第24話 マルコシウス、ゴザと和解する

 がた、ごと、という小さな音に滋ヶ崎が気づいたのは、夕飯を終えてマルコシウスの皿洗いを監視しているときだった。


「……?」


 マルコシウスも気づいたのか、スポンジと皿を持ったまま不安げに左右を見回した。どうやら家の外から聞こえてくるようだ。


「おい、お前見てこいよ」

「な、っ……ど、どうせネズミかなんかでしょう? この私が見に行くまでもありませんね」


 皿洗いをすませ、水切りラックにすべて食器を干したマルコシウスに命じるが、嫌そうに顔をしかめながら手を拭いているだけだ。


「うるせえ、口答えすんならぶち犯すぞ」

「哀れですね、性行為しか頭にない低俗な生き物というやつは」

「それはお前のことだろ」


 尻を鷲掴みにすると、「あう」とマルコシウスが声を上げた。抗議するような、期待するような流し目を送ってくる。


(犯されたいのか……)


 とはいえここでマルコシウスに挿入したところで謎の音の正体は分からない。スリッパをつっかけて台所の勝手口から出ると、音の発信源を探す。なぜかマルコシウスもついてきた。

 家の角を回ると、音とともに車庫の車が揺れていた。


「……あー」


 そういえば、と一度家の中に戻り、鍵を持って引き返す。バンの後ろを開けると、案の定中で縛られたゴザが跳ねていた。


「おいお前〜、どうにかしろよこれ」

「そう言われましてもね……」


 車の中に上がり、暴れるゴザを外に出す。散乱した工具類を元の場所に戻して振り向くと、ゴザを抱えたマルコシウスがよろよろしている。


「魔力込めたのお前だろ? 逆に魔力抜いたり自分の言うこと聞かせたりできねえのかよ」

「さあ……?」

「使えねえなー。じゃこれどう処理すりゃいいんだよ。腐って土になるの待てばいいのか?」


 滋ヶ崎としては火でもつけて燃やしてしまいたいのだが、火がついたまま飛んでいかれたらと想像するに怖すぎる。では小さくするのはどうか、と昼間ゴザの端を切り落としもしたが、小さな欠片もむにむにと動いて飛んでいってしまったので解決にはならなそうだった。

 む、と明らかにマルコシウスは気分を害した顔をした。


「なんですか、無理に人に魔法を使わせたりするからそうなるんですよ」

「お前が自分で『できらぁ!』って言ったんだろが」

「い……言ってません」

「はあ?」

「言ってませんもん……滋ヶ崎が無理やりさせてきたんですもん……私は嫌でしたもん……」

「…………」


 子供か。ムカつくがこれ以上は水掛け論にしかならない。ゴザの陰に隠れるマルコシウスにため息をつき、車のカギをかける。

 マルコシウスは勝手口の前に巻きゴザを置き、その横にしゃがみこんだ。暴れる巻物を、猫かなにかのようにゆっくりと撫でる。


「いいですか、『平たい草』、あなたは確かに草なんかで作られていてみすぼらしいことこの上ありませんがだからといってそれを恥じることはありません、出自というものは変えられませんから。問題はそれを踏まえて『どうするか』というところにあるのです、幸いにしてあなたは敷物という形相を得たばかりでなく空を飛ぶ能力まで手に入れました。それを正しく善き目的で使い自らを高めること、それこそがあなたの使命と言えるのではないでしょうか」

(ゴザに喧嘩売ってんのかな?)


