第3話 上浜瑞乃という女 その6
「え、この下?」
珪斗が思わず声を上げたのは市内を流れる一級河川、瀬南川の土手だった。
「そう」
“それがなにか?”とでも言わんばかりに返した瑞乃は河川敷へと降りていく。
「おっきな川デスぅ」
まるで初めて川を見たように表情を輝かせる珊瑚だが、その様子が見えていない瑞乃は気にすることもなく河川敷を歩き続ける。
そのまま川と直交する国道の橋脚下に入ると、今度は斜面を這うように上がっていく。
「クラックはこの上か」
思わずつぶやいて後に続こうとした珪斗だが、ふと思い立ち、珊瑚を促す。
「先にどうぞ」
「はいデス」
無邪気に答えた珊瑚はまるでアスレチックコースに来たこどものようにはしゃぎながら這い上がっていく。
瑞乃、珊瑚、珪斗の順で上がりきった先ではすぐ上を通る国道の橋梁がクルマの通る度にごろごろと重低音を響かせていた。
その音に肩をすくめて渋い表情になる珪斗とは対照的に、珊瑚は重低音の天井へと奇声を上げてはしゃいでいる。
“日の光を橋梁に遮られた薄暗い空間で大音響に包まれている”という“異質な環境”が楽しいらしい。
感じ方によっては確かにテーマパークのアトラクションに近しいものがある、かもな――珪斗は小学校の遠足で行った遊園地を思い出しながら珊瑚の様子を理解する。
そんなふたりに瑞乃が奥の一画を指差す。
「そのあたりで貝殻になった」
珪斗が目を凝らすと確かに指差す先にクラックはあった。
改めて見渡す周囲に貝殻はない。
ここの禍々様によって貝殻化された犠牲者は瑞乃が持っている“一名”だけだったらしい。
そのこと自体は、こんな人通りのない場所だけに当たり前だと思うが、その一方で“こんな所にいた
そして、考える。
もしかしたら、ここは瑞乃が“交際相手”と密会する場所なのかもしれない。
いつものように人目のないここでいちゃいちゃしてたところに禍々様のタコ足が伸びて――そこまで想像した時、珊瑚が声を掛けた。
「珪斗、いいデス?」
「あ? ああ。いいよ。やろう」
珪斗は答えながらスクールバッグをおろす。
その手を不意に珊瑚が掴んだ。
「ん? どした?」
怪訝な目で見下ろす珪斗に、珊瑚は瑞乃を指差してささやく。
「あの子はもっと離れてた方がいいデス」
その意を珪斗は即座に悟る。
確かに瑞乃はこの場から離れていた方がいいだろう。
もし貝殻になってもすぐに珪斗が戻すとはいえ、伸びるタコ足の射程圏内にはいない方が望ましい。
珊瑚の言葉を珪斗が瑞乃に伝える。
「
言ってる意味がわからない瑞乃は怪訝な表情を見せるが――
「わかった」
――斜面を早足で降りていく。
「じゃあ、改めて」
珪斗が珊瑚を見る。
「やるデス」
セーラー服の襟の下から伸びたケーブルが珪斗の首筋を突き刺す。
珪斗の手が珊瑚の襟の下をまさぐり、掴んだ銃を引っ張り出す。
その気配を感じたのか、にょろりと伸びた数本のタコ足が珪斗と珊瑚を威嚇するようにぐねぐねと躍りだす。
そこへ珪斗が銃口を向けて引き金を引く。
撃ち出された銃弾がタコ足を貫き、クラックが消えていく。
あっけなく終わった――と珪斗が思った時だった。
少し遅れて聞こえた破裂音が明らかにこれまで聞いたものとは異なる“くぐもった音”であることに違和感を覚え、すぐにその理由を察して慌てる。
破裂音を発した貝殻があるのは瑞乃のスカートの中なのだ。
あの狭いポケットの中で、というよりスカートの中で本来のサイズに戻るのはちょっとやばくないか。
「上浜っ」
珪斗が河川敷を振り向きながら声を掛ける。
「きゃ」
いつになく声を上げた瑞乃が押さえたスカートの下になにかが落ちた。
それは――一匹のネコだった。
「ネコ?」
「わーい、かわいいデス」
斜面を降りてくる珪斗と珊瑚の前で、きょろきょろと周囲を窺っているネコを瑞乃が抱き上げる。
そして学校では見せたことのない満面の笑みで頬ずりをする。
「よかった、オクラホマ・スタンピート(←猫の名前)。よかった」
ネコは瑞乃の飼い猫なのか、抵抗せずじっと身を委ねている。
人間の場合は姿が戻っても目が覚めるまで時間がかかると聞いていたが、ネコの場合はそうでもないらしい。
脳容積とかが関係あるのかもなあ――そんなことを思いつつ珪斗はふうと息をつく。
「ネコだったのかあ」
安堵する珪斗に瑞乃は初めて気まずい表情を見せた。
「湖山、……怒ってない?」
しかし、珪斗にはその意味がわからない。
「怒る? どうして?」
瑞乃は抱いたネコに顔を埋めるようにして短く答える。
「戻してほしいって言ったのがネコだったから」
“そんなことか”と珪斗はネコの顔を覗き込む。
「怒るわけない。良かった。ネコで」
もちろんその言葉の裏には“珪斗の劣等感を刺激する上位ランカーみたいな恋人じゃなくて良かった”という意味もある。
しかし、それだけではない。
一部の人間はネコを前にするとアホ化する。
珪斗はまさしく“そっち側の人間”だったのである。
そして“そっち側の人間”にありがちな行動として頭を撫でようと手を伸ばす。
がり。
ひっかかれた。
瑞乃が慌てる。
「ごめん。大丈夫?」
珪斗はまったく意に介さず。
「いいよいいよ。怖かったんだよなあ。戻ってよかったなあ。んんんんんんん」
その夜、帰宅した珪斗は“世紀の新発見”とも言うべき“スカートのポケット”とプレートの中で見た半裸の珊瑚、腕に抱きつかれた感触とぬくもり、そして、斜面を上がる時に見えた珊瑚のパンツを妄想ノートに記入した。
同じ頃、疲れてようやく眠った管郎を見ながら真珠はため息をついた。
己の裸身を抱きしめながら。
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