この世界での生活・後

 目を覚ますと全身が筋肉痛だった。多少運動には自信があったが、ただの文化部、それも幽霊部員だった俺には負荷が大きかったらしい。


 外はまだ少し暗い。昨日は帰ってから早々に寝てしまったからその分早く目が覚めたのだろう。


「それにしても昨日は色々あったなぁ」


 ふかふかの布団でぼんやりとしながら昨日と一昨日の出来事を思い出す。


 サーシャさんたちに出会えなければ、望海との合流も出来なかっただろう。それどころか、今頃冷たくなって地面に転がっているか魔物の腹で消化されていたに違いない。


 ゆっくりと起き上がって部屋を見回す。アンティーク調の家具が並び、清掃の行き届いた一室は高級ホテルと見まがうほどの居心地の良さだった。


 昨日のうちに用意してもらっていた服に着替えて、音を立てずに部屋を出る。ひんやりとした空気を吸って、徐々に意識が覚醒していく。


 外の空気を吸おうと外へ出てみると、庭にはすでに先客がいるようだった。その先客もこちらに気付いたようで、汗をぬぐいながらこちらを振り向く。


「あら。朝は早いのですね、アキラ。昨日はよく眠れましたか?」


 振り向いたのは炎華の獅子のリーダーでもあるサーシャさんだった。剣の鍛錬の途中だったようだ。


「おはようございます、サーシャさん。おかげさまでぐっすりと眠れました」


「それは良かった。うちの庭師は優秀なので、朝食の前に見て回ってみてはどうでしょう」


 確かに綺麗な庭だ。数十人集めてバーベキューでもできそうなほどに広い庭だが、彼女の言う通り素人目にもよく整備されている。しかし、今の興味は別にあった。


「ありがとうございます。ですが、良ければ鍛錬の様子を見ていてもいいでしょうか? あまり見られるものではないので……」


 試しにそんな申し出をしてみたところ、サーシャさんは「なにも珍しいものはないですよ」と言いながらも、快く鍛錬の様子を見せてくれた。


 恐らくそういう型があるのだろう。流れるような動作で剣を振り、いつのまにか最初の動きに戻ってそれを繰り返す。切れ目なく連続する動作は恐ろしいまでに洗練されていた。


 サーシャさんの一挙手一投足に見とれていると、彼女は動きを止めてこちらに振り向いた。


「アキラは天使を身に着けていますか?」


 唐突にそう言われて、手元のブレスレットに視線を落とす。常時身に着けているべしとマルコさんが言っていたため、昨日は寝るときすら着けっぱなしだった。


 サーシャさんに掲げてみせると、彼女は頷いて一枚の詩片サームを取り出した。


「魔法はまだ教えていないので少々早いですが、私にもあなたの魔法を見せてください。フーラやマルコ翁さえ対処に困ったというその威力、自分の目で確かめてみたいのです」


 渡されたのは、火の詩片のようだった。相変わらずそこに描かれた文様は何が書いてあるのか分からなかったが、その内容だけ分かるらしい。


「フーラさんに聞いたんですけど昨日の光の魔法、小さい光で軽い灯りになる程度の魔法なんですよね? それが、一瞬とはいえ太陽みたいになるなら火を出す魔法はもっとすごいことになるんじゃないですか?」


「ええ、その詩片は通常、火の玉を飛ばす程度の威力しか出ません。しかし、あなたの力が本当であれば、竜のブレスがごとき威力になるかもしれないですね。ですから発動するときは上空へ。万が一があってもこの周辺の土地は私たちのものですから、遠慮なさらずに」


