あの子とこの子と破天恋デイズ
加藤とぐ郎No.2
月は綺麗だけど君はそうでもないね①
あれは、少し遅い塾の帰り道の事だ。僕は自転車を、鼻歌まじりに、ゆっくり漕いで進んでいた。
その日は外に出たらもうびっくりするくらい大きな満月が、雲一つ無い空にぽっかり浮かんでいて、とにかく風が涼しく心地よい夜だったのを覚えている。
その時だ。ふと前を見ると、毛むくじゃらの妖怪みたいなものがポツンと、道の先に立っているではないか。
「え、妖怪?」
……妖怪っ!?
僕は人並みにビビりなので、安全圏で自転車を止めて良く観察してみることにした。けれど、夜間だった上に僕の視力があまり良くないため、正体が掴めない。
仕方ない。怖いなぁ怖いなぁ、と思いながらゆっくり、ゆっくり、サドルに跨がりながらじわりじわり近付いた次の瞬間、
「ああ、古代ギリシャの歴史家か」
と妖怪が喋ったのだった。
「プリニウス、のことです?」
「それは博物学者。しかも古代ローマだし」
僕と彼女との距離は大股二歩分くらい、そこで漸く彼女が人間であると、具体的に、僕と同い年くらいの女の子であると気が付いた。
「ヘロドトスって何だっけ?ってさあ。考えてたの」
「あー!エジプトはナイルの賜物。……ヘロドトスが、頭に浮かんできた?」
「そう。これでやっとスッキリした」
街灯と満月に照らせれて彼女は爽やかに微笑んだ。多分その時、僕は彼女に一目惚れしたのだろう。
「君、西中だよねその制服。もしかしてどっか塾に通ってるの?」
普段の僕なら挨拶もそこそこに通り過ぎるところを、その時の僕は自転車を降りて、完全井戸端会議モードに移行してしまった。
「いいや。あたしはおつかい、の途中でボーッとしてたら、もうこんな暗くなってる!?今何時?」
「えっと、ごめん時計持ってない」
「使えねぇ~」
そうそう。見た目はかなり好きで、今でも変わらず好きなのだが、見た目以外は正直な話、あまり好きじゃない。
彼女は特別美人という訳ではないけれど何処か、というか何故か人目を引く顔で、歳を重ねる毎に綺麗になっていくタイプなのだろうなと、勝手に僕は思っている。“美”しいとか“麗”しいというより“妙”という字が似合う感じだった。
「てかヤバい!髪伸びちゃってるじゃん!」
「え、かみが伸びた?髪は伸びるものだよ?」
彼女を妖怪と見間違えてしまったのは、その踝まで届くほどの長い長い頭髪のせいだ。彼女の髪はとにかく綺麗で
「考え事してると伸びちゃうの!そういう体質なの!てか知らん奴に話しちゃったよ!」
「大丈夫。理解できてないから」
今の僕にもわからない。なんかそういう体質なんですって。嘘ではない。こんな意味のわからない嘘はつかないし、思い付きもしない。
かくして、僕はほんのちょっとだけ変な女の子と知り合う事になり、仲良くなるようになるのだった。
─────
【行間ちょこっとやり取り】
『え?このアイドルグループなら……?うーん。僕は、じゃあこの子で』
『マジ!センス無くない?こんな子が良いの?』
『……君はホント見た目だけなんだな』
─────
「ふう。助かったよ。ありがとうね」
「役に立てたなら僕も嬉しいよ。どういたしまして」
「ほんと……感謝はしてるんだ。でもね、ぶっちゃけ気持ち悪い!何このシルクハット!?」
あまり思い出したくない。髪が伸びてしまうからという訳ではなく、単純にあの時の事は軽い悪夢のように感じているから。
あたしはおつかいを頼まれて家に帰る途中だった。ガキでもできるおつかいを難なくこなして、天気も良かったし鼻歌でも唄いたい気分だった。
月が綺麗に円く少し緑色に縁取られていてしばらく見入ってしまい、柄にもなくセンチメンタルになり、それで物思いに耽ってしまった。
あたしは生まれつき特殊体質で、思考の深度によって頭髪の伸びる速度が尋常でない程に加速してしまうのだ。簡単に言えば、考えれば考える程、髪が伸びる。
今のところ健康に支障は無いと思っているし、医者にもそれらしき事を言われた事は無いような気がする。
で、物思いに耽り、案の定髪が伸びてしまった訳なのだが。
「どうなってんのこれ!!!」
“髪が長く伸びすぎて大変そうですのでこれを”と言って、自転車に乗って現れた彼は、あたしに偶々所持していたというシルクハットを渡してきた。
