イフィーデイズ~もしかするとこれは破天荒な恋物語?~

加藤とぐ郎No.2

はじまり

 もしあなたの人生に、“無駄な時間”なんてものがあるとしたら……。


「いらっしゃいませ~!」


「おう穂香ちゃん。今日も綺麗に決まってるねぇ」


「あはは口が上手いなぁ。いつもので良いですか?」


「うん頼むよ」


「はーい。マスター!……ん?」


 それは贅沢の上に成り立っているのかもしれない。


「何してるんですか?」


「マスターを捕まえて何してるだなんてご挨拶だなぁ。見ての通り、新メニューの開発中だよ」


「それふつう、営業時間外でやるものじゃないですか?うてなさん、いつものですって」


「ああ?あの爺さんなら幾ら待たせといても良いよ。なんせこの町一番の暇人なんだかいてっ!」


「さっさと出す!」


「はいはい」


 今日は午後から雨脚が強く、『零号』の店内は珍しくひっそり閑としていた。雲が厚く、町並みは青黒いベールに包まれる。傘を差してまでこの古ぼけたカフェバーに来たがるお客は、それ以上に古ぼけた常連のお爺さんだけだった。


 時々、窓を叩き風が鳴く。珈琲の香りが馥郁と満ちる店の中には、小さく強かなピアノの音色が軽やかに心地好く響いている。確か前に教えてもらった、ジャズピアニストの名前、ビル……なんだっけ。


「お待たせしました」


「ありがとう。この一杯が無きゃ、一日を始めらんないからね」


「もう夕方んなるわ暇じじい!」


 マスターが厨房からつっこみを飛ばす。静かなおかげで奥のテーブル席までばっちりと声が通っている。


「くっははは!今日も苦いなあ!」


 台さんは、年甲斐も無く噛みついてくるマスターに心なしか嬉しそうに、とても美味しそうに白いコーヒーカップを啜った。


 マスターと台さんは因縁浅からぬ間柄だと聞いているけれど、実際の所どういう関係なのかは全くの謎だ。普段から八方美人で掴み所の無い彼が、台さんの前でだけは子どものように歯に衣着せぬ物言いになる。


 その“特別感”が心地好いのかもしれない。私はなんだか少し嫉妬心のような感情が芽生えそうなのを無視して、マスターの元へと向かった。


「何作ってるんですか?」


「パフェ」


「パフェ?なぜ?」


「ほら新年度になって、皆もうすぐ春の新生活が始まるでしょ?だからうちも、新しいメニューをと思ってね」


 新生活関係ないだろ。パフェのパの字にも引っ掛かっていない。


「本当は?」


「実は、知人に、店を畳んだからってパフェグラスを大量に譲って貰っちゃってさ。腐らせるのもなんだから」


「そうだったんですか……」


 いけないいけない、ちょっと縁起悪そうとか思ってしまった。我ながら失礼が過ぎる。


「この業界じゃ珍しい事じゃないよ。でも安心して、少なくとも僕が生きてるうちは、この店は潰さないから」


 確かに今日こそ一人しか居ないものの、いつも『零号』には多くのお客が訪れる。それも半分以上はマスター目当てで、珈琲はおまけなんていう人がほとんどだ。


 話し上手で聞き上手、加えてマスターは容姿が優れていて、私は秘かに彼の顔を正解顔と称している。正直かなりファンが多い。下手をしたら、手の届かない芸能人なんかよりずっとモテている……のかもしれない。


 そして、私は入った事はないが、夜にはこの店はバーとして営業している。そちらも根強い人気があるようで、マスターの言う通りちょっとやそっとじゃ潰れそうにない。


「でもパフェって、めんどくさそうですね?」


「せめて難しそうって言おうよ。そこで……。ジャーン!プリンパフェっていうのはどう?」


 想像より小ぶりなパフェグラスの底にカラメルソースが溜まり、上にはコーンフレークと砕いたプリンの層があり、更に上にホイップクリームが乗っている。


 まさしく試作品と言ったような、シンプルで手作り感の強いプリンパフェだった。これならアイスクリームのパフェよりかは、幾らか手間がかからないで済みそうだけど。


「うーん、微妙です。てかそれいつものプリン、パフェっぽく盛っただけじゃないですか?」


「それが映えなんだよ!プリンだけじゃなくてクッキーとかコーンフレークとかも入ってるし、この後色々改良してカワイイ感じにデコるの。穂香、意外とそういうとこ無頓着だよな」


