風化した煌めき

 マウンテンバイクを押しながら、キリストと並んで歩く。アスファルトは昨日の熱をまだ帯びている。どんよりとした空に横たわる雲は、次第に数を増やしているようにも見えた。それでも暑いことに変わりはない。キリストの履いたサンダルが道に乾いた音を鳴らすのを聞きながら、ダイキは額に垂れてくる汗を頻りに拭う。


 道中、二言三言のやりとりをするも、どれもすぐに切り上げる。なにせ、キリストの話には理解力が求められる。まともに相手をしていては、疲れて熱中症になってしまう。


 数分歩いて、二人はアーケード商店街に来た。一本道の上に弧状の屋根が伸び、その下で雑多な店が軒を連ねている。今ではすっかり寂れているが、色褪せた看板や、店の正面に倒れている客引き用のアンドロイドたちが在りし日々を物語っている。


「ここの一角に聖遺物が眠っている」


 そう言ってキリストが先行する。商店街の一本道を通るぬるい風に身を揉まれつつ、ダイキはそのうしろを追う。何軒か店を過ぎ、散乱するアンドロイドの身体部品を跨いだところで、キリストは歩を止めた。ダイキはマウンテンバイクを店先に寄りかからせる。


「これがゲームセンター?」

「ああ、一世紀以上前から存在する聖域だ」


 老舗というやつか、とダイキは独り合点する。この商店街は何度か前を通った程度で、中を散策するのは今日が初めてだった。肝心のゲームセンターの外観は、なんとも古めかしい。どちらかといえば理髪店や古着屋に近い様相だ。

 キリストは、体の前で十字を切ってから中に踏み込む。その背中についていくと、新鮮な光景が眼前に広がった。伝聞でしか知らなかった世界がそこにある。UFOキャッチャーに車のレースゲーム、シューティングゲーム。バスケットボールのスローイン。


「すごいだろう、古くて新しい設備は」


 目を輝かせるダイキに、キリストが小さく笑む。年配のキリストからすれば、慣れ親しんだ光景なのだろう。お気に入りの場所を紹介するような口振りだ。ダイキは一つ肯き、中を見て回ることにした。ゲーム機はどれも著しく破損していたが、当時の空気を内包している。足元には様々な種類の硬貨がうずたかく積まれていた。


 訊けば、文明崩壊の直後は現金を求めて、大勢の人が金のある場所に押しかけたらしい。強盗は日常茶飯事。だが、あるときを境に強盗の目的は食糧に変わった。金でのやり取りは意味を為さなくなったためだ。紙幣は紙切れに、電子通貨はただの電子上の数字に。


 このゲームセンターは、その転換期を目の当たりにしたのだ。両替機は半壊の状態で放置され、ゲーム機の硬貨投入口や電子通貨の読み取り機は取り外されている。中身には手をつけられずに。ゲームセンターに心があれば泣いている、とダイキは思った。


 キリストが硬貨の選別をしている間、ダイキは車のレースゲームの座席に座って待つ。適当にペダルを踏んでハンドルを左右に切るが、レース風景を映すはずの画面は真っ暗。


「キリストはこの店の常連だった?」


 暇潰しに訊ねる。


「よく巡礼したものだ。懐かしい」


 そう言いながら、床に散らばる硬貨をめつすがめつする。ダイキは、その擦れ合う音に耳を傾けながら宙を睨む。旧文明の遺物。人魚たちが既存の価値観を覆した。


「ところで話は変わるけど、人魚をどう思う?」

「また唐突な。ユダの裏切りを想起させるほどだ」


 そうだな、とキリストは硬貨を手で掻き混ぜる。


「有り様は千差万別。人種に肌の色、思想。人魚も然りさ」

「俺たちの延長線上にある生き物だって意味か」

「そうとも。尤も、人魚たちは高い適応力を有している」


 その例に空気からのエネルギー摂取や二足歩行、文化の模倣などを挙げる。そのキリストの言い分に、ダイキは広い意味では同意を示した。人魚が人間を捕食することを除いて。


「仮に人魚に食われそうになったら、どうする?」

「それも運命。次の受肉の機会を待つ他なし」

「達観してるな。長生きしてるからかな」


 その言葉に、キリストは深く皺の刻まれた顔を綻ばせる。


「さもありなん。我らは紀元前からの仲だろう」


 硬貨を懐に入れたキリストとともに、ゲームセンターを出る。時刻はわからなかったが、昼は過ぎているかに思えた。商店街の屋根から覗く雲は一層、厚みを増している。


「そういえば、どうして硬貨を集めてるんだ」

「人間であるためだよ」


 その一言にすべてが収斂しゅうれんされているようでもあり、特に意味がないようにも捉えられた。言及するだけ野暮というものだ。ダイキは、商店街の入り口でキリストと別れた。

 マウンテンバイクで適当に流しながら、表通りを進む。朝食は携帯食だけで済ませたのに、腹の虫は鳴らない。むしろ満腹感が持続している。

 一欠片で三日分のエネルギーを確保できる携帯食。量産化が進めば、生き残った人間全員がその恩恵を享受できるのではないか。ダイキはそんな理想を一笑に付した。


 しばらく走って住宅街を抜け、幅の狭い舗装路に出る。ここにも白骨遺体を乗せた車や、乗り捨てられたものが点在している。産業道路に比べれば寂しいものだ。ダイキは不規則に並ぶ車の間をすり抜け、太いタイヤで雑草を踏んでいく。その折、急ブレーキをかける。

 前方にある車の一つに寄りかかる、人が目に入ったのだ。上下ジャージ姿に上品な色合いの長髪。そのうしろ姿に既視感を覚え、ダイキは思わず声をかけた。


「クインテット、なにやってんだ」

「うわ、びっくりした!」


 常に思念を読んでいるというわけでもないのだろう。クインテットは大袈裟に声を上げ、こちらを振り向いた。


「なんだ君か、会うのは三回目だね」

「で、車になにやってんだ」


 ダイキの質問には答えず、クインテットは「先にこれ」と自らの足を指す。言われるままに視線を寄越すと、いつもの素足は派手な蛍光色のスニーカーに収まっていた。


「エアマックス2095。恰好いいでしょ」

「靴屋から盗ってきたんだろ」


 自慢げな「似合う?」という高い声に「普通」と低い声で返し、ダイキはクインテットがもたれかかっている車を顎でしゃくる。車体に苔の生えた、腐食の進んだセダンを。


「次は車を盗もうと企んでたわけか」

「その通り」


 悪びれる様子もなく、クインテットは言葉をつなげる。


「これ、日本のガソリン車でさ。鍵でエンジンをかける古い型なんだよね。ガソリンとバッテリーを積んだから、あとはエンジンが動くのを祈るだけ。どう、乗ってみない?」

「運転したことは」

「愚問だね」


 不安しか湧かない。もしも車が動いたとしても、どこかに激突して、二人揃ってフロントから飛び出す未来が容易に想像できる。そんなダイキの憂慮に構うことなく、クインテットは運転準備を進める。すでに運転席から白骨遺体を降ろし、代わりにハンドルを握っていた。ダイキはマウンテンバイクをトランクに押し込んで、興味本位で助手席に滑り込む。


「本当はマニュアル車に乗ってみたかったけど」

「もう絶滅危惧種だろ」


 クインテットは「だよね」と少し舌を出して笑う。

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