「髪が全部帽子の中に収まっちゃったけどこれどうなってんの?重さも感じないし!あのべらぼうに長いあたしの髪はどこに行っちゃったの?」
「え?どこにって帽子の中だけど。そのままじゃない」
「いやいや異次元に繋がっちゃってるよこの帽子!何これどういう理屈なの!?」
四次元的な空間に繋がっちゃう穴って、そのままSFか何かの題材になりそうな物をさも当然のように鞄のポケットから取り出した彼に、そもそもそんなものをポケットに入れている彼に、そしてシルクハットそのものに、全身全霊でドン引きしてしまった。
「無理。さすがに怖い!気持ち悪い!」
「まあまあ落ち着きよ。帽子の中が見た目より案外広かったりするのは良くあるでしょ?ほらマジシャンが鳩を出したり兎を出したりしてるし、平安時代の妖精が烏帽子から色んな物取り出したりしてるし、ね?」
「“ね?”じゃねーわ!マジシャンは思いっきりタネも仕掛けてるし、平安時代の妖精はテレビアニメでおじゃろうが!」
どちらかと言えば、二十二世紀のとある哺乳類型ロボットじゃないだろうか。
「そんな事言ったら君の髪だって伸びてるだろ!何だよ考え事したら伸びちゃうって?」
「あたしのはまだギリギリ現実味あんだろが!」
「現実味って言うんだったら、それこそそのシルクハットに君の髪がギチギチに詰まっていて、君が鈍感過ぎて重さ感じてないだけかもしれないだろ!」
普通に考えて、踝まで伸びた頭髪がシルクハット程度の矮小なスペースにすべて収まりきるはずがない。
「だったら最初から異次元云々を否定しろよ。……て言うか、もうこれ以上話してるとおかしな方向に行きそうだからやめよう」
「そ、そうだね」
「あ、そうだ。何でシルクハットなんか持ち歩いてたの?」
あたしの度胸が凄い。今のあたしなら、初対面の人間が何処かの奇妙奇天烈摩訶不思議な秘密道具みたいな物を出してきたらすぐに何とかしてその場から逃れようとする。
「え?お、おしゃれだよ。おしゃれ」
「ぷっ、アハハハハ!ガリ勉を絵に描いた中学生が、シルクハットでお洒落て!それ読む雑誌絶対間違ってるから!アハハハハ!」
いろいろな事が可笑しくて、あたしは久しぶりに堰を切ったように爆笑してしまった。
その時漸く、あたしは彼の顔をちゃんと見た。丸いシルエットの髪型で野暮ったい眼鏡をかけた彼は、夜の暗がりの中に溶け込んで今にも消えてしまいそうな儚さを身に纏っていた。
今になって思えばあれは儚さというより、珍しさだったのだろう。かなりレアな幻の珍獣のような、カメラに捉えるのが難しいという今にも消えてしまいそうな感じを、あの時のあたしは勘違いしていたのだ。
それもこれもすべて、彼の持つ魅力的とも言える独特な雰囲気のせいだった。
「そんなに笑うかな?」
「ごめんごめん。良いんじゃないシルクハット。あんまり拗らせ過ぎないようにね」
「中二病じゃないから」
「じゃあ中三病か」
「“あらやだわこの子、学年が上がっても治ってないじゃない!”じゃないよ」
彼は見た目とは裏腹に、全然余裕綽々とノリツッコミとかをかましてくるタイプだった。
「じゃあ、受験ノイローゼか?」
あたしは基本的に、考えないように生きている……。だから人と話さないように、避けようとしていたはずなのに。気が付くと彼に、心の扉を開けられてしまっていた。
「……かも。僕、西高目指しててさ」
「ふーん」
「あ、僕は北中三年の茂上孝太。君は?」
「教えたくない。でもスッキリしないから教えてあげる。あたし西中三年の深田千夏」
本当はこの話は墓場まで持っていくはずだった。これは、何も考えてないあたしが、むちゃくちゃ変な男の子を好きになってしまったなんていうどうしようも無い与太話なのである。
─────
【行間ちょこっとやり取り】
『あそこ新しくカフェ出来たんだって。一緒に行こうよ』
『は、はあ!?ななな、何であたしとお前で行かなきゃいけないんだよ!』
『サシだなんて言ってないよ。みんなでって話』
『それでも嫌だわ』
『いやデレはぁ!?』
『いや、あのすみません、普通に』
『普通に……ッ!?』
─────
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