第十八章 アルミナージュ・カタストロフ前編

 赤ら顔の兵士達が、酒臭い息を吐きながら笑い合っている。酔い潰れて、床に寝そべる者もいた。


 人類第二の都市アルミナージュのミスカラル砦にて、帝国軍部隊の兵士達は戦時中に不相応な喧噪と賑わいを見せていた。


 円卓の椅子に腰掛けるシヴァルの目の前、仲間四人が酒の入ったグラスを掲げる。


「乾杯!」


 声を合わせるや、五つのグラスが小気味よい音を奏でた。


 当時、シヴァルが指揮を務めたのは、男三人、女二人からなる少数精鋭の分隊であった。皆、同年代ということもあり、シヴァル自身も部下と言うよりは気の知れた友人のように接していた。


 魔術師ながら戦士のような体躯のステファンが、皿の肉に素手でがっつく。その様を見て、赤毛のケイトが陽気に笑う。冷静沈着なアステロは静かに酒を飲んでいた。


 ふと、シヴァルは隣にいるジェニファーが、酒や料理に手を出していないことに気付く。


「どうした? 浮かない顔して」


 日頃から内気な風魔法使いは今日、より一層、沈んで見えた。


「魔王が死んだって本当なのかな……」

「そりゃホントだろ! 大佐だって太鼓判を押してたし!」


 シヴァルが明るく言うも、ジェニファーの顔は冴えないままだった。ステファンが快活に笑う。


「心配性だな、ジェニファーは! シヴァルの言う通りだぞ!」

「確かな筋からの情報だ。魔王は死んだ――そのことに疑いはあるまい」


 アステロも続けてそう言った。アステロの言葉が響いたのか、ジェニファーは少し微笑むとようやくグラスに口を付けた。


 現在、各地で起きている戦勝ムードは、ひとえにその報せが帝国領全土に伝わったからである。すなわち『魔王死去』――長年に渡る帝国軍対魔王軍の戦争は、敵軍の総大将が自決したことで唐突な終わりを迎えた。


「けどさあ。何だか拍子抜けねえ」


 男勝りのケイトは、酒のせいで頬を赤くしながら言う。


「急に魔王が死んじゃって、ハイ終わり、なんだもの!」

「まぁ考え方次第だ。俺達が魔王軍をそこまで追い詰めたということなんだからな」


 ステファンの言う通り、帝国軍の攻勢が続いたせいで敵地では度々、内乱が起こっていた。噂によれば、魔王は自決したのではなく、幹部の謀反によって殺されたという説まであった。


 ケイトは未だに不満げな顔でグラスを一つ、空にする。


「私なんて最終決戦に向けて、とっておきの魔法だって用意してたのよ!」

「おっ、必殺技ってやつか!? 教えてくれよ!!」


 シヴァルもまた赤ら顔で話に乗った。ケイトは「ふふん」と笑いながら大きな胸の谷間から黒曜石の欠片のような物を取り出した。


「私の全魔力を封じ込めた魔石!」


「おおーっ!」とシヴァルとステファンが同時に声を上げる。


「それを使えば、全体攻撃魔法が発動するのか?」


 ステファンの言葉にケイトは笑って首を横に振った。


「残念だけど、そんな一発逆転みたいな魔法じゃないわ。これを使えばね、帝都に繋がる移動魔法が発動するのよ」


 シヴァルが期待していたような必殺技ではなかったが、それでも皆一様に感心の声を上げた。シヴァルの分隊にいるのは上級魔術師ばかり。人間の体を空間を超えて転移させる移動魔法が、どれほど困難か知っているからだ。