 竜のブレスを見たことがあるのかとか、そんなものを市街地で撃ってもいいのかとか、色々なことを考えたが結局は押し切られてしまった。


「自分がこれからすることをイメージするのです。溢れ出す火を上空に撃ちだすというのを具体的に想像することで、詩片はそれに応えてくれるでしょう」


 サーシャさんには改めて距離を取ってもらって、詩片を天使に擦り付ける。


 詩片を頭上に掲げて、上空に向かう火柱をイメージする。できればどこにも拡散せず、迷惑のかからない範囲でまとまってくれたらなお良し。


【コード:ファイア=エクシード】


 例のノイズがかかったような音声と共に詩片から魔力がほとばしった。あまりの勢いに姿勢を崩しかけるが、何とか踏ん張って耐える。


 竜のブレスどころかアニメでよく見た極太のレーザービームのようなものが、上空に放たれている。見る人が見ればかめはめ波のようにも見えるかもしれない。


 我ながらすごい威力だが、この魔法はいつまで続くのだろうか。勢いの衰えないその威力に、思わず生唾を飲み込む。


 少しでも制御を間違えれば周囲が丸ごと焼け野原になってしまう。そんな考えが明の視界を狭めさせる。


 できることなら早く打ち切ってしまいたいが、炎の奔流は勢いが弱まるどころかますます激しさを増して天へと昇っていく。


「サーシャさん! これ、止まんないんですけどどうすれば!?」


 サーシャさんの表情にはまだ余裕があるのが救いだ。焦りでパニックになりかけたところをすんでのところで抑えることができた。


 彼女にも想定外の威力だったとしたら、だれがこれを制御できるというのか。


「大丈夫! 私がそれを預かります!」


「預かるってどうやって!?」


 サーシャさんはそれ以上言葉を返さず、行動で示すとでもいうように自身の天使である剣を抜く。そして、新たに取り出した詩片をその剣で切り裂いた。


「こうやって……です!」


 切られたとはいえ詩片と天使。問題なく魔法が発動し炎が剣に纏わりつく。そして、こちらの方へゆっくりと歩み寄ってきた彼女は、その剣を俺がたれ流す炎の奔流へ突き刺したのだ。


 その時初めて魔力の流れを明確にことができた。


 強い磁石に引っ張られるかのように、俺の詩片から出た炎の魔力はサーシャさんの方へと合流している。

 ほぼ同時に俺の持つ詩片の魔力が切れたようだ。炎の制御を預けた安堵から、思わず尻もちをつく。


「初めてでこれほどの威力とは……これを磨けばどれほどの……!」


 思わず感嘆の言葉をこぼしたサーシャだったが、その威力に驚きこそすれど余裕の笑みを絶対に崩さない。


 どれだけ強大な魔法であろうとも、彼女は炎の扱いに関して絶対的な自信があった。


 人々に『炎華姫』とも称される彼女は炎の奔流の形を徐々に変えていき、己のイメージとその形をすり合わせる。


 奔流の先端、サーシャと明のはるか上空ではすでにその変化は始まっていた。


 ――蕾だ。花の蕾が今まさに開こうとしているのだ。


「アキラ、魔法とは怖いだけのものじゃないのです。これだって……これほどまでに美しいのですから!」


 サーシャは満面の笑みで明を振り返る。


 ――大輪が、花開いた。


 半径二十メートルは下らない炎の大華が王都全体を見下ろしている。


 朝の仕込みをしている飲食店の店主も、散歩する老人も、ベッドから窓を眺める病人も、国を治める王も、異世界からの客人アキラとノゾミも、夜明けと共に皆がその光景を目に焼き付けた。


 魔力を使い果たした炎は、上空で音もなく燃え尽きる。時間にしてわずか三分にも満たない、終わってみれば短い出来事だった。


「完・全・燃・焼!」


 一仕事遣り終えたような表情のサーシャは乱れた髪の毛をかきあげて、尻もちをついて座り込んでる明に手を差し出す。


 あっけに取られたままその手を握り返した明は、一気に手を引かれてサーシャを見下ろす位置まで姿勢を戻した。


「あ、ありがとうございます」


 花になって消えた魔法の強烈さが目に焼き付いて離れなかった。いつまでも惚けている俺にサーシャさんは得意げに質問を投げてくる。


「魔法は怖い?」


 放心している最中だったからだろうか。あまり考えずとも素直な言葉が口からこぼれていく。


「正直、怖さはあります。俺が制御できなかったら、あの炎はいずれ町中に降り注いでいた。サーシャさんがいたからどうにかなっただけで、俺が不用意に今みたいなことをしていれば大勢の人間を危険にさらしていたと思います」


 だけど、この胸の高鳴りはそれだけが原因じゃない。


「それなのに、俺はもっと魔法を使ってみたいって思っちゃいました」


 自在に操れればあれほどのことができるという実例を先に見せられてしまった。


 何よりも先に――憧れがやって来たのだ。


「そっか」


 それがまさにサーシャさんの狙いだったようで、サーシャさんは歯を見せて破顔した。いたずらが成功した少女のような、無邪気な表情が朝焼けと重なってとても眩しい。


「うん、あなたはいい冒険者になれますよ。私たちも、全力で応援します」


 その物言いと満足そうな表情からするに、どうやら何かを試されていたらしい。強張っていた肩から力が抜けるのを感じる。


 よく見ればすっかり日は昇っていた。町の方からは喧騒が聞こえ始めている。


「そろそろ朝食も出来ている時間ですし、戻りましょうか」


「はい、改めてよろしくお願いします!」


 この後、正体不明の火柱を不審に思った衛兵が屋敷にやってきてサーシャさんがこっていり絞られたのはまた別の話。

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