが作ったドレスとは知らずに着てしまっていたことは、先ほどの発言で勘づかれてしまったかもしれない。

ルフェルニアが毎回ドレスの金額を気にするので、ユリウスは“普通の”デザイナーに注文しているから、大した加工費はかかっていないと言っていた。いつも素敵すぎるドレスなので、ユリウスは人材の発掘まで才があるのだと暢気に思っていたが、なるほど、とても素敵なドレスが届くわけだ。ルフェルニアは、今までユリウスの言葉を疑わなかった自身を恥じた。


「失礼なことを申し上げて、申し訳ございません…。」


ルフェルニアは肩を縮こまらせて謝った。

マダム・ロッソがギルバートを気遣うように見やると、ギルバートは「気にしない」と言って会話の続きを促す。


「こちらこそ、申し訳ございません。先ほどのひと言に深い意味はなかったのです。かえって、貴女が色々察することになってしまったようで、失礼いたしました。

彼が貴女に伝えていなかったことは先ほどのやり取りで十分理解いたしました。今までは採寸のデータをいただくばかりで、お願いしても連れてきてくれなかったのです。」


マダム・ロッソは、ギルバートとルフェルニアの関係が良くわからなかったため、以前にユリウスがルフェルニアにドレスを贈っていたことを話すべきか少し迷ったようだった。

そのような気配りがあるのであれば、きっと、先ほどの“会いたかった”という発言にも他意は無かったのだろう。


「改めまして、いつも素敵なドレスをありがとうございます。今回も急なことですが、どうぞよろしくお願いいたします。」

「ええ。今回は赤色を御希望と伺っていますので、いつもとは違った雰囲気になるように仕上げたいと思っています。」


マダム・ロッソはそう言って、見本のドレスと生地の色見本を指さした。

見本のドレスは様々な色が置かれていたが、生地の色見本は赤色ばかりが並んでいる。


「マーサ、赤色に拘らなくても良いじゃないか。」


ギルバートは並べてある生地を見て、呆れたような声を出した。


「何を仰っているのですが。ギルバート様がエスコートされるのですから、お色は赤一択です。ルフェルニア様、先日一緒にドレスを購入した際は、お嫌いな色は無いようでしたが、よろしいでしょうか?」


マーサはギルバートに言い聞かせた後、気づかわし気にルフェルニアに声をかけた。


「赤は今まで着たことが無いけれど…似合うかしら。」


「ええ、ルフェルニア様の綺麗な御髪とのコントラストが綺麗に映えると思いますよ。」


マーサがそう言うと、マダム・ロッソも同意するように強く頷いた。

それからルフェルニアは試着室へと押し込まれ、着せ替え人形と化した。


ルフェルニアにとって意外だったのは、ギルバートが面倒くさそうにせず、どれが良いか意見をしていたことだ。

ギルバートは、フリルがたくさん付いているものよりも、少しすっきりした印象のドレスが好みのようだった。


王都ではパフスリーブが流行っているが、選んだドレスはノースリーブで胸元がすっきりしたデザインだ。かわりといっては何だが、背中はV字に大きく開いており、編み上げている紐越しに背中が透けるいつもよりだいぶセクシーな印象だ。スカートは後ろ側がたっぷりのレースでふんわりとしている。

生地は鮮やかな赤色をベースに、レースは様々な色合いの赤を混ぜて使うことになった。その場でマダム・ロッソが書いてくれたラフ画は、赤色なのにけばけばしさはなく、妖艶さと可愛らしさを兼ね揃えたドレスだった。王都一のデザイナーは、こんなにもすぐに素敵なデザインが思いつくのかと、ルフェルニアは目を丸くして驚いた。


ルフェルニアはブティックに来てドレスを選ぶのは久しぶりのため、朝の憂鬱な気持ちを少し忘れて、思ったよりもこの時間を楽しむことができていた。

ここのところ、ユリウスはルフェルニアに口頭でドレスの要望を伺うと、それ以降、ユリウスだけでドレスを用意してくれていたからだ。恐らく、ルフェルニアの目が徐々に肥えてきたために、ドレスの形や生地の金額がある程度わかるようになってしまい、ルフェルニアが自然と安価なものを選択しがちになっていたから、ユリウスはブティックにルフェルニアを連れて行かなかったのだろう。

ルフェルニアはそんなユリウスに対し、金額的なことを除けば、特に文句はなかったが、実際にドレスに触れて周りに意見を言ってもらえるのは存外楽しいものだった。


「それでは、当日はこちらまでお越しください。ギルバート様は現在王都内のホテルに御宿泊と伺いましたので、メイクなども含めて一式こちらで準備させていただきます。」


マダム・ロッソはドレスの良いイメージが浮かんだからか、機嫌がよさそうにそう言った。

ギルバートとルフェルニアはお礼を言うと、ブティックを後にした。

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