第36話 卵にヒビが
あーよく寝た。
目を覚まして、広い部屋の大きなベッドにいることに驚いてしまった。
そうだった。高級ホテルに来ていたんだった。
サイドテーブルにある時計は、シックなデザインのアナログだ。
針は七時半をさしている。
――どっち? 朝? 夜?
キュウは? シモーネさんは?
ベッドから降りると、ズンと足にこたえた。うわあ。筋肉痛がくる予感がする。
とりあえずリビングへ行こうとドアを開けたけど、本当に遠い。
もういっそのこと、キックボードとかで移動したいくらい。
「よしつねー」
俺に気づいたキュウがソファの上で弾んでいる。
姿が見えないと思っていたシモーネさんは、ソファに横になっていたようで、ムクっと起こした体のてっぺんだけが、かろうじて見えた。
つむじのあたりの柔らかそうな金髪がモジャってなっている。
やっぱりちっちゃいな。そしてシルエットや後ろ姿だけは可愛いんだよね。
「ええと。今って――」
「いつまで寝ておったんじゃ! 晩飯はどうする気じゃったんじゃ!」
いや、シモーネさんもソファの上で寝ていたでしょ?
ああでも、晩飯ってことは夜か。そんなには寝てなかったんだ。
「じゃあ、晩ご飯にしましょうか。シモーネさんは何か食べたいものあります?」
「肉じゃ! 肉を山盛り出してくれ!」
うわあ。その体型と顔で言うセリフじゃないよ。やっぱ老婆の方がしっくりくるな。
バシン!
「よからぬことを考えたじゃろうが! 早く飯を出さんか!」
もーっ!
「分かりましたから。いい加減、その枝をぶん回すのやめてくださいね!」
「ふん」
とりあえずご飯だ。俺もお腹が空いている。
「ステータスオープン」
うーん。肉かあ。肉って言われてもなー。牛丼も肉だし、ハンバーグも肉だよな。まあ、分かりやすいのはステーキか。
いや、メンチカツとかも肉が入ってるし、入っているっていえばカレーだってそうだ。
「何を出し惜しみしとるんじゃ。はよせんか!」
「はいはい」
まあ洋食系から選べばいいか。あ! 忘れてた! これだ! まさに肉!
ふっふー。
テーブルの上でポチッとすると、ドスンといい具合に落ちてきた。
「ほお。なんじゃ。なんじゃ」
「ジャジャーン。とんかつです!」
「なじゃそれは? なんでもいいから出せ」
はいはい。
テーブルの上にとんかつを出して、シモーヌさんの分までソースをかけてやった。
「さ。食べてみてください」
「お、おう」
シモーヌさんは、匂いで美味しいと判断らしい。ためらうことなく口に放り込んで咀嚼した。
「ふぉ! なんじゃこれは!」
お気に召しましたか? うまいでしょう? じゃ、俺も。
あー。久しぶり! んまいっ。
「足りんぞ!」
え? もう食べちゃた?
もうちょっと味わってほしいな。ちゃんと噛んでます?
「……お主」
「うわっ。す、すぐにっ。はい。すぐ注文します!」
やっば。叩かれるところだった。
シモーネさんは、とんかつ二枚と大量のキャベツの千切りと白飯も二杯完食して、満足気にソファにもたれかかった。
「キュウも食べたいでしゅ」
ええっ? あ。肉じゃなくて――「鉄」をだよね。
キュウはいじけて、小さく弾んでいる。
俺たちのがっつきっぷりを見て寂しくなったのかな。
「ええとね。そうだね、うん。次の街でたっぷり買ってあげるからね。鉄でも銅でも好きなものを買ってあげるから、それまでちょっとだけ待っててね」
「本当でしゅか?」
「もちろん! お腹いっぱい食べさせてやるとも!」
「楽しみでしゅー! キュウ!」
キュウ。ごめんね。今度からはちゃんとコピペして増やせるように買いだめしておくからね。
お腹がいっぱいになると眠気に襲われた。
まだ八時を過ぎたところなのに。子どもかよ。
もうお風呂はいいかな。ずっと水に浸かっていたんだし。
無理して起きておく理由もないから寝ちゃおう。
「シモーネさん――」
シモーネさんはソファーのシートの上に仰向けになって寝ていた。
はやっ。
お腹いっぱいになって、すぐに寝たのか。
シンプルだなー。
お腹が空いたら食べて、眠たくなったら寝る。いいねー。
俺は「だる」とか言いながらベッドまで歩くと、キュウがついてきた。
「そういやキュウも寝るのか?」
「うーん? 分からないでしゅ。でも寝てみるでしゅ」
魔獣って寝ないのかな?
