第2話
-3ヶ月後
五月__梅雨が近づく足音が段々と聞こえるようになった頃。あまりにも季節に似合わない大雪の日。町内で唯一のコンビニに君は駆け込んできた。
「これっ、お願いします……!」
コトッ、と目の前に傘が置かれる。お釣りもなくピッタリの金額を置いていった君は、いそいそと買ったばかりの傘を左手に店を出て行った。
「ありがとうございましたー」
君と初めて出会った記憶はその程度だった。
それから月が変わって三日後だったか、四日後だったか。君はこの町に引っ越してきた転校生として学校にやってきた。なんともまあ中途半端な時期に越してきたな、というのが君に初めて抱いた印象だった。
『__蛍』と黒板に書かれた名前を見た僕は、夏みたいな名前だな、という印象を第二に抱いた。
「あまつみかほたるです。名字がとても難しいので
君は多分そう言ったのだと思う。正直、今でも君の苗字が書ける自信は無い。でもだからといって今更、練習にする気にもならないけど。
席は遠かった。今でもよく覚えているのは、長い髪を後ろで一つに結んだ君の後ろ姿。授業中によく眺めていると、偶に君が視線に気づいて微笑むのが嬉しかった。我ながら気持ち悪いとは思う。それでも君のことを目で追ってしまうのは、人並みに感情を持っていたせいだったのだろうか。
初めて君と話したのは夕日が酷く眩しい日だったのを覚えている。自習を終わりにして家に帰ろうとした時、ふいに後ろからトントン、と白く綺麗な指が肩を叩いた。振り返れば微笑む君がいた。ただ微笑んでいるだけなのに、僕には夕日と同じくらい眩しく見えた気がした。
「
僕は彼女をしっかりと見ながら言葉を返した。
「自習だよ。家に帰ってもあんまできないし」
そうなんだー、と君の口が動く。光の差す廊下を無言で歩く。曲がり角に差し掛かったと途端に君は突然トンッ、と飛んで僕に身体を向けて立ち止まった。何かを見抜いたような目で見つめられ、僕は自然と身構えた。
「君、隠し事してるよね。それも私だけじゃない」
「別に隠しているわけじゃないんだけど……」
そう言った自分の声がどんな風だったかはわからない。多分気づいたのは、いや、自らこの事を話そうと思えたのは君が初めてだった。
「そうだよ。僕は生まれつき耳が聞こえない。他の人と話さないんじゃなくて、話せないんだ」
「でも、君は今私と話している。それは何故?」
「読唇術、って言えばわかるかな? 別に珍しくないよ」
これで会話は終わると思っていた。普通の人ならこれ以上踏み込んでこないはずだと思っていた。
「君がそれを使えるのは君の視線を見ていれば誰でも気づくよ。私が聞きたいのはなんで私とは話してくれるのかってこと。君がクラスで喋るのをこの二週間で見たことがないよ」
何でそんなことまで、という言葉は出なかった。僕が君を見ていたように、君も僕を見ていたという事実に頬の筋肉が緩みそうになる。君に何か言いたくても頭の中で言葉がまとまらない。ぐるぐるぐるぐると回っている。
けれど、僕は自分に素直になることにした。
「君が、好きだから」
そんな言葉が自然と零れた。君の顔は逆光でよく見えなかった。
「ふふっ、おかしな人」
「ごめん。忘れて」
僕はあまりの恥ずかしさに顔を逸らした。これでは彼女が何を言っているのか見ることができない。どうしようもなくなって窓の外に目をやる。ついさっきまで廊下を照らしていた夕日はもう少しで月明りに変わりそうだった。時間が経つのは早いな、と考えていると、ふいに手を握られた。僕が驚いて彼女の顔を見ると、彼女は再びふふっと笑った。
「どうしたのよ。そんなに驚いて。恋人は手をつなぐものじゃないの?」
「……君はなんなんだ」
「そうねぇ……君にとっての神さま、かな?」
おかしな人だ、そう口から零れかけた言葉は何故かすぐに引っ込んだ。君なら本当に、そう思ってしまった。
夕日はもう、月明かりに変わっていた。
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