 シヴァルが目を輝かせながら言う。


「すげーな、ケイト! じゃあ、ピンチの時、俺らパーティは逃げられるってことか!」

「流石にそれは無理。移動できるのは一人だけ」


 そしてケイトはニヤッと笑う。


「帝都の私の部屋に繋がってるの! ピンチの時、私だけが逃げられるって訳!」


 一瞬の沈黙後、アステロが「フッ」と笑った。シヴァルは顔色を変えてケイトに叫ぶ。


「最低だな、お前! 普通、そういう魔法は隊長である俺に使うだろ!」

「バーカ! 誰がアンタなんかに!」


 ケイトが舌を出す。ステファンは腹を抱えて大笑いしていた。ジェニファーは真面目な顔でぽつりと呟く。


「私もシヴァル隊長より、ケイトが生き残った方が良いと思う……」

「お、お前らなあ! 俺を一体、何だと思って、」

「無駄な言い争いはよせ。結果、使わなくて良かったのだから」

「うん。アステロの言う通りね」


 ケイトは、そう言って穏やかに微笑む。


「ま、そうだよな」


 シヴァルもまた片方の口角を上げた。そして、空になった自分と仲間のグラスに酒を注ぎ、改めてグラスを高く掲げる。


「皆、今まで良く頑張ってくれたな。ありがとう」

「何よ。かしこまって」


 ケイトが笑う。ほんの少し寂しげに。戦争が終われば、シヴァルの分隊はその存続意義を失う。シヴァルのように軍に残る者もいれば、ジェニファーのように退役する予定の者もいる。今後は、皆で酒を酌み交わすのは難しくなるだろう。


 珍しく真剣な表情のシヴァルに、ケイトも笑うのを止めてグラスを掲げた。


「シヴァル隊長に、乾杯」


 ケイトが言った。こうして、兵士達の酒盛りは明け方まで続いた。





 その日。ミスカラルの砦は騒然としていた。魔王軍の参謀ルシエムが急遽、対話を申し出てきたことが兵士達に広まったからである。


 ルシエムとの接見には、砦に駐屯していた当時の帝国軍中佐があたることになっていた。ミスカラル砦の前門から少し離れた位置では、中佐と剣術部隊、魔術部隊が待機していた。戦闘でも始めるかのような物々しい雰囲気は、万が一を考えてのことである。


 シヴァルが率いる分隊もまた砦近辺にて様子を窺っていた。シヴァルに緊迫感はない。事ここに至って、敵が反撃してくるなど考えにくい。十中八九、降伏であろうと踏んでいた。


「……来たぞ」


 アステロがぽつりと言った。竜車が数台、平原をゆっくり走り、砦に向かってくる。小型の竜を操る御者台では魔族が鞭を打っていた。後方に一台だけ、やや豪奢な作りの竜車があり、シヴァルはそれに魔王軍参謀ルシエムが乗っているのだろうと推測した。


 やがて、竜車が砦の前で動きを止める。中からは黒装束に身を包んだ人型の魔族が数体、現れた。


「安心したわ。攻撃の意志はないようね」

「だな」


 ケイトの呟きにシヴァルも同意する。このような少数で、ミスカラルの砦を突破できる訳がない。ステファンが魔族に視線を留めたまま、言う。


「あれが魔王軍参謀ルシエムか」


 シヴァルもステファンが眺めている魔族に視線を移す。ダークエルフの系統だろうか。肌は浅黒く、長い金髪で背も高い。だが耳が突出して尖っていることを除けば、高貴な育ちの美形に思えた。


「魔王の右腕が此処に……」


 シヴァルはルシエムを睨む。つい先日までその首を狙っていた敵軍の大幹部である。ケイトも神妙な面持ちで言う。


「降伏だとしたら、軍は受理するかしら?」

「形の上は受け入れるだろうな。だが魔王が死んだ今、奴が最大の戦犯だ。良くて終身刑だろう」


 シヴァルの言葉に仲間達は黙って頷いた。ルシエムは、魔術部隊と剣術部隊の精鋭に囲まれている中佐の方へと近付いていく。


(しかし、予想が外れたな)


 シヴァルは一つ気になることがあった。先程、注視していた後列の豪奢な竜車からはルシエムは現れなかったのである。それどころか、誰一人その竜車からは出てこなかった。


 シヴァルの隣でジェニファーが不安げな声を出す。


「わ、私……やっぱり怖いよ……何か、企んでるんじゃ……?」


 仲間を励まそうと、シヴァルは明るい声で言う。


「ジェニファーはホント、心配性だな。仮にあっても、たいした策じゃないって。もし、そんな有効手段があれば、魔王が死ぬ前に使ってた筈だろ?」


 ジェニファーではなく、アステロとステファンが大きく頷いた。


「うむ。間違いない」

「それでも……胸騒ぎがするの……」


 ジェニファーが言う。既に魔王軍参謀ルシエムは歩を進め、中佐と向かい合っていた。


「降伏の意を示す為、これを持って参りました」


 女性のような高い声だった。ルシエムの言葉を聞いて中佐と周りの精鋭達は、僅かに相好を崩す。シヴァル達、待機している部隊の緊張も一気に解けた。ルシエムの口から『降伏』という言葉がはっきりと出たからである。