でも、ま。ベッドの上にいればいいだけだからね。
「よっし。キュウ。一緒に寝よう。ここにおいで」
「キュウ。よしつねと一緒に寝るでしゅ」
キュウを抱き枕のように抱えて、横むけに就寝。
なんだかんだで、結局、いい一日だったな……。
目覚ましがジリリン、ジリリンと鳴った。
「何事じゃー!」
シモーヌさんの大声と、バタバタと走る足音が近づいてくる。
ああ、ちょっと待ってください。説明しますから。あとちょっとだけ――。
「目を覚まさんか! バカ者が!」
バン。バン。
嘘でしょう。こんな風に、文字通り叩き起こされるなんて。
布団をめくって無防備な体に枝を叩きるけるなんて。
なんて非道な……。
寝ぼけまなこで目覚ましを止めて、とりあえず体を起こす。
そうだ。思い出した。寝る前に、万が一に備えて九時半に目覚ましをかけておいたんだった。
寝過ごしてチェックアウト時間を過ぎた途端に、ポンって道端に放り出されないために。
そう。チェックアウトは十時。だから十時になると、魔法が解けたみたいに、この豪華な部屋が消えて――。
「うわー!!」
ヤバい。ヤバい。目覚ましが鳴ったってことは、今、九時半じゃん! 早く支度しないと。
顔を洗って歯を磨いて、それからええと、服! うわっ。どこだ? どこに脱いだ?
本当にバカか俺は。どんどんだらしなくなってるぞ。
服はバスルームとリビングの間に脱ぎ散らかしていた。
身支度だけで十分かかっちゃった。
「飯はまだかー!」
そういやシモーヌさんて、お風呂に入ったり顔を洗ったりしてるのかな?
「おかしなことを考えておらんじゃろうのー?」
こっわ。どうして分かるんだ。
「はーい。今、行きまーす」
それでも食いしん坊のシモーネさんと早食いの俺は、十分もかからず朝のハンバーガーセットを完食した。
十一時までは頼めるところが少ないんだよね。
実験的に、アメニティの化粧水と、冷蔵庫のビールと、バスタオルを抱えたまま十時を待った。
秒針が十二を指した途端、生暖かい空気に包まれた。足元は土だ。馬車があったところに戻っている。
そして、抱えていたはずの戦利品はなかった。何も持って帰れなかった。残念!
「お主のそのスキルは何物にも変え難いのう」
やっぱり? そうでしょう? そうでしょう? 大賢者だったシモーヌさんにそこまで言わせちゃう?
俺も気に入ってるんだよね。大当たりだよね。
使い方次第では無敵な気がするんだけど、まだまだ環境を整えきれていないんだよねー。
結局、移動もこの馬車だし。
……はあ。それにしても、この現実とのギャップよ。なんだか夢から覚めた気分。
「うひゃ」
背中に回していた卵入れが、ガサガサと動いた気がした。
「キュウ? バッグに入ってんの?」
「キュウはここでしゅ」
キュウがごそごそ動いているのかと思ったら、馬車の荷台からぼとんと落ちて、ぽよん、ぽよん、と近づいてきた。
あれ? じゃあさっきのは何?
リュックと卵入れを肩から下ろすと、卵入れのバッグが膨らんだりへこんだりした。
「ええっ?! こっわ! 何? 何?」
そういえば、肌身離さず持てと言われていたのに、ちゃんと持っていたのは最初の方だけで、あとは割と放ったらかしにしちゃったな。
大丈夫――かな?
パリ。
え? いやいやいやいや。いくらなんでも早過ぎない?
パリン。
だから、温めてないってば!
パリパリ。パリン。
ひぇっ。
怖いもの見たさで卵を取り出すと、表面にいくつものヒビが入っていた。
あっと思った瞬間、殻の割れ目から鉤爪のようなものが飛び出してきた。
「うわーっ!!」
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