 私は、基本的にチャラいのに実は凝り性なマスターの方が意外だと思いますけど。とは口にしなかった。しかも結局、デコレーションするなら余計に手間がかかってしまうだろうに。


「そうだ!いっそのことコーヒーゼリーもパフェにしちゃいません?私、ここのコーヒーゼリーが一番好きなんですよ」


「うーん、僕も考えたんだけど、やっぱり一度に2個も新メニュー作っちゃうのはね。ただでさえめんどう…コホン!難しいからさ」


「あ、そっか。そうですね」


「実際にやってみて感触を見るしかないかな。ただ、定番化しちゃうのはやっぱりめん……どくさそうだしなぁ」


 やはり最終的にめんどくさいが勝ってしまった。


「うちは夏限定でかき氷やってるし、春限定にしようか。ス“プリン”グだけに」


「じゃあ秋はコーヒーゼリーパフェにすればバランス取れそうじゃないですか?」


「あのー、うん、そうしようか」


「おーいお前さんら!」


 マスターとの話に夢中になっていた所に、台さんの呼ぶ声が聞こえて我に返る。そう言えば今は思いっきり営業時間内だった。


「ごめんなさい。おかわりですか?」


「いや今日は、おかえりだよ」


「でもまだ雨も降ってますし、もう少しゆっくりなさっていけば」


「良いんだよ。今日はちょっとした野暮用で立ち寄っただけなんだ。室戸の倅……マスターに、ご馳走様、美味かったって伝えといて」


「お粗末様でした。気ぃ付けて帰れよご老体」


「くっははは!相も変わらねえなぁ」


 台さんはまた嬉しそうに笑いながら、そんじょそこらじゃお目にかかれない立派な和傘を差し、雨曝しの路地へと去っていった。


「風で転ぶか風邪でも引いて、入院って事にならなきゃ良いけど。見舞いなんて絶対したくない」


「もう~。まだまだそんなやわな歳じゃないですよ」


 台さんが使っていたテーブルを片付けようとすると、500円硬貨が一枚、照明を鈍く反射して輝いていた。


「あ」


「あんの爺ぃ!いつもお代はいらないって言ってんのに!」


「まあまあ。一流の仕事には正当な対価が支払われるべきだって言ってましたし、素直に受け取っときましょうよ」


「うちの穂香に変な事吹き込みやがって。あのね、僕は一流と言うにはまだまだ拙い!対価なら、返せないくらいの物を既に貰ってる!だから次は、きっぱりと突っ返しといて」


「はいはい」


 私は台さんが置いていった500円をレジスターに納めきちんと会計した。マスターには突き返せと言われたけれど、私は台さんのマスターをリスペクトする気持ちを大事にしたい。だから次に台さんが来店した時も、彼には内緒でこっそり500円をいただくのだ。



 『零号』は本当に一人もお客が居なくなってしまった。この時間にマスターとお店で二人きりというのは初めてだ。


 雨が窓を叩く音、風の吹き付ける音がにわかに激しくなった。しかし店内に流れる調べは変わらず、外の荒れ模様に反して私の心は安らいでいく。二人だけの雨宿り。


 壁に掛かった振り子時計を睨んで、止まってしまえば良いだなんて、無駄な願いを抱いてみても。


「今日は夜まで降りそうだね」


「いえ、止みますよ。止んでくれないと困ります」


「そう。あ、そうだ穂香。プリンパフェ、試食してよ」


 お客は来ないからとカウンター席に着かされ、さっきの試作品パフェが目の前に出される。ウォルナットという木材が使われた上品なカウンターの上、柔らかな照明を受けて誇らしげな佇まいだ。


「ふふ」


 私はそれを見て、親友の事が頭に浮かんだ。一見なんてこと無さそうな雰囲気なのに、舞台に立てば精彩を放ちしっかり人を惹き付ける。彼女をデザートに例える事があるなら、手作りのパフェで決まりだわ。