 平たい草だと認識していたのか。マルコシウスにだけは説教されたくないな、と滋ヶ崎が眺めていると、むにゃむにゃとゴザが大人しくなってくる。


「……嫌、と。まあそうですよね、私がそう思ってしまったからあなたもそうなってしまったんですよね……ええそうです、その点については私の力不足です……しかしだからこそ、平たい草の力を貸してほしいのです……」

(……何なんだろう、この状況……)


 月明かりの下、ダボダボのパジャマにつっかけで巻きゴザを撫でながら話しかける首輪付きの金髪、とそれを見守る部屋着の自分。端から見たら酔っ払いか異常者でしかない。寒いし早く部屋に戻りたい、と滋ヶ崎が天を仰いでいると、マルコシウスがゴザに巻かれていた麻紐を取った。


「乗せてくれるそうです」

「え? あっそ、よかったな」


 広げられたゴザの上に座りこんだマルコシウスが滋ヶ崎を見上げる。


「え、今? 今乗るの?」

「和解の印です」

「うえぇ……寒いし、今じゃなくてもいいだろ……」


 文句を言いながらマルコシウスの隣で胡座をかくと、ふわりとゴザが浮き上がった。薄くてひらひらしているせいでなんとも頼りない。


「うっわ」


 寒いし安定性に欠けるせいで体中に変な力が入る。乗り心地最悪だな、と思ったが口に出して振り落とされては敵わないので黙っておくことにする。ただその気持ちはマルコシウスも同じなのか、ジリジリと滋ヶ崎ににじり寄ってきていた。

 ゆらゆらと蛇行しながらゴザは雨底村を見渡せる高さまで上る。


「おお……?」


 ついに滋ヶ崎にひっつき、パーカーをしっかと掴んだマルコシウスが、首だけを伸ばしてゴザの外を見下ろした。

 ぽろぽろとまばらに散らばる民家の明かり、黒々としたブロッコリーのような林。その中心に聳える山の上には祝が住んでいるはずだ。


「滋ヶ崎、あれはなんですか?」


 マルコシウスの視線を追うと、村を突っ切る幹線道路の先に、一際輝く光の塊が見えた。


「あれ? あれは……隣の村だよ」


 正確には村ではなく市だし隣でもないのだが、説明が面倒なのでそう教える。


「首都……なんですか?」

「え? いや……そこそこ大きめの村、くらいかな」


 ぽかんとした顔のまま、マルコシウスが滋ヶ崎を振り向いた。


「なんと……」


 そのまま黙り込んでしまったマルコシウスを滋ヶ崎は鼻で笑った。


「どうせお前、この村の外は一面の森かなんかだと思ってたんだろ。テメエが考えてるよりこの世は広いんだよ、悪かったね」

「なっ」


 図星だったのか、マルコシウスが悔しそうな顔になる。それに呼応したのかぐにゃりとゴザがたわみ、一気に数メートルほど墜落する。


「わ、おいっ!」

「ひゃあっ」


 ぎゅうとマルコシウスが抱きついてくる。


「お、落ち着けよ……な?」


 ぽふぽふと背中を叩いていると、徐々にゴザが静かになってくる。このゴザとマルコシウスがどうリンクしているのか滋ヶ崎にはわからなかったが、とりあえずここにいる間はあまりマルコシウスに感情の起伏を生じさせないほうが良さそうだった。

 ゆるゆると村の上を一周し、それから2人はまた家の裏庭へと降り立つ。マルコシウスが手をかざすと、くるくると丸まったゴザは勝手口の扉の横に自ら寄りかかって静かになった。やれやれ、とパーカーの前ポケットから手を出した滋ヶ崎は、鍵をかけていなかった勝手口の扉を開ける。


「……おい?」


 振り向くと、後ろでマルコシウスが上弦というには若干中途半端に太い月を見上げていた。


「月……1つなんですね」

「ああ。お前んとこ2つあったのか?」

「ええ、まあ」


 そう言いながら肩を丸め、マルコシウスは自分の体を抱きしめた。


「本当に、ここは……私の知らない、ところなんですね」

「まあな」


 勝手口を閉めた滋ヶ崎は、その金髪のすぐ後ろに立った。背後から手を回し、震えるマルコシウスを包み込むように抱擁する。

 そして、秋の虫がうるさいばかりに鳴きわめいていることに、今更ながら気づいたのだった。

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