第22話 執事グレイブ、公爵邸に侵入者あり

 アレックスとレティーシャが街歩きをした次の日から、レティーシャは時間のあるときは厨房で料理を学ぶようになった。


 読書か庭の散策くらいしか趣味らしい趣味がないレティーシャの新たな趣味に使用人は全面協力した。

 ソフィアはエプロンをいくつか作り、料理長その一のカシムは小ぶりの調理器具をいくつか新調し、元庭師で料理長その二のガロンは食材の厳選に抜かりがない。


(あのお出かけで旦那様たちの仲も進展できれば良かったのですが)


 アレックスとレティーシャは食堂ではなくサンルームで朝食を摂る。

 世間話が苦手な二人でも天気の話からから始められるし(リイ案)、テーブルが小さいので親密な雰囲気にもなりやすい(ロシェット案)


「アレックス様、今日は屋敷でお仕事ですか?」

「ん? 今日は騎士団……っ!?」


 グレイブは最近常備している小指の爪先程度の石礫をアレックスに飛ばしてその言葉を止める。


(旦那様は仕事においては先を読める優秀な方ですが、男としてはポンコツですね)


 グレイブとしては、「レティーシャ様はあのラシャータではない!」と声を大にして言いたい。

 いろいろ遠慮してしまうので、遠回しな表現からレティーシャの望みを察することが大切なのである。


「騎士団にはいかず、屋敷にいらっしゃいますよね?」


 グレイブは圧強めの笑みをアレックスに向ける。


「あ、ああ。屋敷で、仕事をする」

「では昼食は私がお作りしてもよろしいですか? 昨日ローストビーフが上手に焼けたので、それでサンドイッチを作れば美味しいと思うのです」


 レティーシャの提案にアレックスは「喜んで」と、言葉通り嬉しそうに頷く。

 グレイブは自分のファインプレーを自分で褒め称えた。



 今日の昼食はレティーシャの手作り。

 アレックスは機嫌よく書類を捌くが、ちょいちょい上の空になる。


「レティーシャのエプロンはどんなものだろうか。カシムは見ているんだよな」

「カシムは料理の先生ですしね」


 グレイブはアレックスの両肩に手を置き、アレックスが立ち上がろうとするのを押し留める。


「どこに? 何を?」

「厨房に、レティーシャのエプロン姿を見に」

「やめたほうがいいですよ、旦那様のようなでかい方は調理の邪魔になります」


 アレックスの厨房突撃は防いだものの、紙の端にぐるぐると円を描いたり窓の外を見たり、仕事にならないと判断したグレイブはアレックスをお使いにいかせることにした。


「商会に行って食材を注文してきてください」

「公爵をお使いにいかせるか、普通? まあ、いいか」


 グレイブは侍従に指示しようと持っていた注文リストをアレックスに渡す。


「かなりの量だな。どうしてこんなに追加が必要なんだ? ダメにしたのか?」

「このあとケヴィン様がいらっしゃるからです」


「来月だろう?」

「先ほど鳩がお手紙を持ってきて、『もうすぐ着いちゃいそう♡』だそうです」


「計画的な抜き打ちだな。この前のレティーシャのデートについて何か耳に挟んだのか」

「恐らく」


「嫌な予感がする」

「同感です」



 ***



 嫌な予感こそよく当たる。

 お使いから帰ってきたアレックスをグレイブが出迎えていたとき邸内に不法侵入者がいることを知らせる警報が鳴り響く。


「厨房か!」

「厨房には奥様がいらっしゃいます!」


 舌打ちして走り出したアレックスの後を、グレイブは愛用のメイスを持って懸命に追う。

 徐々に開くアレックスとの距離に、年はとりたくないものだとグレイブは思った。


「奥様!」


 厨房に駆け込むと、レティーシャとその前でレティーシャを守るように立つカシム。

 カシムの手には防御壁を発生させる魔道具が握られていて、よく見ればレティーシャの体は防御壁に包まれていた。


 レティーシャの口がパクパク動いているが、その声は聞こえない。

 風魔法を使った遮音だとグレイブは察した。


「なぜ遮音の付与を?」

「愚か者の罵詈雑言を彼女に聞かせたくなかったから」


 先手を打った対策。

 仕事はよくできるとグレイブは思った。


「それにしても……侵入者はケヴィン様でしたか」


 髪と目の色は違うが、ロシェットに捕縛されているのはアレックスの実弟ケヴィンだった。


 ケヴィンの口から「うー」とか「むー」としか聞こえないのは、その口にジャストフィットの林檎が詰め込まれているからだ。


「ケヴィン、林檎はとってやるが彼女については一言もなしだ。誰だも、どうしたも、一切駄目だ」


 アレックスから醸し出る冷たい威圧にケヴィンは顔を青くして、コクコクと首を縦に振る。


 アレックスが林檎を抜くと同時にケヴィンの拘束もとかれる。


「ケヴィン、どうして勝手口からコソコソと帰ってきた?」

「腹が減ったから帰宅の挨拶の前にカシムから何かもらおうと思って」


(なるほど)


 正面玄関から入ればケヴィンに挨拶する者たちが次々と現れ、なにか食べられるようになるまで時間がかかる。

 それなら忍び込んで先に何か食べようとするのはケヴィンらしい。


「この皿のものを食べたのか?」

「兄貴の分だったのか……悪い、食っちまった」


「二つなかったか?」

「あったけど、あのお……彼女が持ってる」


 レティーシャを見ると、確かに両手でサンドイッチののった皿を持っていた。


「状況と、俺がお前に怒っていいことだけは分かった。ロシェット、ケヴィンを第三応接室に連れて行ってくれ」


 第三応接室という言葉にケヴィンは僅かに眉をしかめる。

 執務室より完全防音の応接室を使うとほど大事な話が、この場でグレイブたちに守られているレティーシャだと分かったのだろう。


(その前に)


 グレイブは布巾をケヴィンに投げつける。


「グレイブまで……なんなんだよ」

「お口のソースをお拭きください、お行儀が悪いですよ」


 レティーシャお手製サンドイッチをケヴィンに食べられてしまったアレックスは機嫌が悪い。

 痕跡が残っていては未練がましくアレックスの怒りは治まらないとグレイブは思った。



 ケヴィンが連行されると、アレックスはレティーシャを包んでいた保護壁を解除した。


「驚かせてすまなかったな」

「守ってくださってありがとうございます」


 確かにレティーシャは戸惑いはあったようだが、防御壁の中で口をパクパクさせる程度で落ち着いていた。

 レティーシャの胆力はグレイブが思う以上に強いらしいと思っていると、レティーシャは厨房を見渡しているカシムに笑顔を向けた。


「カシム、守ってくれてありがとうございます。でも貴方は料理人でしょう、あまり無理をしてはいけませんよ?」


 気をつけると言いながら、レティーシャから見えないように得物を消したウィンスロープ家のお庭番の棟梁であるカシムにグレイブは呆れた。


「アレックス様、ご心配おかけしました」

「いや、いつだって不安になったら騒いでくれ。何事もなければただ笑い話ですむのだからな、不安は不安のままにしないこと」


 アレックスの言葉にレティーシャが驚いたような顔をして、厨房の片づけを命じるアレックスの横顔をぽうっと熱のこもる目で見ていることに傍で見ていたグレイブは気づいた。


(おやおや、これは……)


 ニマニマと緩みそうな口をグレイブが叱咤していると、レティーシャの目線に気づいたアレックスが首を傾げる。


「防御壁の中は暑かったか?」

 

 改良の余地ありだなと呟くアレックスに、「ポンコツだな」とグレイブは呟いた。

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