第9話 ドーナツ

 台所で、ドーナツを揚げている。

 態々わざわざ、隣まで来て、坂木さかき君が鍋の中身を確認する。

「一人息子に春が来そうでドーナツ揚げちゃうなんて、母を通り越して、もはやおばあちゃんみたいだよ」

 むっ。失礼なことを言う。

「いいの。ミコトは、小麦粉とか、牛乳とか、砂糖とか、そんなもので手作ったおやつが好きなんだから」

「まあねえ…。米軍基地から買ってきた青いケーキにはショックを受けていたものねえ…」

 確か、航空祭のお土産である。

「うん。それは、僕も、手作りドーナツのほうが好ましいかな…」

「はい、私も」

 坂木君が、小さく挙手する。

 坂木君は、ダイニングテーブルの席に着いた。

石矢いしや君さあ。昼日中から、ドーナツなど揚げていていいの」

 月岡つきおか学園での医師としての話であろう。

「ああ、うん…。別に、今すぐどうこうという子はいないから。携帯は常備しているから大丈夫…」

 ドーナツをころころひっくり返す。

「昨日の、のぞみ君の話だけどさ」

「うん?」

 なんだか泣けてきた。菜箸を持ったまま、うずくまる。

「どうしたの、石矢君」

 立って、見下ろしてくる坂木君。

「ドーナツ揚げて」

「はいはい」

 菜箸を渡す。今度は、こちらが席に着く。坂木君には、背中を向けて。庭が見える。

「僕さあ、何でだか、くれさんは坂木君の子供を産むに違いないと思い込んでいたんだよね。呉さんが、坂木君が『手伝ってくれる』って言っていたの、聞いたくせにさ。完全に、そういう意味なのに」

「ああ、うん…」

 坂木君は、黙り込む。

「まあ、石矢君はそうあって欲しいのだろうなあと、我々は気付いていたけれども…」

「だよね」

 後ろを向く。坂木君が、ドーナツを盛った皿をテーブルに置く。

 僕は、首を傾げる。

「だからね。思うんだ。のぞみ君の発言は、わりと本気なんだろうなあって。別に、のぞみ君はミコト君とどうこうなりたいとは考えていないだろうけれど。でも、大好きなお兄さんではあるよね。僕も、血が繋がってはいなくても、やっぱり、姉に子供ができたと知ったときは、嬉しかったし」

「まあ、エリちゃんがミコトとのぞみ君の子供をそれぞれ産めば万事解決だよね」

「はあん?」

 いれたてのコーヒーを受け取る。再び、席に着く坂木君。

「いや、あるんだって。遊牧民で、男兄弟に、嫁一人って。それって、どうなんだろうと思ってたんだけど、大雑把に見たら、どっちが父親とかどうでも良いんだなって」

 コーヒーを一口飲む。

「いや、定住してるんですが?」

「何なら、のぞみ君が居ないと、ミコトとエリちゃんは付き合えないと思うよ?」

「ああ!」

 柄にもなく、大声を出した。いや、いつものことか。

「それは解るー。だって、僕は坂木君の子供を産んでやれないし。のぞみ君だって、ミコトの子供は産めない…。いや、別に彼は産みたいとかは思わないだろうけどさ」

「うん、そう。だから、別にいいんじゃない」

 坂木君は、ようやくドーナツにかじりついた。

「あち」

「まだ熱いよ」

 僕は、笑った。

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