第24話 下山

 雨がパラパラと雨具を叩く音を聞きながら、四人はかなりゆっくりとしたペースで山を下りていく。


 途中で山菜取りのおばさんたちに追い越され、佐久を見て気遣ってくれた。


 行きと違って会話はなく、写真を撮る余裕もなかった。


 峻はただ背中と腕にかかる重みを感じながら、一歩一歩山道を降りていく。


 何度かの休憩の後、峻に背負い直された佐久がぽつりとつぶやいた。


「……いつもこう」


「……小学生の遠足の時も、こうだった。途中で発作を起こして、私が倒れて。それで大騒ぎになって、遠足が中止になった」


「……私へのいじめがひどくなったのは、それからだった。同情してくれる子も少しはいたけど、ほとんどが私の敵だった。陰口を言われたり、無視されたり、体操服を隠されたり」


「……いじめで自殺する子からすれば、何でもないことかもしれないけど」


「……病気が悪化して二年くらい入院して、久しぶりに学校に来たらぱったり止まっ

てたけど。あれだけひどいことしたのに、私のことなんか、忘れてたみたい」


「……誰かとどこかに行くと、必ず私が迷惑かける。あなたも怒らせた。私なんて、いないほうが良い」


 峻は聞いていられなかった。自分の過ちをすべて自分の責任にして、何度も何度も自分を責めて、自分を傷つけることだけが贖罪だと思う。


 転校続きでよくいじめられた、昔の自分を見ているようだ。空き教室で話した時、佐久と自分は似ているとは思ったがこんなところまで似ているなんて。


 望月も小梅からも、言葉が返ってこなかった。


 だが峻は、今度はあいまいな言葉で濁さない。


「まあさっきは強く言ったけど、そんなに気にしないでいいよ。山じゃ助け合わないと」


「……」


「困ったときはお互いさま、だしね」


「……慰めなんていらない」


 どうすれば、彼女を楽にできるのだろう。峻はあえて自分の過去の一つをえぐりだす。


「僕だって小さなころ怪我して、父さんにこうしておぶってもらったことはある。周囲の子供たちまでが山頂に笑顔で歩いていくのを見ながら下山するのはほんと、辛かった」


「予約してた山小屋もキャンセルしちゃったし、楽しみにしてた山だからさすがに父さんもがっかりしてた」


 直前での宿泊施設のキャンセル料は結構バカにならない。一日のバイト代が飛んで行ってしまうレベルだ。


「……山に行くの、やめようとか思わなかったの?」


 佐久の興味を引けたことを感じ、峻は言葉を続ける。


「一時期はやめようって、思ったよ。でもしばらく行かないと、なんだか無性に行きたくなって。特に写真を見返すと、また行きたいなって気持ちがどんどん湧いてくる

んだ」


「でもまた怪我するのは怖くて。それで、応急処置の方法を父さんに聞いたり、色々調べて練習したんだ」


「……そう、なんだ」


 背中の佐久がずり落ちそうになり、峻は腕に力を入れて彼女を抱え直す。高一にしては軽い体が大きく縦に揺れた。


「……怖い」


首に回された彼女の腕の力が、強くなる。今の自分は少女と密着しているのだということを嫌が応にも意識させられた。


同時に峻の中に、今までの佐久との出会いがよみがえってくる。


はじめて出会った時、日本人形のような黒髪と宝石のような瞳に目を奪われて。

場になじめない振る舞いが昔の自分と似ていて、気になって。


空き教室に呼ばれていきなり山につれていってと誘われて、とまどって。


自分がやらかしても引かないでくれた時、はじめて彼女に惹かれ、気になる女子になった。


それから霧去山に三人で行って、彼女と写真を撮った。自分が好きなものに同じように興味を持ってくれる異性は、初めてだった。


この四賀山では一緒に山菜採りをして。彼女の手作りの卵焼きを食べた時、胸の高鳴りが収まらなかった。あけすけな感想は彼女を怒らせなかっただろうか。


 でも、最後で彼女に怪我をさせてしまった。下りはケガをしやすいのは基本なのに。


そのうえ、怒らせてしまった。でも彼女は自分の背中から離れようとしない。

思っていたよりずっと軽い体重で、わずかな膨らみを感じる胸をぴったりと峻につけて、背中に腕を回している。


足を踏み出す度に、彼女の吐息が耳をくすぐる。


彼女の太ももを抱きかかえる腕に、思わず力がこもった。


 こんな状況の時に思うことではないかもしれないけど、離れたくない。


そこまで考えると、堰を切ったかのように背中の少女への想いが溢れだした。想う気持ちは止められないとは言うけれど。


好きになったら、止まらなくなる。これが気になると好きの違いなのか。


でも、こんな怪我をさせてしまった。もう一緒に行けなくなるかも。そう思うと、胸が刃物で切られたかのように痛い。


 やがて山道を抜け、舗装された道路に入ると木造の駅舎が見えてきた。峻の腕はすでに棒を通り越し、痺れが来ているが平然とした顔を作る。


「いったん、休もうか」


 一度改札口前のベンチに佐久を座らせ、雨でぬれた体を拭いていく。


 駅舎から突き出たような屋根の下には他にも同じように雨宿りをしている観光客や登山客の姿が見える。


 雨具のお陰かびしょぬれになることは避けられたが、小梅や望月は小さくくしゃみをする。百均の雨具では雨を防ぐことが精いっぱいで、濡れると重くなるうえに冷たさが肌にしみこんでいく。


 一方佐久のレインウエアは雨を弾き、表面を拭っただけですでに乾き始める。雨を弾く「撥水性」と内側の湿気や汗を外に逃がす「透湿性」という機能のお陰だ。


 登山用品は値は張るが値段以上の価値はある。


「……ここまでありがとう。それに、大丈夫?」


 峻を見上げる佐久の声は、幾分か落ち着いていた。


「全然、なんでもないよ」


 佐久の声に、震える腕で雨を拭っていた峻はそう言ってしまう。弱いところを見せたくなかった。


 佐久は額に張り付いた黒髪をかき上げながら呟いた。


「……ケガしちゃったけど、山菜取りは面白かったし。みんなで食べたご飯も美味しかった。またみんなで一緒に行きたい」


 その言葉に峻の胸に引っかかっていたつかえがすとんと落ちる。


「写真、撮ろっか。四人一緒に」


 重たくなったレインコートを脱いでリュックに詰めようとしていた望月がそう提案する。


 峻がリュックの中が濡れないようにと大きめのスーパーのビニール袋を貸した。


 小梅が電車を待っていた観光客の一人に声をかけ、スマホを手渡す。


 峻、佐久、望月、小梅の順でベンチに座った一葉の写真が各人のフォルダに残った。

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