「そんなに好き?」


「ああ、いえ!……いや、大好きです。けど今はいただけません」


「勤務中とか気にしないで良いから、感想ちょーだい。いつもみたいに忌憚ないやつね」


「そうじゃなくて本当に食べれないんですよ。今……ダイエット中なので」


「パフェ1個くらい大丈夫だよ、チートデーって事にしてさ」


 私のチートデイを勝手に決めるな。そういう甘えで、今までの我慢が水泡に帰すのは嫌だ。だけどプリンで良かった。コーヒーゼリーだったら誘惑に負けていた。間違いなく。


「食べないと勿体無いじゃん?」


「マスターが食べればいいじゃないですか」


「お腹空いてなくてさ。しょうがない。じゃあ冷蔵庫に入れて、後で彼に食べて貰おう」


 マスターは何かとに面倒事を押し付けがちだ。バーの方の『零号』もほとんど彼が切り盛りしてるとか。


「このパフェにマカロン乗っけるのはどうかな?」


「徐にマカロン。余計なんじゃないですか。ここの看板は珈琲なんですから、そんなデザートに凝らなくても」


「んな!デザート甘く見てたら痛い目見るかもよ?」


「虫歯ですか?胸焼けですか?」


「リバウンドかも?」


「それは耳が痛いですね」


「おお!良い返し!」


「何ですかこのしゃらくさい会話!?」


 私は楽しく無駄話できる相手が好きだ。親友やマスターがそれに当たる。彼らと居る時間は、いつだってかけがえのない大切なものだ。


 彼らと居れば、どんな風に過ごしたって無駄な時間にはならない。逆に言えば、この無駄じゃない、贅沢な幸せを知っているから、たった一度の人生の一部分を“無駄な時間”だなんて言えてしまうのだ。


「今日は結局、ほとんど来なかったね」


「私は楽できたので良かったですけど」


「まあこういう日もあるよ。その分忙しい日はバリバリ働いて貰うから、よろしくね」


「はーい」


 私は制服を着替えて身支度を済ませた。カフェからバーに交代するこの時間は一時的に店は閉めてある。大体いつもその間に、まかないをいただいている。


「外まだ少し降ってるね。良かったら送って行こうか?」


「お前が店空けたら、誰が店番するんだ?」


歩貴ほたかさん」


 今は閉めているはずの入り口から来た高身長の男の名は、妹尾せお歩貴さん。紳士的で垢抜けた彼こそ、例のだ。


「お疲れ様です」


「お疲れ様。水谷さんには悪いんだけど、玲護が出てったら、帰って来るとも限らないから」


「はい、遠慮するつもりです」


「すまないね」


「君ねえ、穂香に何かあったら責任取れるの?」


「過保護か。そら何かあった時はおれが責任取るよ、でもお前に送ってもらわないでも平気だから。寧ろ、お前と居る方が却って」


「あはは……。じゃあ、私上がりますね」


 生まれて死ぬ。たった一度きりしかない命に、無駄な事でも大切な事でも、そうやって意味や価値を与えるのは自分だ。


 だから、もしあなたの人生に、“無駄な時間”なんてものがあるとしたら……。


「お疲れ様。今日もありがとね」


「またね水谷さん」


 それは大切な人や物と過ごす贅沢な時間の上に成り立っているのかもしれない。


 私の無駄話は誰かにとっては無駄な時間。けれどそれは贅沢な時間があるということ、幸せであるということ。


「はい。さようなら」


 いつか私も誰かの贅沢になれたらいいな。




 これから始まる物語は、今回みたいな特にヤマもオチもない話ばかりが淡々と繰り広げられます。


 多少、変化球もありますが基本的にこんな感じです。なのでほとんどの方にとっては、“無駄な時間”になってしまうかもしれませんね。


 ただそんな時は損をしたと思わず、贅沢な幸せを思い出して、こういう日も悪くないと思うことにしましょう。


 なんて虫が良すぎますね。


 あまり中身の無い、私の日常の一頁でした。それでは、またどこかで。

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