「聞いたか、ジェニファー! やっぱり降伏だってよ!」

「う、うん……」


 ジェニファーを安心させるためにシヴァルが言う。その間、ルシエムの部下は停めてあった竜車に向かう。シヴァルが、ルシエムが乗っていると勘違いした豪奢な竜車である。


 ルシエムの配下が四人がかりで竜車の荷台から引き出したのは、黒く大きな棺だった。


 丁寧に肩に担ぎながら、中佐の前まで運んでくる。巨大な黒き棺を立たせるようにして置くと、ルシエムが配下に合図する。軋むような音を立てながら、棺が開かれた。


(うっ……こ、これが!)


「魔王の死体か……!」


 シヴァルの隣で、ステファンが唸るような声を出した。その場にいる誰もが棺の中に釘付けになっていた。八フィートはあるだろうか。頭部に羊のような角があり、口元に牙も見える。それはミイラのように干からびており、生気は感じられなかった。だが、それでも……。


(邪気か?)


 遠巻きに見ているシヴァルだが、離れていても寒気を感じた。死んでいる筈の魔王の遺体から、黒いオーラが立ち上っているような錯覚を覚えたのである。


 中佐や周りの者達も、呪念の如き不気味な気配を感じたのだろう。遺体から目を逸らすようにして、中佐が声を張り上げた。


「魔王の死は確認した! この遺体をもって、我らは魔王軍の降伏を受け入れよう!」

「降伏……か……」


 魔王の遺体の背後に立っていたルシエムは、そう呟いた後、


「はは! ははははははは!」


 耐えきれなくなったかのように哄笑した。


「魔王様は確かに死んだ! だが、その魂は滅されてはおらぬ!」


 ルシエムが魔王の遺体に手を伸ばす。そして魔王の右手の人差し指と中指を掴むと、何の躊躇いもなく折り取った。乾いた低い音を立てて、折られた魔王の二本指。シヴァルの隣で、ジェニファーが息を呑むのが分かった。


(な、何だ? 何をしようとしている?)


 シヴァルの胸の鼓動が速くなる。シヴァルもジェニファー同様、言いようのない不安を感じ始めた。ルシエムが口角を上げる。


「震え上がるが良い、人間共。魔王様の遺体『魔神骸』から直接、肉体の断片を媒体にして生み出される脅威を目の当たりにして……」


 そう言ってルシエムは二本の指を自分の前に掲げた。中佐が声を荒らげる。


「き、貴様、抵抗するつもりか!? 降伏の意を示すと言ったではないか!!」

「言った。だが、降伏の意は人類――お前達が示すのだ。もっとも示したところで誰一人として生き残れはしまいがな」


 ルシエムが手の力を抜くと、黒く変色した魔王の指が地に落ちる。途端、二つの指は意志を持っているように互いに絡み合った。黒い粘液で絡む二本指の隙間から、もう一本の指が生える。それは瞬く間に膨張して新たな右手をかたどった。凄まじい速度で手首から腕の部分を形成するや、そこから更に胴体と頭部を生み出していく。


 全身がヘドロで形成されたような、それはゆっくりと立ち上がる。八フィートを超える、黒き流体の体躯。目鼻はない。大きく裂けた口から覗く乱杭歯と、手足の鋭利な爪が、暗闇で灯された松明たいまつのように怪しい光を放っている。


「うぎる……うぎるぎるぎるぎる!」


 魔王の遺体――その二本指から作られた、生物とも何とも形容しがたい漆黒の物体は、不気味な声で咆哮した。


 ルシエムが鋭い目を、たじろぐ帝国軍に向ける。


「これが魔王断片『ハザ=マ』だ」

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